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テルさんの話によれば、このブローチは元はさる高等階級の子息の持ち物だったらしく、無理を言って彼女が一時的に借りたまま、返すことができず仕舞いになっていたようです。その心残りをなんとか晴らすべく、今までずっと、手足のある体を求めてさまよい続けていたと。
「うぅ、大変だったんだね……!」
心を揺らす箇所がアルカさんにあったらしく、感極まってと自分の袖口で顔をぬぐっています。持ち物を返すためだけにおそらく気の遠くなるような時間をこの小さなブローチの中で待ち続けていたとするならば、その忍耐は勲章物といえるでしょう。現状のわたしのように四肢の自由を奪われてまだ半日程度の体験でも、このまま何日も過ごせる自信には欠いています。余程の想いの強さを感じます。それほど、このブローチが特別ということです。
「だが……」
ウォーレンさんは考え込みます。
「正直に言えば、あまりに目算がない」
そして、どうやらテルさんの要望には消極的な姿勢を見せたいようでした。
「君の言う……シュタールというその少年だが、はっきり言って君の話だけではあまりにも情報がない。本当に、貴族の子息であることと油絵の技術に長けていたこと以外は思い出せないのか?」
「無茶言わないでよ!村の名前なんて言われても、アタシ村の外に出たことほとんどなくって、木の生え方とか道の感じとかしか分かんないし!」
テルさんの話には、具体的な地理の情報が一切なく、それは、昔々あるところ、で始まるおとぎ話でした。人探しにおける基本……場所の範囲がまったく分かりません。それは世界中全てを周ってシュタール少年を探す必要があることと同義でした。村外に出たことはほとんどない……ということは何度か足を運んだことはあるんですか?
「……村の外に出たのはあいつからブローチ借りて、大きな街に連れてってもらった時。あれが最初で最後。せめてちょっとでもオシャレしたいってお願いしてさ、あいつに内緒で持ってきてもらったブローチつけて……それで街に着くまでの道で……」
そこから先は特に何も言いませんでした。現在の彼女の身分は幽霊に該当することでしょうから、そこから幽霊になる過程があったと考えられます。
「だが、ブローチの出所を辿るのも現実的でない。大陸に居る領主全員の男児を全員調べ上げるわけにもいかない。頼りにできるのが凡そ名前だけでの人探しには、どうしても限度がある」
「むぅ……」
テルさん自身も無理を意地でも通すつもりの申し出です。おそらく身体を乗っ取ってからは他人など気にせずに何が何でも目的の少年を探し当てるつもりだったのでしょう。しかし、わたしの身体を選んでしまったことが不幸だったと言えるかもしれません。
「君に君の事情があるように、マリーにもマリーの事情がある。マリーもこの旅に目的を持っていて、その目的を投げうって、君の途方もない計画に賛同するわけにもいかない」
わたしの素敵な同行者達がわたしの願いを覚えてくれている限りはきっと、テルさんの願いを聞き入れることはできません。わたし個人としては、旅程で偶然出くわさないとも限らないので、小さく寄り道をするようにルートを変える寛容さはあってよいと思っています。
「……!ほら、あなた達のマリーって子、アタシの話聞いてくれるって言ってるんだけど!」
「こちらに声が聞こえない以上、私達には君のでまかせと区別できない」
「うーん……でもマリーちゃん優しいから、もしかしたら聞き入れてもくれていそうだけど。ただ流石に途方も無さすぎるんじゃないかな」
要望を完全に飲んだとは言っていませんが、どうもわたしの意見が聞こえる様子はありませんし、意見が机の上に置かれたとしても、冷静に却下される準備も整えられています。
「ぐぅ……じゃ、じゃあさ!いいの?それならこのまま身体を返さないってことになるけど、それでいいのね!」
「そこだ。君の要望を十全に満たせない以上、君のような存在を体外へ追い出すくらいしか、私達には対処ができないと思われるが……」
当然ですが、ここでの要点は人探しが見込み薄であることではありません。人探しをしなければわたしの身体を返してもらえないことにあります。元よりお願いごとではなく交渉であり、交渉決裂はつまり、テルさんはわたし達と敵対する存在であるという結論が出されるだけです。
「このブローチの元の持ち主を探すことは難しいだろうが、骨董商や宝石商を訊ねて彼らに見つけさせ、届けさせるのではどうだろうか。信頼できる人物に当たろうと思うとかなり難しいかもしれないが、仕事に矜持や評判がかかわるほどの知名度を持っていれば全うしてくれるだろう」
「……ダメ、もう知らない連中に触らせたくない」
もちろん、ウォーレンさんのこの提案も安全ではなく、大切なブローチをみすみす危機にさらしてしまうかもしれません。しかしそれ以上にテルさんはブローチが盗られてしまうことそのものを強く恐れているようでした。
「じゃあ、マリーちゃんとの旅が終わった後でテルちゃんのお友達探し開始ってことじゃダメかな?海を渡ってカンランって街を訪ねたらそれで一度ゴールになると思うから!」
「この上アタシはまだ待たないといけないって言うの?歩ける日だってずっと……ずっと待ってたのに。このブローチだって、早く、今すぐにでも返してあげたいの」
「カ、カンランまでは多分一月もあれば着くからさ、それまで……」
「カンランに着いて本当に終わるか分かんないんでしょ。あたしもそれは知ってるのよ!」
ウォーレンさんもアルカさんと向き合って困った顔をしています。わたし達から為せる歩み寄りには限度があり、加えて妥協案の全てをテルさんが我儘に突っぱねてしまう。これ以上頭を捻って結論が出ないうちに船がベリュールの横断を行うとなれば、やはり。外から見れば強硬な手を使うしかないのかもしれません。
「……っ!や、やだ!あ、アタシ……」
わたしの出した結論の声を聴いてか、皆さんのこちらへの視線が険しくなったわけでもないのに、テルさんはベッドの上で座ったまま後退りします。わたしは何もできません。今回は、ただの傍観者でした。身体があればきっと、テルさんの前に立って、絶対探してあげます!と一言手を取って勇気づけて、きっとその姿で皆さん納得していただけたかもしれません。わたしの身体を乗っ取られておきながら、この人の肩を持ちたいと思うのは、わたしがそれだけ騙されやすい性格だからなのでしょうか。
ひとまず、わたしが協力したいと言っていると、伝えてください!何か、探せば方法はあるかもしれませんから、今はひとまず……。
「……あ、あたし……は……」
しかしテルさんは、目線を揺らしてぽつりぽつりと言葉を漏らすだけです。先程指摘された通り、わたしからの言葉をでまかせではないと証明する手段を模索しているのかもしれません。むしろそれが、心の混乱を生じさせているのでしょう。
何か今、わたしが方法を思いつく他無いのかもしれません。なにか、何か考えつかなければ……。
「ねえ」
それまで、ずっと黙っていたハーツさんが口を開きました。
「確認だけど、その探してる男の子の名前って、ほんとにシュタールなのね?」




