第百三十二話 極限の戦い
いよいよ戦局は大詰めだ。
イッチとゼイルーの死力を尽くした猛攻は闇大帝の体力を確実に削っていたが、二人の消耗はそれ以上だった。
二人のコンビネーションは即席。言葉を交わす間もなく戦闘に突入したが、二人には闇大帝に関して共通認識があった。それは『少しでも攻撃の手を緩めてはいけない』ということ。闇大帝は夜闇を吸収することで魔力を全快させる。そして次の瞬間には極大な威力の魔法が飛んでくる。
全力疾走を強いられる二人の体力的かつ精神的な疲弊はあまりにも大きい。
「――ウラァッ!」
ゼイルーの渾身の蹴りが命中し、闇大帝が大きく仰け反る。
「ガオオッ!!」
すかさず魔犬モードのイッチが鋭い連撃を叩きこむと、組んだ両手をハンマーのように駆使し、闇大帝を大きく打ち上げた。
「ベリ坊!ネズ公!」
ゼイルーが呼びかけるよりも前にベリルとデンは構えていた。
「とっくに準備できてんだよ!さぁ撃て!!」
デンはベリルの持つ大砲にありったけの雷の魔力を注いでいた。気絶から復帰したベリルには体力・魔力ともにまだ余裕があったが、闇大帝との実力差は歴然たるものだった。最大の技を以てしてもおそらく大きなダメージは期待できないが、デンの蓄電の魔力によって自身の大筒型魔法武器“魔都崩し”の威力は飛躍的に上昇した。
「喰らえ」
ベリルはかつてないほど魔力を強く集中させた。
「“紫電・蛇王来光滅却砲”」
大砲から射出された何本もの光の束が闇大帝を捉えた瞬間、凄まじい衝撃と轟音が天を裂いた。同時に、ゼイルーの魔力“天地無用”が発動。周囲の壁と床が激し流動し、イッチとゼイルーの立つ床だけが天に向かって伸びていく。
「決めるぞ、ワン公!」
ゼイルーの威勢に魔犬が咆哮で答える。二人は圧倒的な爆炎の中を跳ぶと、ありったけの力を込めて闇大帝の体躯へ振り下ろした。
「ウオオオオオオオ!!」
二人の力を合わせた極限の一撃が炸裂した。闇大帝は最上階フロアから下層へ、隕石の如く凄まじい速度で落下していく。
「下に落ちたぞ!あの穴の下は何だ?」
デンの問いかけにベリルが呟いた。
「あの穴……そうか。すでに仕込みはできていたんだな」
「どういうことだ?」
「先ほどまではあんな穴は無かった。ゼイルー先生の魔力で作ったものだろう。下はおそらく……決定打になるはずだ」
ベリルの推察は正しかった。ゼイルーは“天地無用”により、戦闘の最中フロアごとの床に大穴を形成した。最下層である地下フロアへと続く穴の底には、ゼイルーが最上階に向かう前に地下で形成した悪を穿つ剣がこしらえてあった。剣は幾重にも広がり、落ちてきた者を刺し貫き逃がさない意思を現わしているかのようだった。
残念だ。
闇大帝は暗がりで呟いた。
「――当たったな」
仰向けのままゼイルーが確信した。
「魔力の反応で分かる。貫いたはずだ」
「……そ、ですか……」
「あんだよ、その気のねえ返事は」
「いや……も、げん、ゲンカイ……です……」
魔犬モードを解除したイッチは息も絶え絶え、うつぶせの状態から体勢を変えることさえできなかった。
「よっ……と。これで仕上げだ」
ゼイルーは掌で何か転がすような動作をすると最後に拳を作った。闇大帝を貫いた剣塚の床が徐々に陥没していくと、壁と床が流動し地下の電灯ごと闇大帝を覆い隠した。小さなドーム内で闇大帝は照らされている。
「ケケ、あの造形美、てめぇにも見せてやりたかったぜ。名前を付けるヒマもなかったかんな、あのクソッタレにとどめを刺せていたら命名してやるよ。“針地獄”とかな」
ゼイルーが深く息をつきながらゆっくりと身体を起こす。
「てめぇはよくやった。後はいい、寝てろ」
「……え」
違和感。そのすぐ後に訪れる戦慄。
『とどめを刺せていたら』
『後は』
まさか……。
「……ま、まだ……」
限界まで力を行使したイッチには言葉を紡ぐことさえ困難だった。
――やっつけてないのか……!あれだけやったのに。
とでも思っているのだろう。
「……チッ」
ゼイルーが舌打ちした時だった。ゼイルーの影が膨れ上がると、影から黒い矢印のような、あるいは尾のようなものが飛び出てきた。それらはゼイルーの身体に巻きつき拘束すると、影の中から人影が現れた。
「些か期待外れであるな。我に挑む気概だけは買うが中身はお粗末」
文字通りの人影がゼイルーに近付く。
「やめ……ろ……!」
くそっ、もう力が……入らない……!
「うぐ……ク、クソが……あたしたちが来た時、てめぇはすでに……ぐっ」
ゼイルーが呻きながら声を絞り出す。
「その通り。貴様らが到着した時点ですでに影を切り離していた。策を弄することなど承知の上。どのような手段で我を追い詰めるか見物であったが……夜を吸収させまいと懸命に抗う姿は滑稽を通り越して憐憫を感じた」
「う、ぎ、ぎぎぎ……」
全身が爆裂したかのような筆舌に尽くしがたい痛みが、必死に立ち上がろうとするイッチを襲う。闇大帝の影は目もくれずゼイルーに言った。
「今の我を相手にこの様ではな。貴様の魔力は温いぞ。暫く見ない内に憎悪が薄れてしまったようだ。なるほど、それではあの魔犬もどきと大差ない実力しか発揮できぬわけだ」
「……せぇ」
「うん?」
「うるせぇ、って言ったんだよ……クソヤローが」
ゼイルーは影に向かって唾を吐いた。
「大した胆力である。やはり貴様は生かしておこう。教育し直せば使い道がありそうだ。他は」
イッチの眼には、黒い何かが素早く動いたように見えた。それから一秒の間もなく、何かに押されたようなかすかな衝撃が胸の下に起きると、新しい激痛が走る。
「ぐ……あっ……!」
それが刺し貫かれる痛みだとすぐには理解できなかった。
「いずれも必要ない。全員、消えてもらうぞ」
冷徹な言葉が聞こえてくると、身体から急速に熱が失われていった。
ぼんやりとした頭の中で、デンの声が聞こえてくる。
ダメだ。デン。
来るな。
マーブルと一緒に逃げてくれ。
思考がシャボン玉のように浮かび上がっては消えていく。そのどれもが言葉にはできない。
イッチは薄れゆく意識の中、確かに見た。マーブルが本を開いて何かを一心不乱に描いている様子を。
意識を失う直前、最後の一秒にイッチは祈った。次に目を覚ました時には、何事もなかったかのように三人で旅を続けられますように、と。