第百四十一話 闇の奥へ
魔犬の奥義の一つ『二之玉・火天煉義』は対象を焼き尽くし絶命するまで消えない炎の矢。その特性は大幅に出力を下げた状態でも損なわれることなく、魔犬の手より射出された炎の矢は冥狼と闇大帝を飲み込みながら凄まじい勢いでルテティエから遠ざかっていった。
しかし、その二十六秒後。
炎の矢はその役目を全うすることなく爆ぜることとなる。
視界を埋め尽くす爆炎の中空から二つの影が地上に舞い降りる。
「ぼおおお……」
冥狼が深いため息とともに黒煙を吐く。加減を誤れば口から炎熱がこぼれ、周辺の草木を燃やし、瞬く間に更地にしてしまう。慎重を期して、一度で吐き切らず何度かに分けて黒煙を吐いた。
「ごほっ、ごほっ。ふう……これで全部か」
黒煙を吐き終わると、力なく座り込んだ。砂の賢者と同等かそれ以上のレベルの大技を抑え込むことに成功した冥狼だったが、体力は底を尽きかけていた。
「ふ、ふ……」
闇大帝がよろめきながら冥狼に近付く。冥狼は闇大帝の顔を見るなり鼻を鳴らした。
「笑ってんのか泣いてんのかもわからねえ。ずいぶんひでえツラにされたな」
闇大帝の顔は焼けただれ片眼が潰れていた。
「おっさん、昔からあんたの感情は読めねえ。言いたいことがあるなら話せよ。それとも喉まで焼けて喋れなくなったのか?」
「否、問題無し。今日は想像以上の成果を得た。あまりにもできすぎているのだ、罠か幻惑かと疑いたくなってしまうほどに」
「へえ、珍しく興奮してんな。復活できたのがそんなに嬉しいのか?」
「それ以上だ。運命の本とその描き手。さらには探し求めていたピースにも出会ったのだからな。気まぐれな運命はようやく我に味方したようだ」
「そうかい。本気でやれなかった俺はストレスが溜まって仕方ないがな。あの犬、なかなかの使い手だが所詮は狼の敵じゃない。あの力を解放すれば瞬殺できたわけだが、おっさん、俺に“鎖”をかけたな。なぜ“天狼”を禁じた?」
「理由は二つある。一つは、賢者ジュパールとの戦いである。その時すでに天狼を使ったであろう。今の主ではそれ以上の消耗は危険と判断した」
はん、と冥狼は掌を向けてそのまま立ち上がった
「“乱風”でほとんど気絶するような連中だぞ。一瞬で片付いたのによ。殺してほしくない理由でもあったのか?」
「それが二つ目だ。見極めたかったのだ」
「何をだ」
闇大帝はかすかに口角を上げると、赤黒い血がますます滴る。
「そこから先は宮殿に戻ったら説明しよう。運命の本はひとまず奴らに預けておくこととする。現状では筆を入手する方法はないのだ。焦る必要はない」
「はっ、勿体ぶりやがって」
「彼女にとっても無関係な話ではないのだ」
闇大帝の言葉に冥狼は目を剥いた。
「そこでお嬢が出てくるのか。まぁいい。とにかく、あいつ……あの犬を引きずり出した上で殺してやる。次に会う時はもっと殺りがいも出ているだろうしな」
「犬房一志。そしてマーブル。この二人の名は覚えておくといい。おそらく、主の物語にとって必要な者たちである」
「イヌブサイツシ。マーブル……」
冥狼は何度か二人の名前を反芻した。
「覚えた。もう忘れねえよ、殺すまではな」
冥狼は闇大帝を担ぐと、暗い森の奥へと進んだ。
「帰るか。お嬢が待っている」