80.
「大丈夫!?マリーちゃん!」
アルカさんもウォーレンさんと一緒になってわたしの肩を支えてくれました。長らく思念だけの状態が続いただけに、発声する感覚だけは残っていましたが手足の動作感はおおよそ忘れていました。力の入れ方を思い出すにも時間がかかりそうです。
「ゆっくり、少しずつで大丈夫だ」
ウォーレンさんとアルカさん、二人の腕を頼りにしながら、両足の使い方を思い出します。ハーツさんやソニスさんもこちらに近付いて心配の目を向けてくださっています。小刻みに自信なく震えるわたしの細い足は、ぎこちなくも確かにわたしの思う様の動きを見せます。胸部付近が重く強く拍動して身体の内側をうねらせました。
発話も少し自信がありませんが、どうやら自分が肉体を伴ってここにいるという事実を皆さんに報告します。途切れ途切れに細い息が漏れた音にもなりますが、せめてそれだけでも報告しなければ。
「ほ、ほんと!?よかったぁ……」
肩に手を回すアルカさんは純粋に喜んでくださいます。けれど、
「でも、なんで急に……?それに、そうなると……」
耳を澄ませるようにゆっくりと息を整え、善く頭を回します。柑橘の匂いが鼻をツンとかすめ、脳の奥に伝わり思考の霧を徐々に晴らし、ようやく気持ちが立ち直り出しました。
テルさんの声は、聞こえませんでした。横柄な文句がもう、聞こえてきません。元よりわたしの口元の動きにしかその意思と存在を確認できなかった方です。今それをわたし自身が塗り替えてしまえたのです。だからもう……。
「……きっと、ちゃんと会えたんだと思うわ」
ハーツさんがそう言って、目の前のキャンバスのそばへ寄ります。膝から崩れ落ちた時、握り込んでいたブローチが手から溢れて、その辺りに転がり落ちてしまっていたようです。拾ってわたしに見せました。いいわよね、と簡単な了解を求められ、わたしは何を意図したか分からないなりにも首肯の意を返答します。応じるとハーツさんはブローチをそのキャンバスの上に優しく置き、それでようやくわたしも心得ました。
窓から西日が差し、絵の中の村はもう、家に帰る時間になりました。
「小さい頃に家が取り潰しになったとかでさ、一家まるごとバラバラになったらしいの。それまで住んでたお屋敷からも追い出されて、それでどっかの召使いにされたらしいけど、そこでも扱いが酷くて、最終的に逃げたんだって。で、そのまま家無し。寒さと空腹に耐えてる中で利き手を壊死で無くして、でも、生きて生きて、生き延びて、それで今こうして生きてる……って。あのじいさんがよく言ってた、よくある武勇伝」
小屋に備え付いたベッドを借りて一夜明け、翌朝。一日眠ればわたしの体力もかなり戻ってきたところですが、一人で歩くにはまだ心配だからと抱っこしてもらえました。ウォーレンさんの腕の中でソニスさんへの別れの挨拶を告げると、
「今度はお茶とお菓子も用意して待ってるからね」
と微笑んでわたしのほっぺを撫でてくれました。会ったときもしてくれましたが、今度は優しめです。昨日のわたしの様子を見てのことかもしれません。
「またゆっくりできる時にでも帰るわ」
「もう……前もそれだったじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ!ホントに……あ、でも」
ソニスさんはハーツさんの元に近付き、耳元に口を近づけて、ひそひそと何かを言います。二人の目線がちらちらと、こちらを向いていました。わたし……というよりは、ウォーレンさんの方を見ている様子です。ハーツさんは、
「はぁ……あんたマジで変わんないわね……」
強くため息をつきました。旧友に対しピッと指さして、
「別に何もないから」
「とか言っちゃって~。ね、ね、なんか無いの?」
「ないって言ってんでしょ。あってもあんたの頭ん中だけよ。もう……ほら、マリーもアルカも、こんなの放って行きましょ?」
ハーツさんはそう言ってさっと手を振ると、後腐れも何もないように一人ですたすたと歩いていきました。ウォーレンさんもアルカさんも、最後に挨拶を済ませてそのまま後にします。ハーツさんに邪険にされつつもなんとなくうれしそうにしているソニスさんは、わたしがウォーレンさんの肩越しに後ろを見ると、最後までこちらに手を振ってくださっていました。
船へ戻り、私たちの旅はまた海上へと戻りました。わたしの行動範囲はしばらく船室の中に留まっていましたが、ウォーレンさんの進言ではなくわたしの体調を見ての当然の対応です。アルカさんやハーツさんも一緒でほぼ一日中船室でわたしとお喋りして相手してくださっていました。
「でも、すっごい優しい人だったね、ソニスさん!」
「そう?結構ガツガツくるし、面倒くさいと思うんだけど」
圧しの強い方だとは感じましたが、不快感はありませんでした。ハーツさんのお友達なだけもあります。太陽のような人、という表現は月並みでしょうか。
「ねえねえ、そのおじいさんもそうだけど、ハーツちゃん達は最初、どんな感じで会ったの?」
「どんな感じって……普通よ普通」
「それじゃわかんないよ〜」
そうですよ!人には人それぞれに出会い方があるものだと思います。
「昔過ぎてあたしだってよく覚えてないわよ。なんかこう……気付いた時にはあいつの家にはとりあえず居つくようになったというか……今思えばただあたし等が溜まり場にしてただけって感じもあったけど」
聞く限りでは厳格そうな方だったようですし、そんな方のお家でも入り浸るとは、子ども時代のハーツさんのやんちゃさを感じます。さぞかし頻繁に衝突していたことでしょう。今のハーツさんの人柄にもどことなく通じるところがあります。
「それ、遠回しにあたしが気持ちひとつで動きがちって言ってることにならない?」
わたしとしては長所としてとらえていたつもりが、ぽろっとこぼれた言葉は失礼に値するものだったかもしれないと、あわてて訂正します。ハーツさんはそれを笑って、
「冗談よ」
と流しました。
「あ、それならさ」
ハーツさんは視線を変えて、
「ウォーレンとかどうだったの?ガキの頃は意外ともっと口うるさかったり?」
会話に参加せず船室の隅でわたしの様子を見守っていたウォーレンさんは、私か?と反応しました。
「確かに!思えばそういう話したことなかったかも!ウォーレンさんってマリーちゃんと会う前は何してた人だったの?」
以前のデートでウォーレンさんに教えてもらった過去を思い出します。兵隊さんとしての出自や街のことを、ウォーレンさんは望ましくないもののように語っていました。もしかすると、ウォーレンさんとしては自身のことをあまり語りたくないかもしれません。あの時も、どちらかと言えば誠意として話してもらえた文脈でした。
「……マリー?」
ごまかしというよりは助言や心遣いのような意味で、わたしはウォーレンさんの身の上話を、強要するものではないことを伝えます。わたしの慌てぶりからある程度察したのか、もしくは単にわたしの気持ちを汲んでくれてか、
「まっ、そうね。こういう自由な生き方してたら近い間柄でも話しにくいことはいくつもあるし」
ハーツさんは肘をついてわたしの方を見ます。もしかするとご自身のことも指しているのかもしれません。
「えー……残念」
アルカさんは露骨にしょんぼりした顔をして、しかし、それもやむなしと理解してもらえた様子です。よかったです。きっとお話ししづらいことでしたでしょうから、ウォーレンさんとしてもきっと……。
「いや」
ウォーレンさんは壁に寄りかかって座るのをやめ、立ち上がると、
「せっかくの、機会なら……話しておこうと、思う……」




