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虹色のマーブルと運命の本 第一部  作者: 本堂モユク
第一部 空ろなる道連れ
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第八話 1ページを刻む前の大罪

 聖なる書架は異空間に存在する不可侵領域だ。

 往来が可能な手段は一つ。幻想の国の王城にある隠し扉だ。本来その扉の存在は王族にしか語り継がれず、扉を開くために必要な鍵が八つある。そのうちの一つでも壊れようものなら当然出入りすることは不可能だ。

 壊れたものは直すか新しいものを作るかのどちらかだが、今回の場合は作る、すなわち鍵職人である私にお鉢が回ってきたというわけだ。

 現王であるラットウィッジ五世は有頂天だった。

「ヌフフフ、苦しゅうない!面を上げい!」

 王座の上で足を組み、頬杖を突きながら話すのが彼のスタイルだった。それが王の所作だと思い込んでいるようだが、有り余る腹の贅肉のせいでいささか窮屈そうだ。苦しいのはお前だろと思いつつ返事をした。

「は。すでに顔は上げていますがね」

「ヌウ?細かいことは気にするな。それよりも完成したのだな。見せてみよ!」

「は。こちらに」

 私は命じられるまま例の代物を取り出した。上質な布に包んであるそれは、何年も前からこの日のために拵えたものだ。前王様にこの手で差し上げたかったが、退任してしまった以上は仕方がない。それまでに完成させられなかった自分の技術が未熟なのだ。

 ラットウィッジ五世は重い腰を上げ、どしどしと音を立てて私に歩み寄った。私の手中にあるものを乱暴に取り上げる。

「ヌフウ……。でかしたぞ、クレス」

「は。恐れながら申し上げますが、私の名前はクレフです。スではなくフです」

「どちらでも良い。この幻王の鍵さえ仕立てあげればな」

 舌打ちしたくなる気持ちを堪えた。

「は。恐れながら申し上げますが、その鍵の名は『最奥の鍵』です。幻王の鍵ではありませんので悪しからずご了承ください」

「ヌウウ、相変わらず細かい奴だな。重箱の隅をつつくようにねちねちと」

「は。恐れ入ります」

「もう良い。ともかく、ご苦労であった。此度の報酬は財政大臣から受け取れ。すでに話は通してある」

 私は会釈し、王の間を後にした。城内を見渡し、やはりこの王政は長く続かないだろうなと確信した。無駄に飾り気が多く、いくつもの部屋にある円卓には豪勢な料理が並んでいる。王位継承の儀から一月、今なお新王の誕生を祝う盛大なパーティーとやらは続いているようだ。

 こうやって前王の貯蓄を喰い散らかしてやがるんだ、あのバカ王は。

 心の中で毒づきながら報酬を受け取り、城を出た。

 幻想王よ、と私は心の中で念じた。あなたはご立派でしたが、一つだけ大きな過ちを犯しました。あのバカに王位を継がせたことです。

 ここにいても自分の未来は見え透いている。今日にでも出国しよう。

 

 ラットウィッジ五世は、召集した家来の前で最奥の鍵を掲げた。

「ようやく完成しおったわ。これぞ『最奥の鍵』!これさえあれば、長い回廊を移動する必要はなし。運命の間まで一呼吸のうちに行き来できる代物よ!」

 家来たちが歓声を上げる。

「おお、素晴らしい。では王よ、早速運命の間へ入られますか?」

 家臣の一人が、床まで届きそうなほど長い髭をいじりながら尋ねる。

「無論。皆も王座の隠し扉は知っていよう。不逞の輩に鍵を破壊され、何十年も開かずの扉であったが、今こそ余が!ヌッフフフ!前王でさえ生涯に一度しか触れていないという運命の本!持ち出しこそできぬが、この鍵さえあればいつ何時も閲覧が可能だ!」

「さすがはラットウィッジ五世。好機に巡り合う強運を持ち合わせているようだ」

 自分の身長よりも長いハットを被った家臣が王を讃えた。

「ヌフウ、実に良い気分だ、すべてが余の意のままに運んでおるわ!」

 王の間にラットウィッジ五世の高笑いが響いた。


 しばらく移動すると、本棚の途切れた通路に扉が出現した。

「この中です」と、マーブルは勢いよく扉を開けた。すると、そこには明らかに今までとは違う雰囲気の空間が広がっていた。

「なんだ、ここは……礼拝堂……?」

 実際に行ったことはないけど、映画で見たことがあるような、神聖で厳かな空間。

 五、六人は並んで座れそうなほど幅が広い椅子が横に二列、縦に何列か並んでいる。その奥には大きな教卓があり、その横には壁に寄り添うようにこれまたでかいオルガンがあった。オルガンからは無数の銀色のパイプが天井へと伸びていた。

「おお……」

 天井を見上げて、思わず感嘆の念を漏らした。星や花をあしらった色彩豊かなステンドグラスが一面に広がっている。先ほどまでの無機質な廊下とは対極だ。

「こちらです」

 マーブルの声で視線を戻すと、ぎょっとした。教卓の上に土足で立っている様はまさに罰当りそのものだ。

「いや絶対登ったらダメなとこ!降りなよ!」

「本はあそこにあります」

 俺は教卓に駆け寄り、マーブルが指差す方向を見た。ステンドグラスから鎖のようなもので吊られている照明に、本の背表紙のようなものがいくつか見える。

「え……あれなの?」

「はい、間違いありません。私の勘はよく当たります」

「勘かい。でも、あんなところにあるものをどうやって取るんだ?」

「ジャンプしても届きませんでした」

「そりゃそうだよ。カエルやバッタじゃないんだから。何か道具を使うとか、どこかに仕掛けがあるとか……」

「いいえ、もっと簡単な方法があります」

 マーブルが教卓から飛び降りる。そして俺に指を突き付けた。

「踏み台になってください」

「はい?」

 俺はマーブルに指示されるがまま教卓を指定の位置にずらした。俺の身長とそう変わらない高さの教卓はかなりの重さで、動かす度に鈍い音が大きく響いた。

「ダダダ、ポンッ、ポンッ……ダメです、まだ届きません」

 マーブルは目を瞑りながら指でリズムを刻んでいる。

「ダダダ……違います、もう少し助走つけて、ダダダダダ……ポンッ、ポンッ、ポンッ。よし、ダダダダダ……ポンッ、ポンッ、ポンッ!ですね。これでいってみます」

「あの、マーブル?言われた場所にずらしたけど?」

「イメージはできました。イッチさまはここで」

 マーブルはそう言うと、俺の首根っこを掴んで移動させた。

「いや、掴むなよ。自分で移動するから。口で言って」

「この辺でしゃがんでください」

「マーブル?これって、もしかして……」

「しゃがみすぎです。もう少し身体を起こしてください。あ、はい、その体勢で」

「あ、これ、中腰でけっこうキツいんですけど」

「これなら届きそうです」

 俺の正面には先ほどずらした教卓がある。そしてマーブルが俺の背後、いやずっと後ろにいる。

「え、飛ぼうとしてる!?無理だって、人間じゃとても届かない」

「じっとしていてください」

「は、はい!」

 本気か?届くわけない、あんな高いのに!

「ダダダダダ……!ポンッ」どんっ、と背中に一瞬の衝撃。

「ポンッ、ポンッ!」

 ばん!と教卓を思いきり踏み台に飛んだ。

 その瞬間、俺は見た。

 翼が生えたかのような、マーブルの異様な跳躍力を。

「高い!」

 マーブルの伸ばした手が照明へと届く。

「あらら」

 マーブルがのんきな声を上げて照明にしがみつけたのは一瞬で、すぐに下に並んでいる長椅子に落下した。

 がっしゃん!と激しい音を立て、椅子の木片が飛び散った。

「ああ!マーブル!」

「問題ありません。ほら」

 砕けた椅子の中から飛び出したマーブルの手には、白い本があった。

 表紙も背表紙も、すべてが真っ白な本。サイズはハードカバーの小説くらいか。

「まさか本当に取れるとは……」

 マーブルは魔法が使えない、とヤオさんが言っていた。じゃあ、あのジャンプはただの身体能力のなせる業か。信じられん。

 ぱらぱら、とページをめくるマーブルの表情は真剣そのものだ。

「その本で合ってる?空白の本って」

 マーブルは無言のまま俯く。真剣な表情でページをめくり続ける。

 本に没頭させてやりたいのはやまやまだったが、のんきにしている余裕はないはずだった。

「マーブル、ここから出る方法ってわかる?」

「いいえ、わかりません。入ったことがありませんので」

 だよな、と短く返事をした。

 何気なく、教卓がもともとあった位置の壁に目をやった。そこには、時計の蓋を開いた時に見えるような歯車の仕掛けが複雑な回路を形成していた。無数の歯車が何のために回転しているのか、見当もつかない。ぼんやり見ていると、あることに気付いた。

「ん……あれ?」

 一際大きな歯車が、ゆったりと時計回りに回転している。だんだん速度が遅くなっていく気がする。ゆっくり、ゆ~っくりと、回っていく。そして。

「あ、止まった」

 俺の言葉に反応したかのようなタイミングで、かちゃん、と鍵を開けたような音がした。

「ヌッフフフ、これぞ!ラットウィッジ王の偉大なる第一歩……ヌ?」

 太った小男が奇妙な笑い声と共に現れた。

「……え。あの……どなた?」

「あ、王様。こんにちは」

 マーブルはぺこり、と頭を下げた。

「王様!?」

「イッチさま。王様の背後から出られます。行きましょう」

 マーブルに手を引っ張られる。

 俺は様々な疑問に一旦ふたをした。

「わ、分かった!行こう!」

 ここでようやく王様は我に返ったようだ。

「ヌワワー!!ななな、なんだ貴様ら!まま、待て!止まれ!僕に近付くな!」

「失礼します」

 マーブルが鋭く言い、俺の手を引きながら王の後ろに出現した扉へと進んだ。すると、急に足元が柔らかくなった。床にカーペットが敷かれている。

「なっ、なんだ?何者だ!?」

 そこには貴族のような恰好をした連中が何人か立っていた。男は黒いスーツ、女は白いドレスに身を包んでいる。

「おい、どういうことだ!なぜ書架から人が出てくる!」

「それよりも王だ!貴様ら王に何をした!」

 ものすごい剣幕で怒鳴られ、情けないことにびくついてしまう。

 しかし、こちらにはそんなものをまったく意にも介さない奴がついている。

「ここは王城ですね。あ、イッチさま、横にどいてください」

 マーブルは俺に本を渡し、俺の背にある扉に手をかけた。

「ヌオオ!お、おい待て、扉を閉めるな!まだ鍵はそちら側に刺さったままなんだぞ!僕が、い、いや、よ、余が出られなくなるではないか!」

「少しの間、我慢していてください。すぐに助けが来ます。おそらく」

「おい待てよせバカモノ――」

 ばん!と扉が閉まる音。そして、がちゃりと鍵をかけた音。

「閉じ込めちゃいました」

 マーブルは無表情のまま鍵を二本の指で掴んでひらひらさせている。

「き、貴様!その髪、思い出したぞ。先日不法侵入と窃盗未遂の罪で処罰を受けたマーブルだな!」

「その鍵を渡せ!さもなくば死罪だ!」

「貴様だけじゃないぞ、関わったものは全員死罪だ!」

 王の家来と思しき連中が口々に怒りをぶつけてくる。

 しかし、マーブルはぜんぜん応えていない。俺は頼もしさと恐ろしさを同時に感じた。

「そんなことを言って良いのでしょうか」

 鍵を左右に揺らしている。無表情、怖い。

「このカギをへし折るとどうなるのでしょう」

 そう言って鍵を両手で持ち替える。その動作の効果は抜群だった。

「うわああ!よせえ!」

「いやあぁぁ!やめて!王を永久に閉じ込めるつもり?」

「やめろ!何が望みだ!」

 マーブルは当然のように言った。

「私たち二人は帰ります。道を開けてください」

「はっ!何を言い出すかと思えば!聖なる書架に立ち入ったこと自体……」

 もじゃもじゃのひげ男が言葉を切って、何かに気付いたように目を見開いた。

 こちらに向けようとする人差し指が、ぶるぶると震えている。

「き、き、きき……きさま……貴様ッ!まさか……それはっ!」

 その怯えた視線と指は、マーブルではなく俺に向けられている。

「え?俺?……あ」

 原因がわかった。俺の持っている本だ。先ほどマーブルに手渡された。

「こちらをご覧ください」

 マーブルが俺の前に立ち、家来たちの視線を鍵に引き付けた。

 そして思い切り振りかぶり、真横にあった窓に向けて鍵をぶん投げた。

 がしゃん!と鍵は窓を破り、外へと飛んで行った。

「きゃあああああ!!鍵が!!」

「この大罪人どもが!!許さん!!」

 凄まじい怒気に満ちた声!

 人は怒るとここまで怖くなるのか。

「早く取りに行った方が良いのではないでしょうか」

 マーブルは他人事のように呟いた。

「何?あちらの方角には庭が――」

「あああ、まずい!あの庭は今、王が大蛇を放し飼いにしているんだ!早く鍵を探し出さねば飲み込んでしまう!」

「くそっ、貴様ら、そこから動くなよ!いいな!」

「あああ、王様~!お待ちください、今我らが助けに~!!」

 ドタバタと家来たちが散っていった。

「さて、逃げましょうか」

「……うん。まあいろいろ言いたいことはあるけど、お見事だったよ」

 とりあえず戻れて良かった。今は逃げることだけ考えよう。


 それからおよそ三十分後のこと。

「王!よくぞご無事で!」

「遅いわ馬鹿者!はぁ、はぁ……ぐすっ、くそう、あいつら……」

「王、こちらを」

「ハンカチなぞいるか!今すぐあの大罪人共を探し出してぶち殺せ!!はぁ、はぁ……、羅漢の里から刺客を差し向けろ!」

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