第百四十五話 発気揚々
賢者ラズワルド。その男の年齢は140歳だと後からスピネさんに聞かされてまた驚愕した。スピネさんの父親の祖父の父親にあたる人……ひいひいおじいさんだ。近頃、筋力が衰えてきたと嘆いていたらしい。
絶対嘘だと思う。衰え?どこが?
大樹のような圧倒的な存在感と途方もない生命力。俺が見たラズワルドの第一印象はそんな感じだった。
「本当なら自分で探し回りたいところだが、建物がこの有様じゃあな。下手に儂が動けば全壊しちまう。というわけだから頼んだぞ、小僧っ」
「は、はい。少々お待ちを」
――なんてじいさんだ。身長は俺より頭一つ分低いのに、“気”がめちゃくちゃデカい。俺の足より太そうな腕はパンパンに筋肉が詰まっている。胸筋を覆う赤いジャケットは今にもはち切れそうだ。このボディビルダー顔負けの肉体に、ライオンのたてがみのように逆立った白髪。百獣の王がそのまま人の姿になったかのような威厳さえ感じる。
学校に戻ろうとすると、入口からスピネさんが出てきた。
「スピネさん」
俺は両手をラズワルドの方に向けると、スピネさんは少し困ったような表情で俺に会釈した。
「おお!スピネちゃま!!」
ずし、と腹に響くような大声で老人は諸手を挙げた。
「もう、その呼び方やめてったら」
「ボハハ!あいや、すまん!最後に会ったのはいつ振りだ?」
「まだ一週間しか経ってないでしょ」
「すっかり大人の女になりよって……く!目頭が熱い!!」
「いちいち暑苦しいなあ、もう」
孫と祖父のやり取りを眺めているうちに、かすかな気配が接近してくることに気付いて振り返った。
「どうした、デン。そんなこそこそして」
柱の陰からデンが顔を出した。
「……なんでわかった?」
「なんでって、匂いとか音とか。気配が隠れてなかったぞ」
「お前、どんだけ感覚鋭くなってんだよ。おれたち並みだな」
デンが呆れた表情で俺の足元に来た。
「それで……あいつ、賢者か?バカでかい魔力だ」
「ああ。ラズワルドさん。スピネさんのじいちゃんなんだって。ペインさんより強いかな」
「どうだろうな。ペインもこいつも魔力がデカすぎてわからねえな。それにこのレベルだと魔力量だけじゃ優劣はつかないだろうし」
なんてことをデンと話していると、ぬん、とでかい顔が目の前に現れた。
「さて、小僧よ!」
「うわっ!」
デンと一緒に仰け反った。びっくりした!ずっとラズワルドさんを方を見ていたのに接近がわからなかった。
「そういうわけだから、いっちょやるぞ!相撲!」
「どういうわけで!?」
困惑する俺とデンはラズワルドさんに抱えられ、気付けばグラウンドへと連れ去られていた。ここはシブラさんの試験で使った場所だ。この間の襲撃の影響だろう、あちこちデコボコでかなり荒れている。
「よし!ここでしばし待て。ああ、心配するな。校舎をこれ以上破壊せんように慎重に動くからな」
ラズワルドさんがそう言うや否や、びゅんっと音を立てて走り去っていった。かろうじて校舎の入り口に向かっていることはわかった。
「お二人とも、ごめんなさい」
後から駆けつけてきたスピネさんが俺たちを見るなりぺこりと頭を下げた。
「おじいちゃん、あの通り熱い人なんです。思い立ったらすぐに行動しないと気が済まない上に思い込みも激しくて押しつけがましくもあるの。悪い人じゃないんだけど皆を巻き込むのが大好きで」
「ほぼ悪口だな」
俺が思ったことをデンが代弁してくれたが、俺はそっと人差し指を唇に当てた。
「何でいきなり相撲を?」
うーんとスピネさんは額に手を当てた。
「おじいちゃんが言うには……」
スピネさんにしては珍しく言い淀んだ。ラズワルドさんの言ったことをどう噛み砕けば俺たちに伝わるか、言葉を選んでくれているようだった。
「この学校の臨時教師を務めることになったみたいです。それで私たち生徒を強くするために自分の教えを浸透させたいのだとか。手始めに相撲をとってみる、とか」
「うん……んん?なぜ相撲?俺、やったことないですよ」
「さあ」
「さあって。あ、スピネさん、別の話ですけど、マーブルの様子はどうですか?」
三日ほど前、マーブルは一度目が覚めた。寝ぼけた様子でご飯を食べると、またすぐに眠ってしまった。深い睡眠に浅い覚醒と軽食、また睡眠という最低限の生命活動をおこなっているかのようだった。
「今朝がた、起きましたがまたすぐ寝てしまいました。怪我はもう治っていますが、どうも体力が追いついていないようです。おそらくは――」
「本の副作用じゃ」
急に背後から野太い声が聞こえてきた。ラズワルドさんだ。
「闇大帝を前にインターバル無しで二度も絵を描くとは。なかなかの創造力を持っているようじゃが……酷使するとああなる」
ラズワルドさんの視線の先には、校舎から大きなツルがこちらへ伸びてきた。大きなタンコブのような塊がツルの先端に伸びている。そのツルは地面にそっと触れると、先端にあった塊が静かに開いた。中にはマーブルとその無防備な身体を支えるベッドがあった。
「じゃが心配無用!欠片ほどの創造力を分けてきた。じきに目を覚ます。あの連中がここに来る頃にはな」
校舎の入り口、あるいは窓から、生徒や教員が出てきた。皆、やや駆け足気味にこちらへ向かってくる。
「さあて、小僧よ。準備運動でもせい。これからレッスン1を始めようではないか」
「レッスン1が相撲って……」
やばい。こういう急展開にも何だか慣れてきているな。