第百二十四話 アウェイキング・リバース
俺とジーニャは、ベリルに促されるままここに来るまでの経緯を簡潔に話した。もっとも重要な点は、ロードヴィの“魔眼”を二人ともすでに喰らっていることだった。これで俺とジーニャはいつロードヴィに操られるか分からない。必然的にロードヴィ攻略の選択肢が狭まってしまい、申し訳なく思ったが、ベリルは冷静に作戦を組み立てた。
「わかった。お前たちは俺が指示するまで目を閉じて待機だ。自分からは攻撃を仕掛けるな。アイハラは俺を補佐しろ」
ベリルがアイハラさんの方を向いた時、バツン、と何かが千切れるような音が響いた。
「――ッ!いた……」
声を上げたアイハラさんは右手から流血していた。
「糸を切られたのか。いや、そのダメージを見るにそれだけではなさそうだな」
「大丈夫ですか?けっこう血ィ出てますけど」
俺はポケットから包帯を取り出した。スピネさんから分けてもらったものだ。薬に染みこませたもので、巻くだけで一定程度の回復効果があるという。
「ううん、このくらいなら応急処置で十分」
アイハラさんはもう片方の手から糸を出すと、包帯さながら負傷した右手に巻き付け、器用に左手と口で縛り上げた。
「大量の魔力を流し込まれて無理やり引き千切られた……そんな感じかな。一瞬すぎて対処できなかった。私の糸は触れた者に絡みつき拘束する。一旦絡みついたら魔力を封じることができるけど……どうも、魔力封じの初動を抑えられたみたい。“魔眼”を抜きにしても基本的な魔力操作の点で完全に負けている。やっぱり正面から向かって勝てる相手じゃないね、ロードヴィ“元”先生は」
「的確な分析だな」
ベリルが感心そうに言った。
「俺も概ね同意だ。個の力では勝てん。全員が力を合わせることでしか勝機は見出せん」
これから対峙する相手は、こんなに強いベリルでさえ敵わないようだ。
ただ……奥の手ならある。
俺はポケットの中に手を突っ込んだ。スピネさんから託された丸薬。それはオーガから渡された鬼の角 を砕き、特殊な生薬と混ぜて作ったものだ。
こいつを使えば……たぶん、何とかなる。少なくともこの場は。
でもその後はどうなる。マーブルのところに行くまで効果が持続するかどうか……。
俺が逡巡しているうちにベリルが息を吐いた。
「だが全員の力を合わせれば勝機はある。アイハラ、こっちへ来い。指示系統の確認をする。もう五分もしないうちに奴が来る。いいか、よく聞け」
ベリルはこちらの方を向いた。その目には一層と強い光が宿っていた。
「相手はあの“魔眼”だ。一切の容赦はできん。場合によっては殺害もやむを得ないと考える。覚悟を決めろ」
その後、ベリルとアイハラさんは俺たちから少し離れた距離で打ち合わせを行った。俺とジーニャに作戦を明かせない意味は重々承知していた。ロードヴィの“魔眼”を喰らった以上、考えていることは筒抜けになるからだ。
「何?この魔力……」
ジーニャの呟きにベリルが答える。
「ロードヴィの魔力には違いないが、ひどく不安定だな」
「ほんと、変な感じ。普段より弱くなっているような……」
みんなとは違い、魔力を感じる術のない俺は一人やきもきしていた。
デン。お前はまだ生きているんだよな。そう簡単には死なないよな。
「来るよ」
コツ、コツと足音が近付いてくる。
文字通り糸が切れたまま動かなくなっている人形たちの間から、その男は姿を現した。
「ゼイルー。王の供物よ。迎えに来ました」
デン、待ってろ。すぐにこいつを倒して迎えに行くから。
「犬房。抑えろ」とベリルが有無を言わせぬ声で制した。俺は静かに深呼吸する。
そうだ、落ち着け。
こいつは格上。慎重に、確実に倒さなきゃ。
「邪魔をしないでください……」
弱弱しく言うロードヴィは赤い涙を流した。いや、血の涙か?
「もはや争う必要はありません。王は目覚められたのだから」
「それ以上近付くな」
ベリルが大砲を構える。
「動――」
「動けば撃つ?構いませんよ」
ロードヴィはベリルのセリフを先取りし、まったくスピードを落とさずに歩み寄ってくる。
「私はあなたたちに危害を加えない。時が惜しいのです。今は一刻も早く、王の下へ供物を」
「アイハラ!Gの3、赤!」
ベリルが声を張り上げ、アイハラさんが糸の魔法を繰り出す。
「“ストリングモビール”『メビウス』」
一瞬で、何百万本もの糸が縦横無尽に走り、俺とジーニャとゼイルー先生を取り囲んだ。
ボンッ、と小さな爆発音がすると、周囲はあっという間に煙に包まれた。
「煙玉?」と俺が呟くと、「――ってことは来るじゃん!伏せて!」とジーニャが叫んだ。
「龍王轟雷砲」
いくつもの落雷を重ねたような轟音がけたたましく響く。しかも、その音の爆弾は十数秒も続いた。自分の目の前で打ち上げ花火が暴発したらこんな感じだろうか。ただ、本来は猛威を振るったはずの熱波や爆風から、アイハラさんの糸が守ってくれていた。
すごい、とジーニャの声が聞こえた。ベリルの大砲か、アイハラさんの糸か、あるいはその両方か。確かにすごい、凄まじすぎる。音だけでも俺たち二人とも立ち上がれないくらいの衝撃が伝わってくる。
「――くっ!」
音が止むと、バツ、バツン、と糸が千切れる。
「アイハラさん!」
俺は思わずアイハラさんの手を見る。
「ああ、大丈夫。今のはわざと。衝撃を受け流して循環させる技なんだけど、エネルギー量が膨大すぎたから、自分から糸を切って力を外に逃がしたんだ」
ほら、何ともない、とアイハラさんが両手を広げて見せる。確かにさっきほどの出血はないけど、応急処置の糸が切れて血が滲んでいた。
「やっぱり、これ使ってください」
「いいよ、取っておきな」
「ダメです。取っておくのはアイハラさんの魔力の方だ。これ、スピネさんからもらった包帯だから、治りは早いはずです」
失礼します、と言ってアイハラさんの手を取り、包帯を巻いた。
「……ありがとう」
ぽそりとアイハラさんが呟いた。その、横で。
「イッチくん……」
次にジーニャが呟いた。見開いた瞳。その背後には。
「ったくよ~。人が気持ちよく寝てる時にドンパチ、ドンパチ……うるさくて目が覚めちまったじゃねーか。どうセキニン取ってくれるんだぁ~?」
ゼイルー先生。
いや。これは、裏ゼイルーだ。
何だ。身体が動かない。
とんでもない威圧感だ。試験の時とは比較にならない。
「んん~?ありゃあ……お♪」
「やあ。ゼイルー。ようやくお目覚めだね」
ロードヴィが丁寧なお辞儀をしている。その服はボロボロになっているが、ダメージを受けているようには見えない。
ベリルは大砲をロードヴィに向けたまま、目はこちらを向いていた。
「ゼイルー先生。馬鹿な。どうやって拘束を解いた?魔力封じは施したはず」
「ああ?はっ、あんなもん魔力を使うまでもねーよ。ふつーに力だ、力」
ベリルは目を見開いている。マスクをしていても驚愕している様子が伝わっている。
「糸じゃなかった……あの音」
アイハラさんが裏ゼイルーを見上げながら言った。
「拘束を無理やり引き千切った音だったんだ」
「あー……思い出した。お前、ベリルっつったな。代われ」
「何――」
「ぼさっとすんなや」
気付いた時には、ベリルが吹っ飛ばされていた。
一秒前まで俺たちの目の前にいた裏ゼイルーは、文字通り瞬く間にベリルの位置まで移動していた。
「やろうぜ、ロード!寝起きの運動にゃちょうどいい!!」
裏ゼイルーの全身から赤黒く燃えるようなオーラが噴出した。