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短編集 〜 カレッジノート〜 

天空からのバレンタイン 

作者: 星川ぽるか

 断固として私はここから降りない!

 天空に駆け上がり早四時間。閉鎖的楽園の箱舟、唾棄すべき現世と隔絶した乙女の花園にして私の避暑地。聖女天空神殿の一室で私は栄誉ある籠城を行っていました。

 ドンドンと叩く扉はかつての戦友たちです。

「早く出てきて降りてきなさいな! 今日が終わっちゃうわよ!」

「望むところ! さっさと終わればいいのだわ!」

「変な言葉遣いしないで」

 乱暴な物言いは私を案じてのことなのはわかります。ですが私は一度(こも)ると決めたら喉が枯れても籠るのです。トイレだって我慢します。

 戦友が躍起になっているのには訳があります。人類が待ち侘びた今日はバレンタイン。恋人がきゃっきゃと細やかに踊り、無責任に期待を膨らませて色めき立つ可愛いらしい男たち。こっちの気も知らないで「もらえるかも」と浮かれる様はこっちが恥ずかしくなるくらいピュアです。普段は破廉恥に妄想を弄ぶくせに、この時ばかりは聖バレンタインの祈りが届くのか、驚くほど純朴に衣替ころもがえ。髪を整え、髭を剃り、平然を装っています。本当にお馬鹿さんです。

 男子からすればバレンタインなんてただ待ってればいいだけの神様の粋な計らい。じつにウキウキでしょう。

 しかし私たちは違います。乙女が勇気を踏み出す一日。そう、これは乙女への試練です。無用の長物とはまさにこのこと。何故、可憐な私たちが恐怖を押し殺して甘いチョコを用意しないといけないのでしょうか。好きな子がいるならそっちから動きなさいよ情けない。

 ですが戦友たちは違います。

 今日を死地と定め、乗り越えた先に待つチョコも顔を背けるくらい甘酸っぱいlovely lifeに想い馳せてチョコを作ったんです。坂本龍馬もびっくり。待つだけの女は流行らんぜよと息巻いて、デパートに可愛い箱とリボンを買いに行きました。こういう時、戦友との絆は時に牙を向くもので、私もやらざるを得なかったのです。まさに悲劇、ボロロンボロロン。

 本当に渡すに値する価値のない男で溢れていれば良かったのですが、不覚にもこの私、「及第点かな」と胸打った男子がいたのです。それは同級生で違うクラスの一条君。もう一条君という名前の響きから私は気に入りました。見た目も清潔感があって、何より哀愁漂う左目の下にある涙ぼくろが致命的な魅力を発揮していたのです。これはほくろフェチというのでしょうか? ともあれ、私は盲目にならない程度に一条君を目で追いました。図書委員会で一緒になるくらいの市川並みの底の浅い関係ですが、まあほどほどに楽しい時間でした。彼のことは片手で足りるほど知っています。私が知りたいことはそのくらいで充分だったので、私の好きは指5本くらいです。彼は目が悪くて眼鏡をしている。抹茶を好み、トマトを嫌う。姫路バイパス下のコンビニでバイトしていて、週に一本ゾンビ映画を見ている。

 知っているのはこのくらいです。知りすぎてはせっかくの涙ぼくろの魅力も霞むというもの。

 ですが戦友にこのことをうっかり話してしまったのが運の尽きでした。

「それもう好きじゃん! 夏凛かりんも渡そうよ!」

 一度火のついた乙女たちはジャンヌダルクも慄くほど突っ走ります。私は撤退の機を逃し、ずるずると今日まで来てしまいました。もちろん、彼女たちの熱に当てられて一条君との恋人生活、青春の代名詞的生活を清らかに妄想したことは認めます。バレンタインって良いなとか都合良いな、神様万歳!という気持ちにもなりました。

 しかしそれも今日まで。本番当日になって私の目の前に怪物が現れたのです。音もなく私の心に忍び寄った怪物は囁くように言いました。もし受けとってくれなかったらどうしようと。たった一言。それは私の森羅万象に波及して、瞬く間に私を骨抜きにしました。骨の代わりに石をどっさり。私は身動き一つ取れず、高校をサボタージュするしかありませんでした。ですが怪物は私に何度も囁きます。上手にできたの? もしかしたら好きな人がいるのかも。私のことなんて眼中にないのでは? チョコがトマト並みに嫌いかも。

 暗黒の囁きは私をこれでもかと嫌にさせました。下手にチョコを用意したのがなおさら、私を疲れさせました。

「もうしんど」

 私は残りの力を振り絞って、天空へ逃げたのです。

 それは聖バレンタインが乙女の避難所へと用意した天空神殿。恐怖で震える心を守る優しい布団。そして心の準備をするための発射台の役目を持つ十四日の拠り所。戦友たちはそれぞれ怪物の声をもみくちゃにして天空神殿からチョコを渡したそうです。

 今も扉を叩き続ける彼女たちは運良く死地を乗り越えたようですが、私は違います。こうして自力で天空まで昇ってこれましたが、もうここが精一杯。怪物の声はほとんどなくなりましたが、今はバレンタインを呪ってやりたいくらい嫌でした。

 本当の瞬間ほど怖く嫌なものはありません。私は静かに唱えました。

「雨よ、降れ」

 私の願いが届き、空からたちまち雨が降りました。

「夏凛! あんた雨降らせたでしょ! 一条君のところに行かないの?」

「行かないから降らせたの。私は別に焦がれるほど好きじゃないし、バレンタインだって嫌いよ。なんで私たちがチョコを渡さないといけないの? 男なんて自然と寄ってくるんだからそれから選べば良いのよ」

「男はそうでしょうけど、好きな人は自分で選ばなくちゃいけないの! 好きだから欲しいのよ! 一条君が誰かのものになってもいいの?」

「どうぞご自由に。勝手にしやがれ」

「頑固者!」

 私が籠城を決め込めてさらに一時間。すっかり夜も深まった二十二時半。土砂降りの雨が叩きつけるように窓に降る。部屋はなんとも暖かいけど、外は震えるほど寒そうでした。あと少し、ここで辛抱すればバレンタインは終わる。天空神殿から一望する兵庫の夜景はもったいないけど、早く日付が変わることを祈りました。

 瀬戸内海のさざなみが聞こえます。一条君は今頃バイトでしょう。忌まわしきバレンタインなんぞに振り回されているようではこの先が思いやられます。

 そう思った矢先、地響きのような鐘の音が神殿内に響き渡りました。体が途端に飛び跳ねて、すぐそこで巨人が目覚めたような気がしました。しかしすぐに扉向こうの戦友が声を上げました。

「ああ、もう日付が変わったじゃない」

 落胆する戦友の声に私はグッと拳を握って天井に掲げました。さらば! 乙女の試練。異国の文化の押し売り。私が買い上げると思ったら大間違いだ!

 景気付けにさらなる豪雨を呼ぼうと思いましたが、そこは淑女の心。下界の男たちとはいえ無用なずぶ濡れはかわいそうです。ただでさえ女の子から貰えない涙でずぶ濡れなのでしょうから。もしかしたら一条君も今頃家の枕をぐっしょり濡らしているやもしれません。明日は思い切ってからかってあげようかな。

 私はようやく重荷を下ろせました。これぞ身軽。るんるん気分で幾重にかけた扉の錠前を外すと、戦友の恵子がため息を吐いていました。

「あれ? 他のみんなは?」

「諦めて帰ったわよ」

「そうなんだ。それは良いことね」

 満面の笑みを浮かべた私は今すぐカラオケでオールしたい気分でした。ロックンロールは鳴り止まないのです。これはすぐにでも歌い散らかしてあげなければ。

「ようやく今日が終わりね。恵子私のチョコでも食べる?」

上機嫌な私と反対に恵子は頭を抱えていました。

「そうね。また今度もらうわ……」

 私は何やら不穏な空気を感じました。まるで雨が降りそうな気配を感じて恵子を訝しんでいると、

「確保ーーっ!」

 突然、叫びました。

 恵子の雄叫びと同時に物陰に隠れていた他の戦友たちが私を取り押さえました。

「何故に!」

 私は動揺しましたが恵子の下卑た笑みを見て状況を察しました。

「謀ったな!」

「ようやく出てきたわねこじらせ女。さっさと一条君に渡しに行くわよ」

「絶対に嫌!」

 鐘の音は彼女たちが勝手に鳴らしたようです。なんて悪辣。そんなに可愛い私に傷ついて欲しいのでしょうか。私は断固として動きません。我、岩なり……

「バレンタインなんて吐き気がする!」

「じゃあこの可愛いリボンは何よ。渡す気満々だったんでしょ?」

 恵子が私のチョコを持って叫びました。

 六角形の箱にベージュのリボンがついたチョコを見せびらかしてきました。私はつい顔を背けてしまいます。

「今はありません。私は渡しません。何があってもね」

「まさに天の岩戸ね。鬱陶しい。これじゃあ一条君も貰わないほうが良いかもね。どうせなら本当に好きな子からもらった方が良いもの」

「そんな風に煽っても無駄だから。一条君はどうせ高校の時、実は穴場物件だったんじゃない?って卒業してから気づくような男子だし、それで同窓会なんかで久しぶりに再会したら予想以上にかっこよくなってたから唾をつけに行ったらもう彼女がいましたっていうパターンの男子だから。今彼のことが好きな女子とか皆無だから。時空的に見て」

 饒舌に一条論を展開してみせた私でしたが、恵子は顔色ひとつ変えずに口を開きました。

「一条君、もうチョコもらってるわよ」

 火事場の馬鹿力でしょうか。私は覆い被さっていた戦友たちを孫悟空のように跳ね除けて、恵子の肩を掴みました。

「まじ?」

 冗談だと信じたかった私の希望虚しく、恵子は「まじ」と返しました。

 私は途方に暮れました。一条君に惹かれた女が私以外にもいたことにではありません。戦友たちと同じように怪物を打破して彼にチョコを渡したことにです。昨今、異性にチョコを渡すなんて少なくなっているバレンタインは風化の一途を辿っています。だからこそ、恵子たちは戦友となったのですが、尻尾巻いて逃げている私と違い、成し遂げた女がいることが悔しく、一条君がその子のことを想っているかもしれない。それが傲慢なことにたまらなく嫌でした。

 その嫌悪感が私を突き動かしました。

 神殿の外に出ると、空は雨雲に覆われて土砂降りの雨でした、下がった気温で吐く息は白く、ひどい湿気で服の中はびしゃびしゃでした。

 一体どこの馬鹿が雨を降らせたのでしょう。そんな野暮なことは聞きません。私はキッと街を睨みました。どこの馬の骨かは知りませんが、チョコを渡した勇敢さに拍手を。しかし、一条君は簡単に渡せません。

「降りるの?」

 恵子が言いました。

「ここで降りない方がもっと嫌じゃい」

 今一度、私は乙女の試練に挑みます。

 天空神殿から夜空に向かって跳びます。一条君はまだコンビニバイトをしているようでした。滑空する私は聖バレンタインの加護を持って悠々と天空を自在に飛び回り、冷たい雨に打たれながら彼のバイト先を目指しました。


 コンビニの前に降りると、タイミング良く一条君が傘を差して帰ろうとしていました。

「一条君!」

 考えるより先に彼を呼ぶと、彼は瞳を大きく見開きました。涙ぼくろが今日も素敵です。

「笹森さん? どうしたの? ずぶ濡れじゃないか」

 彼はいそいそと鞄からスポンジ・ボブのタオルを取り出して私に渡してくれます。

「ありがとう。ちょっと空を散歩してたの」

「空を? こんな雨の日にかい?」

「雨が好きだから。人が少なくなるもの」

「図書室の時とは違うんだね。なんというか、奔放だ」

 苦笑する一条君を前にして、私はなんだか冷静さを取り戻してきてしまいました。心臓の音が大きくなって、何をいうべきか判然としません。アドレナリンが切れてきたのです。由々しき事態でした。

「それで空を散歩してここに立ち寄ったって感じ?」

「そうです。一条君はここでバイト?」

「今終わったとこだ」

 大変です。いつもなら何も考えずに続いていた会話が、今は気を抜けばすぐに終わってしまいそうでした。話していないと彼が帰ってしまいそうで、私は柄にもなく慌てました。

「結構長かったんですね」

「今日、バレンタインコーナーを解体してたんだ。おかげで時間押しちゃって」

 これは僥倖。一条君の口からバレンタインの言葉が出てきました。私は渡りに船と思い、話題をバレンタインの方へ持って行きました。

「誰かからチョコはもらったの?」

 思い切って聞いてみます。コンプライアンスを踏んでしまったかのような落ち着かない気持ちになりました。一条君は一瞬、私から目を離して気まずそうに言いました。

「貰ったは貰った。嬉しかったよ。こんな僕でもって思った。でもよく知らない人だったからどうするべきかわからなかった。もしかしたら義理チョコかもしれないしね。何人かにあげてたし。うん、これは義理だな。どう思う? 笹森さん」

「義理です」

 私は花も殺すような満面の笑みで瞬時に答えました。

 ええ、だって義理ですもの。何人かにあげるチョコで、しかもよく知らない間柄なんて義理以外なんでもないでしょう。日本の義理人情文化も考えものです。

「そっか〜、やっぱギリか〜」

 落ち込む一条君に私は自分で用意したチョコを彼の前に差し出しました。

「どうぞ」

 心臓の音がうるさくて、自分の声すら聞こえませんでした。

 一条君は俯いていた顔を起こして戸惑っていました。私の心臓は暴走機関車のような音を鳴らしていたので、それから先の一条君の言葉は聞き取れませんでした。悲しいです。ですが、彼は目を輝かせて優しくチョコを受け取ってくれたのです。

 彼はゆっくりとリボンを解き、蓋を開けてチョコをひとつ取りました。恥ずかしさのあまり天に召されそうになりましたが、私はグッと堪えました。けれど辛抱たまらず、私は一条君が食べようとしたチョコを横取りしてパクリと食べました。

「僕にくれたんだよね?」

 怪訝な一条君に私は頷いて「上げましたよ。どうぞ食べてください」と言いました。

 一条君は再びチョコを食べようとしましたが、私はまたまた辛抱できずに彼のチョコを横取りしてしまいました。

 それからチョコの争奪戦が雨の中で突如、勃発しました。結果は彼が二つ、私が七つ。一条君が「どうして食べさてくれなかったの?」と当惑した顔をしました。私は彼のそんな顔を見れて、なんだかボカポカした勝利に密かに喜びました。

「簡単にバレンタインがもらえると思わないで」

 私は天空にいる戦友たちの元へ戻りました。一条君は「飛んでる」と口を間抜けに開けて空を仰いでいました。

 天空神殿では戦友たちがポテチやコーラを開けて私の帰りを待ってくれていました。

「結果は?」

 恵子が嬉々と尋ねてきます。

 私は顔をやや埋めて裏ピースをしました。これは私たちで取り決めた勝利のポーズ。そして兵庫でいまだに流行している胸キュンの構えです。

 私たちはそれから夜通し騒ぎました。雨空の中を悠々と浮かぶ天空神殿は日付を告げる大鐘楼が響きました。聖バレンタインが祝福しているのかいないのか、私はとにかくチョコを渡せたことが何より安心しました。

「気になってたんだけど、そのタオルなに?」

「これは……たぶん一生の思い出」

 そのまま持ってきてしまったことに私はしまった!と思いました。でもこれはこれでまた一興。チョコに比べれば借りパチしたタオルを返すなんてチョチョイのチョイです。

 このスポンジ・ボブのタオルは後日返すことにしましょう。できればいつもの図書室の二人の時間に。


一日短編チャレンジ中。目標100編。

2「嫌悪」

前作と合わせて二つ目です。暇な時にでもどうぞ。

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