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94.

「どうぞ。お召し上がりください」

 銀皿がローテーブルに着陸する音がしました。積載していたのは甘い香りのする焼き菓子です。熱が残るふわふわのケーキ生地の傍にたっぷりのクリームが添えられており、てっぺんにはイチゴが一つ。このイチゴは、最初に食べるべきなのか、銀皿に移して最後に食べるべきか……。

「……おや?おいおい、アングレカ君」

 わたし達の分のケーキを並べてお盆を引こうとするアングレカさん。それを、オスカーさんが引き留めます。

「わしの分は?」

「本日の騒動は元を正せば旦那様の早とちりに根本的な原因がございます。よって、本日の間食は没収させていただきます。私も今回の一件で重傷を負いましたし」

「えっ」

「材料は、旦那様にお出しする予定で確保していたものを使用してお作りしておりますので、そのつもりで」

「そんなぁ……ちゃんと治療もしたというのに……」

 とほほと明け透けに悲しそうにする老人は、我慢して自分のお茶を一口飲みました。そして、

「……!おお、そうじゃな。それで、アムシースから逃げ出したわしじゃったが、追っ手がいつ、どこにおるかもわからん。とにかく、何処までも遠くに逃げた。しかし、そもそも何も持たずの逃避行じゃ。悪行に手を染め、自分の持ちうる魔法を全て駆使したとて、長くは保たぬ。だというのに、逃げても逃げても、すぐ其処にアムシースの連中がおるんじゃないか、そう恐怖して、ただずっと逃げ続け、そうして、わしはこの地に行き倒れたんじゃ。空腹と水分不足が行くところまで行った。そんなわしをその時拾ってくれたのが、この館の前の持ち主じゃよ」

 オスカーさんは、姿勢を正して壁に掛かった絵を見つめます。名前も分からない二人の男女の肖像。

「名士の夫婦じゃった。手を差し伸べられると、わしは気が緩んで洗い浚い全部を話したわい。初対面で警戒心に欠けていたかもしれん。そうでなくとも、わしという存在自体が厄介事の種じゃろう。しかし、両人は暖かく迎えてくださった。……後から話してもらえたが、子宝に恵まれなかったそうでのう。屋敷の外にはわしの素性を完全に隠し通してくださってな。実の息子のように扱ってくれたんじゃ。それから数十年。当代をわしが引き継いでもなお、わしは殆ど外に顔は出さず。そうしてこの館で生きてきた。……ふぉふぉっ、これ一つで思いの外どうにでもなるもんでのぉ」

 そう言って、オスカーさんは人差し指をくるっと回せば、丁度わたしが飲み終えた後のカップは指を離れ、受け皿と一緒に隅の棚の上……お盆の上に片付けられました。その様に気を取られていると、いつの間にかアングレカさんが二杯目をご用意してくださっています。

「まあ、わしからはそんなところじゃ。途中のことは端折ってしまったが、ジジイの無関係な独り語りなど、ずっと聞かされてもつまらんじゃろう?」

 白髭を揺らして笑いました。

「……では、そちらの話も聞いて状況をまとめるとしようかのう。アルカちゃんと言ったか」

 オスカー師は杖を持ち替えて、さぁ、話してご覧なさいと促します。

「あっえーと、僕じゃなくて……」

「ん、そうなのか?」

「紛らわしくて申し訳ない。御仁、話したいのは、この子、マリーのことについてだ」

 ウォーレンさんがわたしの肩に手を置きます。背筋を伸ばしました。

「……ほぉ」

 オスカー師はそれでわたしに焦点を当て直して意外を突かれたように息を漏らしました。






「……なるほど」

「何か、オスカー師がアムシースにいた頃の話で心当たりのあるものはないだろうか」

 本当ならわたしが弁立てるべき場を代わってウォーレンが話し、オスカーさんは目を閉じて黙って頷きます。

「まず」

 そして、目を開いて、

「おそらく一番期待しておるであろう部分から。申し訳ないが、そこのマリーちゃんが入っていたという棺らしきものというもの、心当たりはない。先にも述べたが、わしもアムシースにおった期間は短く、加えて都市の中で横行闊歩を許されるほど優秀でもなかった。伝えられなかった魔法技術はむしろたくさんある。おそらくそのうちの一つじゃろう。それでも考察するならば……」

髭を撫で、

「噴火の熱に耐えていたことになることか」

息を吐く。

「正確な観測ができとらんが、その規模の噴火による■■■をあの距離で受けたなら、豪雨の後の激流と熱を同時に耐えるような造りであると考える他ない。建築ならそのような施しがあったと考えても問題ないのじゃが、聞く限り棺は硝子・金属製であり、損壊は皆無、と……」

「……自然現象にお詳しいようだ」

「まぁ、魔術を嗜めば少しは、の。して、物性に熱も衝撃も耐える術がなかったとすれば何らかの仕掛けがあったと見るべきじゃが……常用的な儀式道具に態々耐久力を引き上げる施しをつけるとは思えぬ。……ならば何者かによって生かされた、あるいは逃がされる為の施しと思ってよい」

 わたしがあの灰の底へと共に沈まず、生き延び、ここに来れたのは、やはり誰かの作為である。このことはようやく確定させてよいもののようでした。となれば、あの『彼』が……。

「そして、もう一方の話じゃ。こちらは少しは期待してよい。これまでお主等は、アムシースからの残されたいくつかのメッセージを既に掴んでおる。具体的に見んことには何も分からぬが、これは検討の余地はあるじゃろう」

「見る……ねぇ……」

 ハーツさんは難色を示します。そこにわたしはアルカさんから裾を引っ張られて注意を向けました。

「もしかして、ほら!あの紙!あれがここで使えるんじゃない!?」

「紙?……あの洞窟で発見したと言っていたあの紙のことか」

 わたしはそこではっと、自分の本を取り出します。ウォーレンさんの小説の方ではありません。確か最後にあの、『彼』から貰った魔導書に挟み込んでおいたのです。結局中身は大して読むことができていませんが、挟んだ栞のページではなく、挟んだ栞そのものが大切になりました。少し折り目が強くなってしまった紙を広げ、わたしは目の前の師に見せます。

「……なるほどぅ、そう来たか」

 老師はひと呼吸を置くと、

「……と、なればマリー。三箇所……じゃな?」

 紋様のことを指すのならば、わたしは首肯します。それを見て、オスカー老師はアングレカさんに紙を一枚要求します。

「やはり関係があると睨んでよいじゃろう。転写を行ってもらいたい」

「ちょっ、ちょっと!そんな、三角形と四角形が一つずつみたいなシンプルなやつじゃないのよ?あたしもその時見たけど、もう数ヶ月も前のことで、細かいところは疎か線の通り方さえ全く……」

「できるな?」

 わたしの前に、一枚の紙が敷かれ、隣には羽根ペンとインク瓶も用意があります。迷う必要は特にありませんでした。思えば不可思議なことです。

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