72.
背後を振り返りましたが、人の影はありません。当然です。皆さんきっと、眠りについている頃でしょうから。
「どうかしたのか」
わたしの様子にウォーレンさんが気付いたようです。いえ、むしろそれで気が付くというのも変な話です。もっと前の段階、つまりは、
「声……?いや、私には聞こえなかった」
通る声でしたし、この静まり返った中であれだけはっきりとした発音を聞き逃すとは思えません。そうなれば、これはわたしに固有のことだと思われます。つまりそう、魔法が絡む話題です。
「以前話していた紋様での事や、あの巨大水晶に触れたときの事と同じものか」
時々わたしが出くわす超常現象です。紋様の件については、一回目はハーツさんと一緒、二回目はハーツさんに加えて、お姉さん魔法使いのカルタさん、それとお薬魔法使いのチェイムさんが一緒でした。まさか今度は船の上だなんて。でも……。
言葉で説明するのは難しいですが、少し腑に落ちないところがあります。確かに声が聞こえたのですが、それは『コエ』ではないのです。今までは、こう……ほわほわ~っと、耳の中をずっと反響して残るような音で、しかも具体的に何を言っているのかは判然としませんでした。それでもそれが『コエ』なんだと、理解や納得を越えて心に届いてくるものでした。けれど、今度のものは後ろの誰かに話しかけられたと勘違いするくらいに明瞭で、加えて『コエ』の時にはあった身体が引っ張られる感覚もありません。
「そうか」
ウォーレンさんはすこし考える仕種をします。
「魔法に関係しているかどうかまで含めて考えられる可能性は様々だろう。しかしそのうえで、その声は君を呼んでいる。なんにせよ君はきっと、その声の主を突き止めたいだろう」
もちろんです!せっかくの星空でしたが、もう少しだけご一緒してもらえますか?
「勿論だ」
わたしたちが乗った船は、甲板から階段を降りると、天井を支える太い柱の間にロープや木板を雑多に積んだ中層に至り、その通路の左右に大きさ様々なお部屋がいくつかあります。このそれぞれが、船が人を積みこむためのお部屋というわけです。部屋によっては部屋越しにいびきも聞こえました。わたしとウォーレンさんはこの通路を奥へ奥へずっと進んで、その先の階段をもう一つ降りました。船の揺れの音が一層大きくなり、海の匂いがより濃くなります。通路としての大きさは変わりないのに圧迫感を感じる下層は、荷物を積み込むためのお部屋です。長い雪の日々で搬出ができなかったベリルマリンからの積み荷が、船室の外にまで飛び出ています。
「この先か?」
おそらくそうです。あれから声は聞こえませんが、最初の声の方角から考えると、おそらく船底に近い場所にその主はいると思われます。そこを目指すくらいですから、わたしたちは今どっぷりと海に沈んだ部分にいることになるのでしょう。星明りが差す窓は当然なく、ウォーレンさんのカンテラで照らされている部分以外は完全に暗闇でした。
「乗組員以外は特に用もない場所だ。関係ない人間は立ち入らないようにとも言われているが……」
わたし達には用がありますし、この声に関してわたしは明らかに関係者です。つまり、立ち入りを許されていると考えて間違いないでしょう。
「ああ、だがなるべく静かに行こう」
こじつけの言い訳にウォーレンさんは一言で頷いて、カンテラの火で先を照らしました。
進めば進むほど、カビやコケの匂いがするだけで何かがある予感はまったくしません。けれど、もし何かが隠されているのなら、それは船に荷物を運んだ人達には気づかれなかったものということになります。注意深く観察しなければ気が付かないのなら、それに越したことはないでしょう。船体が急に大きく揺れ、音が船の通路を大きく震わせました。一瞬波に煽られただけのことなのでしょうが、それでもこの期待感を膨れ上がらせるにはちょうど良い演出です。
大きなツボの側をするりと抜けて、木箱を一つひょいと越えると、船室のひとつの扉が眼の前にありました。大量の荷物に囲まれつつも、外開きに開けることはできそうです。
「ここか?」
あとからウォーレンさんが追いつきました。歩いた距離を考えると、ちょうどこのあたりが甲板で声を聞いた場所の真下です。何かあるとすれば、この部屋じゃないでしょうか。わたしは、宝箱を開けるように、その扉のノブに手をかけました。しかしそれをウォーレンさんが手で止めます。
「私が開けよう。もしかすると君に危害を加えるようなものがいるかもしれない」
カンテラをわたしに手渡して、ウォーレンさんはわたしの前に立ちました。自分で開けてみたいとも思っていましたが、思えば怪しげな声に招かれて扉を開けた、だなんて、それこそそのまま怪物に食べられて終わりを迎えてもおかしくないでしょう。ウォーレンさんの背は、たとえ大蛇が出ても丸呑みにされるどころかすぐに頭を切って倒してしまえそうでした。
息を呑んでわたしが見守る中、ウォーレンさんはノブを回し、扉を開けます。後ろから顔を覗かせて室内を見回すと……やっぱり、います。部屋の隅に近い場所、木箱や麻袋の間に一人、少女が足を垂らして座っていました。わたしと同じくらいでしょうか?暗がりで少し見えづらいですが、人形ではないと思います。
「あれっ、ほんとに来たんだ」
その証拠として、こちらが扉を開けたのに気づいて、視線をこちらに変えます。聞こえる声も、さっき甲板で聞いたものと同じです。間違いないでしょう。
「何か見つかったのか?」
ウォーレンさんがそうわたしに尋ねます。今の声も聞こえなかったのでしょう。わたしは少女の座る木箱の位置を指差し言葉でも説明します。そして、どうですかとウォレーンさんの顔を見ました。
つまり少女から、ただその一瞬目をそらしただけのはずです。
「ありがとね?」
急に耳元で、そう囁く声が聞こえ、慌てて振り返ると、さっきまで部屋の中にいたはずのその少女はわたしの直ぐ目の―――――




