第四話 彼女の目的
焚火。静かな炎は嫌いじゃない。心が落ち着いてくる。
なんてことは思っていても言わない方がいい。『放火魔予備軍陰キャ』なんて不名誉極まりないあだ名がつけられる羽目になる。
「ううむ、こりゃあ見れば見るほど精巧な作りですなあ」
タンゴは五千円札をしげしげと眺めている。
お札には透かしがあることを教えてから十分は経っただろうか。余程珍しいのか、色んな角度からお札を観察し、時には匂いを嗅いでいた。
この世界には紙幣がないのか聞いてみる。
「ありますけど、おらみたいな漁民はまず手にすることができません」
五千円札を犠牲に得た、この世界の通貨である金貨(本当に金かどうかはわからない)を五枚、砂の上に並べた。これで500ドロー。
この金貨は現実世界に持ち帰ることはできるのか。
それは一旦置いておくとして、だ。
「タンゴさん、どこかに宿はないか?」
ドラゴンが徘徊するような土地に長居はできない。安全に夜を過ごせる場所へ行かなくては。
「宿ですか。ええと、少し離れたところに民宿がありました。だども、今は更地になっとるはずです。このような小さな漁村ですから、観光客など滅多に来ないわけでして」
五千円札の取引をしてからタンゴはこの調子だ。変な敬語で媚びへつらっている。風貌は豪快なだけに、余計せこく見えてしまう。もみ手なんかしやがって。
「屋台村の方には?どこか泊まれるところはないの?」
そう尋ねると、タンゴは露骨に顔をしかめた。
「あるっちゃあるが、料金が高すぎるとです。王城の衛兵くらい稼ぎがなければとても無理です」
王城。先ほどのやり取りでもそんな単語が出てきた。
「その王城について詳しく教えてほしいんだけど。たとえば道に迷った旅人に宿の世話をしてくれるとか、そういう優しい――」
「とんでもない!」と、タンゴが俺の言葉を切った。
「どういうわけか今は厳戒体制を敷いとる。よそ者が衛兵に捕まったら、身包み剥がされて国外追放だど!」
敬語を忘れたまま、鼻息荒くタンゴは続けた。
「それだけならまだマシだ。もしも魔王の手先だなんて疑われた日にゃあ死刑だど!」
びっ、と太い人差し指を鼻先に突きつけられた。
「魔王?」と俺は聞き返す。ゲームでは定番、ファンタジーの代表格のような存在だが、この世界には実在しているのか。
「詳しいことはわからねぇ。あのバカが王位を継いでから良いことは何もねぇんだど」
舌打ちをするタンゴ。相当フラストレーションが溜まっているようだ。これは話を広げると相当面倒くさくなりそうな気配がする。
マーブルに声をかけることにした。
「さっきの話の続きだけど、俺たちを追いかけていた鎧の連中って兵士のこと?捕まったら、その、殺されるとかって言ってなかったっけ?」
マーブルは両手で自らの頭を撫で回すという謎の仕草をしながら平然と答えた。
「あれは王城の衛兵です。私を捕まえて殺す気です」
「なんで」
驚きすぎて普通のリアクションしか取れない。
「私が本を盗もうとしているからです」
マーブル自身が言っていた。衛兵は自分を泥棒だと思っていると。その言い方からてっきり俺は窃盗の罪を着せられているのかと思ったが、そうではなかった。泥棒未遂なのだ。
しかし、殺すは明らかにやりすぎだ。
「本を盗もうとしているからって死刑?それだけの理由で?いや、そりゃもちろん盗みは悪いことだけど」
「ただの本ではありません」
マーブルはそう言うと、燃え残った枝木を手に取り、砂浜に何かを描きだした。
なぜか、タンゴはかすかに息を呑む気配があった。
マーブルの描いた絵は本だ。表紙の部分には星のマークが入っている。
「運命の本です」
マーブルがそう言うと、タンゴは絶叫した。
「ええぇぇ!?」
「どうしてそんなに驚くのですか」
「ど、ど、どうしてって!うわぁ、エライことだど!そうすると、世界を破滅へと導く魔王ってのは、おめのことだったのか!」
ことの重大さをまるで理解できていない俺としては、ただ茫然と立ち尽くす以外にない。
「ちょっと待って、その、運命の」と、俺が言いかけると、
「わぁ~!!ま、待った、待ったぁ!!」
タンゴが両手をぶんぶん振りながら近付いてきた。
「絶対口にするなど!城の連中に聞かれでもしたら、おらまで打ち首になっちまう!」
ますます不可解だ。一体全体何がどうなっているのか、落ち着いて説明してくれと俺は二人に哀願した。
「国どころか世界全体に多大な影響をもたらすといわれる禁書だど!本に関することは絶対に喋ってはいかんってのは暗黙の了解なんだ。滅多なことを口にすればそれだけで死刑だど!」
禁書。死刑。二つの単語が頭の中でぐるぐる回る。
全体的に意味がわからない。
「なんでマーブルはそんなものを?」
まだ現実を受け止め切れていないうちに尋ねた。
「新しい世界を創りたいからです」
マーブルは狼狽える二人の男など見えていないかのようだった。色とりどりの星々が輝いている上空をただ見つめている。
「運命の本があれば新しい世界を創ることができます。以前、城の人に運命の本を譲ってくださいとお願いしましたが、まったく取り合ってくれませんでした」
「当然だど。悪意のある者が使えば世界を破滅させることもできる」
先ほどまで調子のよかったタンゴが、すっかり畏縮した様子でぽつりと呟く。
「あの本がどれだけ恐ろしいものか、今にわかるど」
ふむ、とマーブルはあごに手を当てて思案顔だ。
「ならば、やはり盗むしかないと」
「いやダメだよ!普通に犯罪じゃないか!」
「ハンザイ?」
「罪ってこと」
ああ、とマーブルはこくこくと頷いた。
この子には善悪の区別もないのだろうか。言葉が覚束ない、不思議な雰囲気の超絶かわいい女の子だと思っていたけど、実はサイコパスなのか?かわいいけども。
「何度も城には潜入しました。でも本は見つかりません。今日は衛兵に見つかってしまい、大砲の中に隠れていたら打ち上げられました」
「うーんと……?」
理解が追いつかない。待ってくれ。
何度も不法侵入している?本泥棒を死刑に処すような城に?
大砲に隠れたらなんだって?打ち上げられた?
あ、だから上から降って来たのか。
「いやいやいや」顔の前で手を左右に振った。「ないないない」
「どういうことでしょうか」
なぜかマーブルは俺の真似をして手を振っている。かわいい。
「あの、すごい今更だけど、身体はなんともないの?どこも痛くない?」
俺の問いにマーブルは目を丸くした。
「負傷しているようには見えません。自分ではわからないものなのでしょうか」
「いや俺じゃなくて。マーブルは大丈夫?」
「はい。特に異常はありません」
それが異常なんですけどね。
「それよりもイッチさま」
「ん?あ、俺のことか。なんで様付け?イッチだけでいいよ」
「私が本を盗めなかったから巻き込んでしまいました。すみません」
「……ええと」
困った。どう説明したらよいものか。
そもそもの話だ。盗んじゃダメ。盗もうとするから不都合なことが起きるわけで。
俺が返答に窮していると、マーブルはすくっと立ち上がった。
「それでは」
「え、ちょ、どこ行くの?」
「城に行きます」
マーブルはもう歩き出している。
「待って!城?何しに行くの?」
「本を盗みに――」
「いやいや、いやいや!」
「無茶だど!無謀だど!」
俺とタンゴはほとんど同時に声を上げた。
「今までの話を聞いてなかったのか!?無茶だど!」
「捕まったら殺されるんだろ?やめようよ!っていうか、盗みなんてダメだよ!」
俺とタンゴはマーブルの無謀な行動を止めさせようと説得を試みたが、マーブルはことのほか頑固だった。
「いいえ。本は必ず手に入れます」
その一点張りだ。
タンゴは自分の両膝を勢いよく叩いた。
「もーう限界だど!もう付き合いきれん!おらは逃げる!おめ達は恐ろしい!」
そう言い残すと、荷物をまとめて、すたこらさっさと去って行った。彼を引き留める理由や言葉を見つけられなかった俺は、そのでかい背中をただ見送るだけだった。
「おめ達って言ったな。なんで俺も入っているんだ」
ぽつりとつっこむ。
「それでは。イッチさまもお元気で」
再び頭を下げ、顔を上げたマーブルの目にはもう俺の姿は映っていないようだった。
マーブルは踵を返し、タンゴとは別方向に歩いていく。
俺はというと、ほとんど消えかけた焚火の前に一人取り残されてしまった。
どうしたらいい?
本を盗もうとすることを何とか止めさせないと。あんな調子じゃあ本当に殺されてしまうかもしれない。
ちらり、とマーブルの方を振り返る。もうだいぶ背中が小さく見える。マーブルが進む方向から、一人の人物が向かってくる。その人物は遠目でもわかるほどふらついた足取りだ。
なんとなく気になって見ていると、マーブルはその人物とすれ違い様に転倒してしまったではないか。その人物は、マーブルの方に視線を向けたまま制止している。
「マーブル!」
俺が駆け寄ると、その人物はふらふらと去って行った。不気味な奴だが、今は構っている場合じゃない。マーブルは俺を見ると少し驚いたように目をぱちぱちさせた。
「イッチさま」
「大丈夫?あいつに何かされたの?」
奇妙な人物の姿はもう見えない。煙のように消えてしまった。
「お願いがあります」
マーブルは立ち上がり、じっと俺の目を見つめる。
「私の本泥棒に協力してくれませんか」
いやいやいやいや……なんでそうなる?