108.
視界の混乱が収まったとき、体表面を覆う空気の温度の違いを感じました。ほんのり温かく、そして乾いています。
「これで移動できた……みたいね」
ハーツさんもウォーレンさんも両方、ちゃんといます。
周囲を見渡します。遠景は砂……いえ、あれは灰です。白い白い灰。地平の全てを埋め尽くし、何かをたくさん呑み込んだことでしょうが、皮肉にも陽の光を浴びてキラキラと光っているようでした。
すぐ右手には空を突き刺そうとしている高い山がそば見えました。山頂からは黒くゴツゴツとしたものが固まった血液のように垂れていて、それは山肌の向こう側へと流れています。
近景には儀式的な紋様の入った脚の高いテント屋根が見え、わたしの頭上で陽光を遮ってくれている屋根の布もおそらくその一種です。足元には魔法陣。きっとわたし達をここまで運んでくれたものです。
「見回したとしても、面白いものは何も見つからないぞ」
釘を差してきたのはクリフォアさんです。危険なものがないことだけは確認できました。
「少し歩いてもらう。あのテントまでだ」
山に近付く方へ少し。他より少し大きく、垂れ布で覆われたテントの中へクリフォアさんは入り、わたし達もそれに倣います。
「先に、身に着けているものを外してもらう」
クリフォアさんはわたしに一枚の薄い布を差し出しました。広げることでようやくその布が衣服の機能を有した布であることに気が付きます。加えてわたしが着たこともある布だと思われます。
「感謝しろ。本来、このようなものも準備されることはない」
「そういうのイチイチ言わなくてもいいんだけど」
わたしは着ていたお洋服を脱ぐことにしましたが、ハーツさんにテント内の隅の方へ誘導され、ハーツさんの陰に隠れて着替えることになりました。あまり変わらないとも思うのですが。
着替えると、布の触り心地をとても懐かしく感じました。最近の夢の中でも一度着たことがあったかと思いますが、所詮は夢です。現実にしかない実感というものも確かに存在します。
そしてわたしは、クリフォアさんにテントの中央へ誘導され、数名の黒ローブたちに謎の道具を使ったいくつかの検査を受けました。首を少し捻るとハーツさんとウォーレンさんが視界に映ります。二人共、怪しいことをしないか、またわたしに危険が及ばないか、注意深く見てくれています。腕につけられた金属の冷たさに小さく声が出ただけでも、
「ちょっと!今の大丈夫なの?」
そう声を荒らげて抗議してくださいます。ウォーレンさんももっと強い異変が有ればすぐにでも割り込んで拳銃で臨戦しそうです。クリフォアさんも無作法・粗雑に返答するものですから、二人共一層気をもんでしまって、そのためわたしはむしろ二人に余計な心配をされないように、自分の身体に違和感がないうちはできる限り混乱を招く反応を抑えることにしました。
全身を、毛先の一本から足の爪まで観察されたかと思います。見られる側も疲れるものですが、黒ローブたちはきっともっとでしょう。その間、クリフォアさんに何度かローブが報告をし、クリフォアさんはそれを聞いて頷き、時々指示出しをしました。それらが終わって思考が少し。そして、
「では、再び移動してもらう。……が」
クリフォアさんはそこで言葉を切って、
「先にも言ったが、両人が付きそうのは一度、ここまでとする」
「今の様子を見てても、正直異論は有りまくりなんだけど?」
「我々としては、むしろマリーをとても好意的に扱っている方だということを忘れないで欲しい」
結局ここの言い争いになりました。
「貴様等がマリーに危害を加えることは一切ないと、そう言い切ることはできるか?」
「どうせ我々がどれだけ弁を尽くしても確たる信頼を得ることはできないのだろう?」
クリフォアさんは諦めを両手の振りに乗せて伝えます。
「内容くらい聞かせなさいよ」
「内容こそ我々が開示できないものだ。……そうだな。ここまでは身体構造のような表面的な情報の収集であったが、ここからは内在する性能そのものを測る必要がある」
説明そのものにぼかしや騙くらかしがあるのか、その言葉に嘘が含まれていることを感じ取りました。もっとも、知識のない人間にならそんな説明でも問題ないだろうという傲りとも感じられます。
「……やっぱりあたしとしては反対よ。こんな奴等、信用できない」
検査の終わったわたしをハーツさんは抱き寄せて、
「でしょ、ウォーレン」
「……」
ウォーレンさんはわたしの方を見ました。わたしの意向を探りたいのか、あるいは、その眼でわたしに危険性を訴えているのか。いずれにせよ、わたしは自分のすべきことに忠実であるべきだと思いました。そのことを言葉にします。
「マリー、でも……」
心配ご無用と口にするたび、二人の心配はどんどんと膨らんでいる気がしました。でもわたしはこの人達の希望に寄り沿うと決めました。ちっぽけなわたしが、多くの命を救うという壮大な使命を全うできること。それはこの上なく幸せなことだと信じて。あとは……わたしと同じような存在がもう一人生まれたら、お友達になれるかも、とかでしょうか。
「余り時間を掛けさせないでほしいんだがねぇ」
横槍を指したクリフォアさんへハーツさんはギロリと睨みを利かせます。ただ、それでもわたしの言葉を正面から反駁することはありませんでした。
ウォーレンさん、許可をください。
「……」
ウォーレンさんは、わたしに目線を合わせて、
「君が望むなら」
それだけ言いました。
ハーツさんが上手く交渉して、ギリギリまでわたしはお二人と一緒に次の検査場所まで移動しました。火山の岩肌をくり抜き、そこから階段で地下へ降りる実験施設。入口付近は特に地面に降り積もった灰が人為的に取り除かれ、階段の段差の始まり、その両端にまだ灰が少し残っていました。この場所の以前の状況が伺えました。入口でハーツさんとウォーレンさんの二人に手を振り、何かあったら大声を出してと約束をしてからわたしは二人を振り返ることなく、黒色のローブたちに囲まれたまま、アムシースのなんとか官さんの後ろを歩きました。
折り返す階段を裸足でぺたぺたと歩き、幾つかの階を見逃します。その度に、散らばっていた白灰は徐々に消え去ります。奥へ、奥へ。進むと胸が締め付けられる。暗闇が近づいている。わたしは自分の心の騒めきを誤魔化そうと、クリフォアさんに声をかけました。例えば、わたしくらいになら、何をするのか話してくれたっていいのではないかと。
「……」
クリフォアさんは何も言いませんでした。こちらを見向きもしませんでした。
最下層。部屋の外からほんのりと緑の光が漏れていることがわかりました。光の源は、中央の貯水槽。照明もない室内を大きな直方体として仄明るく照らしています。水槽以外にも何かの装置が並んでいますが、
「行け」
クリフォアさんに促され、わたしは部屋の中を観察する時間も殆ど取れないまま、水槽に隣接された梯子を上ります。透きをもつ緑青色。自然な考えだと思いますが発光している液体が安全とも思えません。水底に沈んでいるものがあるか確認したくて、わたしは水槽の縁から中を覗き見ようとしました。
視界が、大きく揺れる。水面が立ち上がる。背中を蹴られた。倒れ様に後ろを振り向くと蔑むように冷たい目のクリフォアさんの顔が見えました。




