第百五十一話 幻想の旅路
大皿に盛りつけられた炒飯に似た料理をかっこむと、テーブルのわずかなスペースを潰すように別の大皿が追加された。一段と食欲を刺激される香りに思わず目移りしてしまう。
「おっ、プルードゥの肉か!」
デンが珍しくはしゃいだ声で自分の皿に肉を盛りつける。
「何の肉だって?」
肉を頬張って喋れないデンの代わりにラズワルドが答えた。
「プルードゥ。オアシスの貴重なタンパク源じゃ。これほどの希少食材を惜しみもなく提供するとは、さすがスピネちゃまが紹介するだけのことはあるのう」
相撲の決着がついた後、俺たちは学食にいた。マーブルが空腹を訴えるとラズワルドが同調し、メシ屋に案内してくれとせがむ二人をなだめるように、スピネさんがこの学食に案内してくれた。食堂を利用するために必要なカードキーをラズワルドに渡すと、製薬の時間だからと自室に戻っていった。
「どれ、俺も食べてみよう」
木でできたフォークを肉に突き刺した感触は、まるでプリンだ。わずかな弾力を押しのけたフォークの先端はあっさりと肉の下の皿まで到達した。何とか自分の皿に取り分け、弾ける肉汁に期待を膨らませながら口に運んだ。その最中にも肉がプルプル揺れているのがまた美味しそうだ。
「うま!」
咀嚼するやいなや飛び出した自分の言葉に自分でびっくりした。そこそこ値の張るラーメンのチャーシューに近い味わいだけど、なんてジューシーな食感!
「マーブルもこれ――」
隣の席に視線をやると、いつの間にか仕切りができていた。よく見るとそれは、空になった大皿を何枚も積み重ねたものだった。
俺はそっと上半身を反らすと、一心不乱に料理を貪るマーブルがいた。
「うま。うま。うまです」
両頬をパンパンにしながら呟いている。
「馬?ぬはは、この街には馬車は無いぞ!」
さっきから大きな樽の酒を飲み続けているラズワルドは顔が真っ赤だ。節分の鬼のお面とそっくりだ。
酔っぱらいはほっといてマーブルの肩を指でつついた。
「そんなに口に入れたら詰まっちゃうぞ」
「うまです」
「ああ、確かにこの料理はうまいな。でも料理はまだあるから落ち着いて食べろよ」
「しかしここの料理はすげえな。トクタイセイって奴は毎日こんなもんを食っていたのか」
スピネさんが去り際に教えてくれるまで俺もデンも知らなかったが、この学校の食堂は三つの階層があり、生徒の成績によって利用できる階層が異なるという。俺やデンが入り浸っていたのは最下層の『ぴよぴよ食堂』。最下層というと印象は良くないが、十分おいしく食べられる一般的な食堂だ。その上にあるのが『ブルーバード亭』。有名なシェフがいるとのことだったので、現実世界で言うところのミシュラン一つ星くらいの価値はあるのかもしれない。そしてここがトップの『鳳凰御膳』。特待生や特定の部門でトップの成績を修めた生徒だけが利用できるという。
「スピネちゃまは天才じゃからな」
ラズワルドは空になった酒の樽を地面に置いて息巻いた。酒臭い。
「治療や魔法薬学のエキスパート!あと十年も修業を積めば賢者の域にも到達するじゃろ。さすが儂の孫じゃあ」
酒の匂いを嫌うマーブルなら確実に抗議している臭気だが、料理に夢中でそれどころじゃないらしい。
しかし、このじいさん。すでに目の焦点が合わなくなってきている。まだ正気を保っているうちに、と思い俺はマーブルに声をかけた。
「マーブル、そろそろ質問した方がいいんじゃないか?このじいさん、かなり酔いが回ってきているぞ」
「……むう」
頬袋にエサを詰め込むハムスターのような表情のマーブル。グラスを手に取ると、中身の液体を一気に飲み干した。
「ラズさん。アカシャの筆はどこにありますか?」
一瞬、ラズワルドの動きが止まり、その次の瞬間には何事もなかったかのように酒を飲み進める。依然として顔色は赤鬼のままだが、何かを覚悟したような表情になった。
「その筆のことを知ったということは……本が教えたのじゃな?」
「はい。夢の中で本がそう言っていました。世界を創る。歴史を変える。そのような莫大な影響をもたらう絵を描き現実のものとするには、途方もない創造力と特別な筆が必要になると」
「うむ。本がその筆の名を教えたのなら……儂を腹を決めるべきじゃの」
ラズワルドは両手で頬を叩くと、そのまま両手で顔を拭って白髪頭をかき上げた。すると、さっきまで真っ赤だった顔が素面に戻っていた。
「結論から言おう。アカシャの筆はこの世界には存在していない。今はまだな」
「どういう意味ですか?」
「百年以上前の話じゃ。儂は運命の本に歴史が書き込まれる瞬間に立ち会ったことがあるが、ひとたび絵を描き終えると、先代の持っていた筆は跡形もなく消失していた。筆はどこにいったのかと儂が尋ねると先代の描き手はこう言っておった。“来たるべき時、正しい資格を持つ者の前に筆は現れる”と」
「つまり……探すようなものじゃなくて、本の使い手の前に自動的に現れるってこと?」
話の全貌が見えなかったが、何とか疑問を差し挟んだ。
百年以上前って、あんた何歳なんだよ!とか、歴史が書き込まれる瞬間に立ち会った?詳しく!とか、本当は問い詰めたかったが会話のテンポを重視して、それらの疑問は一旦隅に置いておく。
「おそらくはな。じゃが、本を持ったからといって漫然と日々を過ごすだけで筆が現れるとは思えん。何か条件が必要となるはずじゃが、それが分からん。そこでじゃ」
ラズワルドは小さく折られている紙を懐から出して広げた。
「その昔、儂に膨大な知識を授けてくれた幻想大樹の位置を教えよう。ここからはずいぶん離れているが……マーブルよ」
地図に目を落としていたマーブルの目がラズワルドへ向く。
「今後はますます過酷な度になるじゃろう。闇大帝に知れた以上、今後は世界中のワルが本を狙ってくるじゃろう。この本は資格無き者にとっては無用の長物のはずじゃが、敵勢力側にも有資格者がいるとなれば話は別。裏のルートで売買すればあり得ぬほどの破格の料金でも買い手がつくじゃろう」
いまいちピンときていない様子のマーブルに、ラズワルドは追い打ちをかけるように言う。
「仲間を危険に巻き込んででも本を所有し続けようと――」
「新しい場所をつくりたいんです」
マーブルはラズワルドの言葉を切って答えた。
「この世界にはたくさんの危険があります。街も国も簡単に無くなってしまうほどの危険が潜んでいます。みんなが楽しく暮らしていける場所、誰にも壊されない場所をつくりたいと思います。いくら探しても見つからないので自分で作ろうと思いました」
変わっていない。十年前にもマーブルは同じことを言っていた。新しい世界を創る。その言葉の裏にどれほどの決意が秘められているか、あるいはどれほどの絶望があったのかを俺はまだ知らない。分かっていることは、昔と変わらないマーブルの夢だけだ。
「それに、だ」
俺たちはマーブルの背後に立ってラズワルドを見据えた。
「おれたちは巻きこまれるだけの存在じゃない。おれはおれでオサたちを救うという目的があるんだ」
「俺はマーブルの夢を支える。十年前にそう決めたんだ。俺がここに来た意味はそれだ」
まだまだ先は長い。マーブルもデンも、同じように思ったのかもしれない。
ラズワルドが示した次なる目的地は、俺たちがいる場所の裏側だった。