93.
「いやはや、こりゃあ済まんかった!とんだ早とちりをしてしまって全く面目ないわい!」
明朗に非を認める老人。わたしも、おそらくわたし以外の皆さんも先程までの切迫した雰囲気を絆されて、果たしてこれで良いのかと当惑していると思われます。
「つまり……私達をアムシースの関係者だと思い、『処理』しようとした。合っているだろうか?」
「本当に面目ない!わしも眼が悪くなったもんじゃ!術外套も着ず、成人二人は魔法の力を持っている素振りもない……だと言うのに過度に疑う癖がついてしまっておってのぉ……」
傷だらけ、破片だらけになった朱絨毯には踵を返し、中庭の渡り廊下を過ぎて少し先の部屋。天井照明の真下、鏡のようにぴかぴかのローテーブル。その四つ足を辿って床は模様入りのラグが敷かれ、その前後のソファは……今わたし達が座っているものです。視界の袖には花瓶を乗せた窓付きの棚と、その棚の上で五人分のお茶を淹れるアングレカさんもいます。正式に饗されたと考えて、これを疑ってはもはや人が信じられなくなるでしょう。
「して、そちらはわしのことは特に何も知らぬと?」
「そうね。この館を訪ねるようにって言われただけ」
「なるほど……ならば非礼ながらわしの方から自己紹介からさせてもらいたい」
老人は自身の髭を撫でて、
「名はオスカー。平易な言葉で身分を表現すれば……魔術師、ということになるのう」
「魔術師……」
アルカさんが目を輝かせています。父母を除いたいわゆる本物には初めて会ったのかもしれません。あるいは、普段から「魔法使い」という言葉を使っていただけに「魔術師」という言葉が琴線に引っかかっただけかもしれません。
「どうぞ。お熱いのでお気をつけて」
わたし達側の自己紹介が済んだところで、アングレカさんがお茶の入ったカップを順に置きます。湯気から立つ落ち着く香り。ちょうど飲み物を含みたい気持ちだったのでカップの縁に口をつけると、忠告通り淹れ立ては流石に熱く、舌が焦げ付くかとも思えました。アングレカさんはそれからお盆を身体にピタと付けて、一礼して部屋を去りました。
「なるほどぅ……アルカとマリーの二人は本名じゃったか」
あの事態ですから、疑いはどうやらその段階から始まっていたようです。
「……名も知らぬ者にここを訪ねるように頼まれた……」
オスカーさんは少し髭を触り、
「まず申し訳ないが、それだけではわしに思い当たる節は全くないのう。アムシースの輩ですら、ここを訪れるのは難しく、わしと親交がある者は当然じゃが一人もおらぬ。先んじて来訪者があるという報せなど以ての外じゃ」
その部分の状況に関しては、オスカーご老人のわたし達のもてなし方から凡そ把握できました。ならば『彼』は何故、この地この場所を選んだのでしょう。確かに「訪ねる」という目的しか伝えられていないため、このご老人が事に関与していないとしても問題にはなりませんが……。因果の糸をたどるためには、やはり……
「……オスカー師とアムシースの関係について、よければ聞かせてほしい」
「なるほどぅ、やはりそこを質さねば始まらぬようじゃ」
オスカーさんは、杖の頭を撫でて、背を少しだけ伸ばしました。
「元はアムシースの魔術師じゃったんじゃ」
「元は、とは言うてもほんの短い時間じゃし、加えて齢も両手で数えるほどじゃったがの。アムシースはの、魔術の才覚ある子を世界中から探して引き込んで、早い頃から都市の中で育て上げておるんじゃ。昔からな」
わたしはアルカさんの反応を見ます。真っ直ぐ見つめているだけで、何を考えているかまではあまり分かりませんでした。
「ふぁっはっは、わしもどうやらその才ある魔法使いとして選ばれとったようでのぉ。あの都市の中で魔術の訓練を受けておったんじゃ。しかし、才覚を見出されたからといって出世街道を突き進めるかと言われるとそうではない。どこの世界を切り取っても、優秀なやつから落ちこぼれまで……上から下までしっかりと揃っておるもんなんじゃ。わしはその落ちこぼれ側での……じゃが、落ちこぼれていることをあの都市が許すかと思うか?」
オスカー師は鼻を鳴らして老齢にしてはいたずらっぽく笑います。
「ほれ、中央の方でもあるじゃろ?えーと確か……隷使階級とかそんなやつじゃったか。落ちこぼれの期間が長いと、まああれに似たような階級に落とされるんじゃよ。都市の中で、生きることそのものを否定されるかのような処遇を受け、惨めに、そしてその死すら悼まれることもないような、道具のような扱いを受ける。実際、魔術実験の素体としては、何の魔術的素質もない人間を一人攫ってくるよりも断然使いやすかったらしいからのぉ」
アルカさんや、あの村の魔法使いの皆さんも、人によってはそうなっていた……かもしれない、ということでしょうか。それなら、連れ去られなかったのはむしろ幸せなことだったのかもしれません。
「当時、わしはかなり追い詰められ、必死じゃった。奴等の空気感やわしへの態度から、次の標的がわしであることは殆ど明らかと言ってよく、その秒読みすら始まっていると。まあ考え過ぎということでもなかったのじゃろう。じゃから、わしは……」
師はカップの取っ手を指で触ります。
「逃げたんじゃ」
「逃げた……って、アムシースから?」
ハーツさんが聞き返します。
「おぉ。まさしくあの都市からじゃ」
「……ホントなの?」
「疑う気持ちはよお分かる。あの都市のことをちょっとでも知っとったら、まあまず不可能なものじゃと結論付けるじゃろう」
わたしは、ハーツさんのご友人のことを頭に思い浮かべます。特例的にアムシースの外で制限された交流を行い、そして、死体となってまでアムシースに帰った。
そもそも魔法の秘密や技術を外に決して漏らさないことに途轍もなく拘る集団です。それが脱走者を許すはずもありません。加えて、その脱走者が訓練途中の魔法使いとなれば、抑え込むことは容易でしょう。
「本当ならわしの人生はあそこで畢っておったはずじゃ。頭も大して回らぬ所為でそんなことすら予想できなかった。しかし、本来失敗が約束されていたようなわしの稚拙な脱走計画は何故か容易く成功してしまった。それこそ、今のわしが監視者に回れば、居眠りしておっても取っ捕まえられた余裕すらあったじゃろう。……もちろん、何か裏があったと考えて間違いはなかろうが……今となっては確かめようがない」
「……その通りだろう。相当な過去に遡るというのもあるが、それ以上にあの街は噴火によりすべて灰の下に沈んでしまった」
ウォーレンさんがそのような相槌を打つと、オスカーさんが「噴火」という語にピクリと反応します。
「この館に籠るように住んでおっても、掠れた風聞として聞くことはあったが……本当にあの都市は、灰の底に埋まったのか?」
「間違いない。私とマリーはまさにその現場を見た上に、ハーツもその周囲の様子を知っている」
わたしは頷き、ハーツさんもそれに同意します。街どころか、小さな世界を一つ飲み込んでしまったとすら言えます。
「そう、なのか……。あの都市が……」
オスカーさんは、カップの中に溜まった赤茶色をぼんやりと見つめていました。




