89.
その朝は珍しくハーツさんの起床が遅く、ウォーレンさんがご飯の用意を済ませた後もテントから出て来ませんでした。
「ハーツは……どうした?」
やや聞きづらそうにウォーレンさんが尋ねて、おそらくまだテントの中にいるとお伝えします。
「珍しいね、僕より起きるの遅いの初めて見たかも」
わたしもです。昨今のハーツさんの様子から心配してしまいます。先日の件もありますし責任を持ってわたしが様子を見に行くべきだと必然思いました。数歩の距離でテントに着き、垂れ布を除けて中を覗きます。膨らんだブランケットに向かって、朝ごはんがもうできていますよ、と一声かけると、
「ぅう~……お願いだから、もうちょっと寝かせてよ……」
かなり情けないハーツさんの声が聞こえてきました。でも、ご飯がもう―――
「だーかーらっ!」
わたしに向けて語調強くそう発したハーツさんは、身体を起こして毛布がずり落ちます。『だから』という言葉にはその後に何か反論の余地があることを意味していましたが、その余地を埋める前に、わたしの眼に下着だけの格好になったハーツさんが飛び込みました。寝付けなさそうにしていたのもありましたし、それで夜のうちに上を脱いでしまっていたのでしょうか。ハーツさんははっと気が付いて毛布にくるまって、
「す、すぐ行くから!着替えるから待ってて!二人にもそう言っといて!」
と言ったきりです。
致し方ないのでわたしだけ先に戻ってその旨を伝えてごはんをいただいていました。少なくとも元気がないとか、体調を崩しているとか、その素振りはなかっただけ安心することにしました。
「おはよぉ……」
少し経つとちゃんと起きてきました。髪が少し跳ねているところを見るに整えもせず直接来たみたいです。今日だけアルカさんに梳いてもらったわたしの髪とは大違いです。普段着に身を包んでいるものの、起き抜けで溜息交じりにウォーレンさんからパンを受け取ります。イライラしているのか頭を重たそうにしていて、声を掛けづらく感じます。
「ハーツ……昨日は……」
「うっさい……ホンッと、もぉ……」
わたしやアルカさんに比べ、ウォーレンさんには少し当たりの強いハーツさんですが、今の言葉は普段のそれを少し超えていました。頭を抱えて、髪をかき乱して、口から何らかを後悔する言葉を漏らして。少ししてわたしやアルカさんの方を見ました。
「あっ、その……違うの!二人に言ったつもりは全然なくって……」
流石に怖いところを見せてしまったかと、申し訳なさそうにしていました。隣のアルカさんと目を合わせます。小声で、
「何かあったのかな……?」
と耳打ちされました。見る限りは、実はわたしではなくウォーレンさんが事に絡んでいそうだと思えてきました。それを手掛かりにひとまず、わたしの頭の中でのハーツさんのここ最近の行動のすべてを一本の糸のようにつなげていきます。そこから導かれる結論は……ウォーレンさんとの仲違いです!発端や細かな原因の特定までは難しいですが、わたしが見ていないところでのトラブルというのも考えられます。おそらくそれに近い原因を持っているものと見て間違いないでしょう。
解決方法ですが……二人の話を聞いて、仲違いの原因を特定して、すり合わせをして……。でもまずすることは一つです。わたしはウォーレンさんとハーツさんの手を一つずつ引き、
「……えっ、な、なに?」
仲違いは仲直りに早急にでも書き換えるべきです!そのためには歩み寄りからです。わたしとしてはそう進言します。二人に今更強い亀裂が生まれる程ではないはずです。だって、これまでずっと一緒に過ごしてきたお友達なんですから。
「いや……マリー……その、私は……」
「……そうね」
ハーツさんは目を閉じて一つ頷きます。ふっと息を吐くと、
「うん、あたしが悪かったわ。仲直りしましょ、ね?」
わたしが導いた右手を、ハーツさんはウォーレンさんに差し出します。そ、そんなわたしはもう少し時間をかけて仲直りするものかと思っていましたが……。
「……そう、だな。私も悪かった。申し訳ない」
ウォーレンさんが手を取り直して、これで解決です。原因は結局わからず仕舞いです。
「結局ハーツちゃん、何で怒ってたの?」
「さぁね。まぁもうどうでもいいことでしょ。二人ともちょっと怖がらせちゃってごめんね」
わたし自身ははぐらかされた感じもして少しムズムズするのですが、円満に収まるのならそれで全て良いということに
拠点をたたみ、数日ずれた時間を巻き戻すようにわたし達の旅は再開されました。案の定か予定調和的か、わたしの足はすぐに疲れ果ててしまい、今日もウォーレンさんに抱っこをせがんでしまいました。本当は自分の足で歩くべき道ですが、腕の中にいることの安心感にどうしても甘えたくなってしまうのです。すると次に難しいのは、代わりに歩いてもらっているウォーレンさんに失礼のないよう、この心地よい揺れと暖かさに耐えて眠ってしまわないことです。
「マリー」
だからこそ、虚ろ眼の中で突然話しかけられると身体が跳ねてしまいます。断じて、断じて眠ってしまっていたわけではないのですが!
「……済まない、眠りたければ眠っても構わない」
いえ!眠たくはありません!むしろ今しっかり目が覚めたというくらいです。
「そうか」
ウォーレンさんは一呼吸置くと、
「聞いてもよければ、教えて欲しい。……マリー。君の眼に、私はどう映っているだろうか」
意図の読めない質問を投げかけられると、眠気眼でなくとも少しの混乱が頭に広がります。どう映っているかというのは、容姿ではなく人柄や印象の話をされているのだとはわかります。ただ、それを今、この場で尋ねる理由は特にわかりませんでした。けれど、もちろんこの期に及んで否定的なことをわたしが述べるはずもありません。わたしの口は簡単に自分の思うウォーレンさんを話します。
まずクールさというか、大人な余裕さのあるところがとても素敵です。如何な状況でも冷静で、理性的に物事を対処するところはわたしの眼に魅力的に映ります。わたしのために始まったこの旅も、ウォーレンさんが先導する光として進めてもらえているという事実もあります。
けれど、実は時々、ほんの少し抜けているというか、詰めの甘さを見せるような場面があったりもします。
「……ベリルマリンで君がさらわれた時のことか」
そう聞き返されてわたしはしまったと思い、言葉を何とか作り変えようと必死になります。なんというか、悪い意味ではないのです!ただ、ウォーレンさんくらい理知的で大人に見える人でもちょっとした失敗や面白い思い違いなどがあって、等身大に人間らしさを感じられて、ただ冷静沈着な人よりも、温かみ……そう!温かみがあるところが素敵だとわたしは言いたかったんです!
「……なるほど」
ウォーレンさんは深く考え込んでから相槌を打ちました。決して、悪い意味で言ったわけではないのですが、もしも不快に感じてしまったようなら謝りたいです。
「いや、そんなことはない」
ウォーレンさんはわたしの頭を撫でて、
「そんな風に思ってもらえているのなら、私は心から嬉しい」
いつもの抑揚なく落ち着き払った声にも、少しの悦びが顔を覗かせている気がしました。人を褒めてわたしの心までポカポカするなら、これからもっと褒め言葉を伝えていくべきなのかもしれません。
「よかったじゃない」
肩をトントン、と叩いてハーツさんがそう言います。
「じゃ、次はあたしに言ってもらおっかな~。ほら、アルカ」
「えっ!そんな、急に言われても……えーと、面倒見がいいというか、ここぞって時に頼りになるところ……みたいな?」
「みたいな、って何よ。そこはしっかり言い切ってよね」
「だって急なんだもん〜……からかわないでよ〜……」
着せ替え人形にしてからハーツさんがアルカさんをイジるのが少し楽しくなったのかもしれません。でも、アルカさんの人柄だと分からなくもないです。……なら、次はわたしがアルカさんのいいところを発表しちゃいます!
「えぇ!?そ、そういう流れなの!?」
なるほど、確かにアルカさんを困惑させるのは少し楽しいです。なんというか、小動物が狼狽えている姿を見ているかのようで。
「……私が切り出した話題を遮って済まないが……」
ウォーレンさんが、そう言って二人の注目を集めます。
「見えてきたようだ」
前方に、家の集まりが見えました。……カンラン。あの村に、わたしの秘密が眠っている。




