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「隠しててごめんなさい。わざとじゃなかったの。その……その子も、めちゃくちゃ口封じされてたらしくて、結局アムシースのことを話してくれたことは一度もなかったから……。だから、話したって意味のないことだと思ってた。最初にマリーとウォーレンに会って、アムシースのことを聞かれた時、話さなくてもいいことだって……無意識にそう思ったの。でもきっと、本当はあたしがただ触れたくなかっただけなんだと思う。自分の中で忘れてしまおうとしていた。全部、なかったことにしようとしてた。だから、思い出そうって努力もしてなかった。……マリーにも、あの子にも、恨まれたって文句言えないわよね」
少しずつ語調が激しくなるハーツさんを落ち着かせるようにわたしはその髪を撫でます。
「ずっと、ずっと一人で抱え込むやつでね、無理してそうでも平気そうにしてて。最期だって、何も言ってくれなかったの。とっても複雑で、大変な魔法だったんだと思う。どれだけ危険で、その代償がどんなものかも、きっと全部知っていたはずなのに、なのに、何も……何も教えてくれなかった。腕が熔けて、脚が焼けて、片眼が黒く固まった血で塞がったみたいになって……震えた唇から、潰れた喉から、何かを口にしようとしてた。あたしはそれを、ただ見ているしかなかった」
わたしの腕を掴む力が強くなります。
「……死体は、アムシースの連中が持ち帰ったの。秘密がなんだと煩く言って。あたしは……嫌だった。当然よ。街に籠もって上から目線な命令ばっかりして、ロクに助けもしなかったのに、まるで道具みたいに……一緒の時間を過ごしてきたあたし達が優しく看取ることも許さないなんて……!でも、本人すらそれを望んでたって……あの子の、あの、遺書、を……見て……それでもう、糸が切れたように、何が何だか分からなくなったの。頑張ろうって気持ちが無くなって、仕事を辞めて……でもほんと、都合よくできてるわよね。七年も経ったら悲しかった気持ちも苦しかった思いも全部しまい込んで押し殺して、アムシースが嫌いな気持ちだけがそれとなく残った。それももう、今となってはほとんど意味もない感情なんだろうけど……」
わたしがハーツさんと最初に会ったのは、あの灰の上でした。悪いお金貸しさんに依頼の体で騙されてウォーレンさんを探したと、言っていました。……本当は忘れてなんていなかったんじゃないですか。アムシースの周辺をきっと、何となく張り付くように行動していたのかもしれません。あの野営地にまで来たのは結局はただ偶然なのかもしれませんが、その周囲の土地で便利屋さん稼業をしていたのだとしたら、忘れられない誰かの影を追い続けて、縛られ続けていたのが原因かもしれません。……ただのわたしの妄想かもしれませんが。
「近頃思い出すことが多くなって。最近になってようやく、乗り越えたんじゃなくて、心の奥底に封じ込めただけだったんだとようやく気が付いたの。もしかしたら、助けてほしかったのかもしれなかったとか、助けてくれなかったことを恨んでるんじゃないかとか……全然そんなことあるはずなくても、脳裏に過るとまるで耳鳴りみたいに聞こえ続けて。そういうのを気にしないためにも、いろいろ張り切ってたつもりだったし、心が弱ってさえいなければ、全然大丈夫だったの。ホントよ?」
それからゆっくりと、震えた声色を整えて、
「……もっと、ずっと一緒にいたかった」
ハーツさんが他人に、こんなしおらしい想いを打ち明けるのは、わたしが見る限り初めてでした。噴火の日、その日よりもずっと前にいた一人の魔法使いのこと。きっと誰かのために、自分の身体が灰や煤になってでも立ち向かい、殉じた魔法使いのこと。わたしはその人のことを多分知りません。抜け落ちた記憶の先のどこかにあっても、今は思い出せません。そしてもしかすると、わたしだけじゃない。平凡な暮らしを送っていればもちろん知らないことでしょう。強い口止めを行われていれば、身分や自分自身のことを論ずる術も少なかったはずですから、周囲で関わる人でも当人のことを深く知れた人はずっと限られたかもしれません。アムシースにある種呪われて死んだために、あの都市の外でその人を深く覚えている人はもしかするとほとんどいないのかもしれません。挙句、アムシースの中でさえきっと駒の一つとしての扱いを越えられなかった。でも、それでも形はどうあれその人の存在を街は覚えてはくれていた。だから骸を回収するなんてこともした。街はその人を覚えてくれていたはず。はず、だったとしても、その最後の場所も……もう無い。その人はあの噴火を最後に完全にこの世界から消え去った。……そう、なのでしょうか。……いいえ、そんなことはないはずです。
ちゃんと、ここに居ます。わたしがそう言うと、ハーツさんは、わたしの顔を見ました。あなたが、今までずっと、覚えてくれていた。忘れようとしたなんて言っても、頭の中にずっと灼き付いていたじゃないですか。その影を追いかけてきっと、ずっとずっと探し続けて、その間もずっとあなたの一番近くに居続けてくれていたんです。人から忘れられて、街さえ忘れ去られても、あなただけが忘れることができずにいた。だから、例えば今わたしがその人の存在を知ることだってできたんです。
語り紡ぐ人がいれば、あなたがその想いを大切にしていればきっと、とある魔法使いは永遠の命を得る魔法を使うことができるのです。完全に忘れ去ってしまえば、それこそその時が本当の死の瞬間です。ハーツさんは、その悼みに一度挫けたのかもしれません。でも最後、ギリギリのところで踏ん張り続けていたんです。わたしがその魔法使いさんなら、とっても幸せだって思ったことでしょう。わたしは、そんな風に感じました。
「……そっか……そう、よね」
少し安心した声色をしていました。腕を掴んでいた右手を自分の胸のあたりに連れてゆき、ぎゅっと握り込んでいます。思えば、紅い宝石のペンダントというのも珍しい品に思います。暖かい炎を感じたように、あるいは、その中に誰かの命が宿っているように、
「ここに……ずっといたのね」
そう呟きました。




