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その後はアルカさんとわたしがここまでの体験話をクロルさんに聞かせて時間を潰しました。背もたれは豪華にもドラゴンのお腹のあたりです。ただしわたしの話題が尽きるのは当然早く、そこから先はアルカさんに番が回りました。ハーツさんも喋ってくれれば……とは、ここまでの流れから急には言えないですが。
しばらくのアルカさんの母親自慢を聞いていると、なんとなくハーツさんの左腕が恋しくなって、ちょっとずつ座る位置をずらしていたら、ぽむっ、と頭の上に人の手が乗って、ゆっくりと撫でられました。背中から伝わる体温と、頭頂から伝わる感触は、外の雪の寒い一日の中に優しい安心感を与えてくださります。空では日が落ち始めて、しばらく蝋燭を灯りとしてはいましたが、どうやら睡眠をいただく上でも丁度よい時間になってきたようです。
「思った以上に時間かかってるみたいだし。今日はここで一泊しちゃいましょうか」
ご主人さんにはご連絡しているのですか?経緯を辿ればいいえでありそうなことは簡単に推測できます。
「あっ、たしかに一日帰ってないと心配されそう……」
「まあ大丈夫でしょ。今日一日、雪で営業できないとは言ってたし。でもウォーレンについでに伝えといてもらえば良かったかしら」
怒られる時は側にいてほしいです。あの人は普段がニコニコしているだけに怒ると怖そうです。わたしの警戒をやや乱雑に受け止めたのか、ハーツさんは半笑いに了承されました。かなり真剣なのですが。
ハーツさん持参のブランケットの真ん中をいただき、アルカさんとハーツさんに挟まれてクロルさんに、よりもたれかかります。
「まさかドラゴンに寄りかかって眠る日が来るなんてね!」
「正直、あたしが一番びっくりしてるとこよ。昔のあたしに言っても絶対信じないわね」
灯りも消えて、おやすみ、の言葉をもらってしばらく目を瞑っても、最後に気になることが頭上をぐるぐると巡っていました。目を瞬いて、もう一度閉じて、まぶたの裏側に飽きてまた目を開きます。今日を終わらせたくないのでしょうか。隣の寝息がますますわたしを急かします。
「眠れないの?」
思い切って聞いてみたほうがいいのかもしれません。
「……あたしの昔のこと?」
最後まで教えてもらえなかったので。話しにくいことなら、それこそ話しにくいところ以外の部分だけでも……。
「ごめんね」
声色は優しかったのですが、その謝罪はどこか昼間に初めてドラゴン少年を見た時のハーツさんを思い出させました。
「やっぱ、あたしの様子が変だったから気遣ってくれてるんでしょ?でも、でもね……」
頭を撫でられます。誤魔化されそうになりますが、せめて尻尾を捕まえたいです。何か、辛いことだったということでしょうか。
「あたしの中で飲み込んで、なかったことにしようって決めたことなの。誰かに話して、それで変わることは一つもないし、ただ、悲しい気持ちにさせちゃうだけだから」
勿体ないです。過去のハーツさんにも立派な生き様がたくさん刻まれていることでしょうに、全部なかったことにしようだなんて。なら、
「ん、なあに?」
いつか、いつかでいいです。ハーツさんともっともっと、悲しいなんてそんな気持ちが吹き飛ぶくらい仲良くなれたら、昔のこともおしゃべりしましょう!わたしがもっと大人の女性になってハーツさんと同じくらいの背になってからでもいいです!
「ふっ、なにそれ」
また真剣に受け止めてないみたいです。
「そんなことないわよ、約束ね」
絶対です!
「なら、よく食べてぐっすり眠らなきゃね」
わたしはその忠言に従い、ブランケットの中へ顔を半分ほど埋め、目を閉じました。布一枚越しに、胸のあたりを動悸に合わせるようにぽんぽんと優しく叩く手が心地よくて。
また。またここです。本当は夢の中だと気が付くはずもないのでしょうが、何度も経験させられているとわたしも簡単に気が付くようになります。白く白く、どこまでも何もない空間。
緑色の澄んだ大きな水たまりの上、足を置けば透明な塊の上にわたしは立ち上がることができます。今回は地べたに寝転がったところから始まりました。身体を起こしたときに髪と顎から水滴が流れ落ちた後、わたしの全身は乾ききったように何事もなく、びしょ濡れになった少女の姿などどこにもありません。
『彼』からの呼び出しでしょうか。いや、その線は薄いと思われます。『彼』は前回に伝えるだけのことは伝えた手応えを持ってわたしと別れていたように思います。
ならばこれはただ、わたしの奥底が見せる気紛れということでしょうか。歩みを進めます。跳ねる水は見えているのに不思議と音は聞こえません。しかし喉を開いて声を張ると、耳にわたしの声が澄んで響き渡ります。無茶苦茶です。挑発的に煽りの言葉に代えて何言か叫び、部屋の持ち主を炙り出しても見ましたが、わたしの練習不足でこの簡単な作戦には引っ掛かってくれません。または部屋の持ち主がわたし自身か。
まったく。わたしは、腰から床に座り、一つ息を漏らします。地面に付いた両の手が僅かに粘性をもった水に捉えられて引っ張り上げては音もなく波紋を広げます。指先から液体が滑り抜けて、その手の平には何も残りません。何がしたいのか、何をさせたいのか。独り。そう、独りでした。誘拐を受けたとき、あの時と同じ。でも、何故こんなにもこの独りが物寂しくないのでしょう。まるで……。
……まずい、これは、これじゃだめです。
……えっ?今、わたしは何に危機感を抱いたのでしょうか。何がダメなのか、このままだと何が起こるのか、わたしは自分に説明を求めましたが、返される言葉はありません。なんでしょう、この、このただ漠然と……指先から少しずつ……。
そうしてわたしがわたしの身体の末梢を見つめると、またあの……轟音。空気が揺れ、地が呻き、水面は混乱の波紋を方方に広げます。居る……下。蠕く世界が思い出したように水塊を砕いて、見える先では世界の末端として奈落へ流れ落ちる大きな滝が刻一刻、近づきます。そうして落ちた先はきっと……あの黒が、わたしを丸々と飲みこもうと待っている。
息が上がる。心臓が跳ねて、喉が震えて、その次のとき、わたしは急遽、世界の畢りに背を向けて、脚を動かします。逃げなければならない。飲まれてはならない。アレは……アレはわたしを殺してしまうんだ。消えて、溶かされて、そして、わたしが残らなくなる。
足下はここぞとわたしの歩調を苦しめ、そして、踏み込むわたしを嘲笑うかのように、急にわたしの足場としての信頼を裏切りました。身体がおちる、沈んていく。水の中にわたしのすべてが沈んだ時、途端に息苦しさが膨れあがって、四肢を振り回して、しかし水面はどんどんと通さがります。次第に光は遠くなり、白一色だった世界は暗い緑に支配を受けます。いやだ、いやだ、くるしい、わたしは、わたしはきえたくない……ちらと見た水底には、それがいます。何かを伸ばして、わたしを歓迎しているようでした。息苦しさに開いた口には液体がもぐり込み、鉛のように重くなって身体は何の抵抗もできません。
だれか……だれか……。
水面を見つめて、わたしは手を伸ばします。それで身体が浮き上がるはずもないのに。
ところが、全身が急に大きな水の流れに絡め取られたように包まれました。その流れは温かく、心地が良いのです。流れは沈みゆくわたしの身体を持ち上げて、黒色から遠ざけます。そして、ゆっくりゆっくり……呼吸を整えて安心させてくれるように……。
「起きたか」
「あ、みたいね」
ブランケットの中へ中途半端に沈み込みつつ、わたしの顔をのぞき込むウォーレンさんの顔を見ました。戻っていたんですか。
「調べはもうついた。ただ、君が起きるのを待とう、と話していた」
周囲をよく確認すれば、もたれかかる相手がいつの間にかハーツさんに代わっています。相当に占有していたあのドラゴンの姿もありません。人間の姿に戻っているようです。
「クロルが起きて人間に戻っちゃって、みんな地べたに寝っ転がっちゃったのよね。あたしはそれで起きちゃったし」
「僕もびっくりしちゃった〜。起きたら背中がめっちゃ冷たくてさぁ〜」
どうやら背もたれが急になくなった影響が、各所、もしかするとわたしの夢にも現れていたのかもしれません。
「もう起きるなら、クロルの話を始めようと思う。だがもう少し寝ていたいならそれでも……」
ウォーレンさんがそのあたりまで言いかけたところで、わたしは首を振ります。でも、すぐには起きれないです。だから、それまでの間、皆さん、側に……一緒にいてほしいです。
「……もちろんだ」
ウォーレンさんはそれだけ言って何も聞かずに頭を撫でてくださいました。悪夢は所詮悪夢です。この手がその証明でした。




