45.
咆哮。次に大きく息を吸い込みました。隆々たる胸部はより強く張り、予備動作と受け取ります。来る!背後、呆然とするアルカさんの手を持って、わたしは向かって右に走ります。
「わっ、とと!」
急に腕を引っ張っりましたがなんとかついてきたようです。すぐ側、金切る高音が掠め、さっきまで立っていた場所を縦薙ぎに、雪の地面から路地の壁が凍りつきました。あれに当たったらただでは済まないでしょう。
「あ、ありがとうマリーちゃん」
感謝は一旦後回しです!わたしたちを待つでもなく、巨体はその翼を雄に羽撃かせ、ぞんざいにこちらに突撃します。
「基礎防陣!……ぐっ!」
デタラメでも重量に任せた攻撃は咄嗟の防御では押し切られ、しかし受け捌いて致命の一撃は免れました。流された竜は勢いのまま煉瓦塀をガラガラと崩し倒し、それをものともせず、破片を払って再びこちらを睨みます。次が来ます。隣ではアルカさんが炎の関連の反撃手段を作っています。
「……ちょ、ちょっとなにするのさ!」
駄目です!杖の先を降ろさせて魔法を中断させました。
「駄目って、やらなきゃやられちゃうよ!」
とは言っても相手は元々少年です。もっと平和的に解決すべきです。まず突然ドラゴンに変化してわたし達を襲い始めたのは……もしかしなくてもわたしが問い詰めたせいでしょうか。今更ですがわたしが引き金を引いたのかもしれないだけにアルカさんはあまりにとばっちりです。
「いいから、こっちも反撃を……あっ……」
口論の結果、三回目の攻撃の時間が来ました。大きな哮りの後、大きく吸い込まれた空気は、冷たく、痛く吹きつく風としてわたしたちを氷漬けにすることでしょう。まさか海よりも先に凍ることになるとは。避けるべきなのに、足が動きません。アルカさんも動けないようです。牙の奥、冷気が青く集まり、その一瞬が、わたしたちに最期を見せるように長く、長く……吸い込まれるように……。
その長い一瞬の先にあるものを感じて、わたしは顔を伏せて目を瞑りました。防御策として毛ほども役立たなくともそうするしかありません。視界から逸らした冷たい事実が瞼の先に飛んでくるのを待って、アルカさんの腕にしがみつきます。しかし、待てども待てども、その長い時間が終わりません。恐怖は襲い来るまでが長いものです。が、やはり長い。再び顔を上げて目を開けるくらいの時間があるということは、実際に時間がいくらか過ぎ去ったということでした。
「あ、れ……?」
同じく諦めの心に居たアルカさんも、同じ反応です。すぐそばまで来ていた死神は、集約されていた青い強光と一緒に消え去っていました。重く、倒れる音。煉瓦塀がさらに崩れ落ちて積雪がドサリと降り積もりました。姿勢制御を失った巨大生物は顔を半ばに埋めて息を漏らしました。一体何が?
「マリーちゃん、がやったの……?」
わたしじゃないです。もちろん、わたしが感知できないタネか仕掛けが何処其処の彼に植え付けられていた場合は別ですが、わたし自身が意図したものはありません。
目の前に突如現れた危険はその後、するすると小さくなってわたしと同じくらいの背丈で同じ見た目の同じ生き物に戻りました。青白色の髪色も着ていた服装も元通りです。アルカさんは近付くことを躊躇っていましたが、この状況、戦闘不能と見て間違いありません。
「えっ、近づくの!?」
崩れた煉瓦塀の欠片の山を踏み越えて不安定な頂上に到達し、男の子の身体に接触します。あんな鈍い音で突進をしていた元ドラゴンは、小柄なわたしが腰から持ち上げて少し大変に感じるだろう程度にまでコンパクトに仕上がりました。
「ねえ。あ、危なくない?」
アルカさんは及び腰が過ぎます。いつぞや、巨躯の数々に立ち向かった心意気はどこに行ったですか。
「それとこれとは別だよぉ……」
肩を持って少年の体を起こします。目を回していました。大丈夫でしょうか、わたしはほっぺをペチペチして意識を問います。
「うぐぅ……」
反応があります。
「ご……」
ご?
「ごは……ん……」
空腹のようです。ドラゴンから戻ったのもそれの影響でしょうか。
腕を引っ張り、腰元を掴み、身体を引き摺ります。本当はハーツさんみたいにひょいとおんぶができればいいのですが。
「ま、まさか連れて帰るの!?」
当たり前です。こんなところに野ざらしで放っておいたら死んじゃいます。お腹を空かせているなら尚更です。
「やめようよ!ドラゴンなんて連れて帰ったら絶対危ないって!ハーツちゃんとかウォーレンさんとか、絶対怒っちゃうよ」
倒れた人間一人をここに見捨てていったらそれこそ絶対二人に怒られます。それに、こんな奇異な特性を持った御仁、たっぷり事情聴取できるチャンスはこのくらいしかありません。食堂で今日のわたしの分のお夕飯になるところを分けてあげて、落ち着いたらお話を聞きましょう。さぁ、アルカさんも手伝ってください。瓦礫の山は足場として不安定で、引き摺っていこうにもわたしが転びそうです。
「そ、そうは言っても……」
アルカさんがゴネて手伝ってもらえず、ついぞ、何故魔法として単に筋力を引き上げてくれる簡単なものをあれは教えてくれなかったのかと何処其処の彼への文句を頬の中に詰め込んでいると、屋根上からカッカッと駆ける音。
「えっ。マリーにアルカも、海の方に行ったんじゃなかったの?」
ハーツさんです。ウォーレンさんはいないみたいでした。
「あいつはあんたたちのことを迎えに行かせたんだけど……というか、この辺で竜種の咆哮聞こえなかった?多分まだ近く……」
後からこの現場を見て、居るはずだった生物が見当たらなかった場合、当然関心は崩れた煉瓦とわたしのお手柄に移ることでしょう。
「その子は?」
隠す必要もありません。さっきまでの大暴れドラゴンです。お腹が減ったようで今はわたしに引き回されています。ハーツさんが来ればもう問題なしです。この子もおんぶしてもらって帰りましょう。お願いします!
「……アルカ、ホントなの?」
アルカさんはわたしとハーツさんを交互に見てからコクリと頷きました。それを見て、ハーツさんは少し考え込んで、
「……マリー」
ハーツさんは優しい方で、優しい口調で、でも、凍り付くような目でわたしを見ていました。
「その子、預かるわね」




