第百二十三話 移ろう戦局
四方八方から飛び掛かってくる金剛の爪を回避したところで、今度は巨大な牙が迫ってくる。
――ダメだ、避けきれない!
瞬間的に雷の魔力を高めてガードするが、牙はいともたやすくおれの皮膚を突き破り、骨肉に深々と食い込んでくる。
「グウゥッ!!」
痛みは幻。吹き出す血も偽物。いくら頭に叩き込んだつもりでも、神経細胞が勝手に痛みを伝えてくる。
くそっ、このバカ野郎!
間違ってんだよ、ずっと!こんなのは現実じゃねえ!
「蟲毒猛華」
ロードヴィの声がどこからともなく聞こえた。
はっきりと聞こえるのに位置が掴めない。近くのようでいて遠くのようでもある。匂いも――。
「グッ――ィギィイイイ!!」
全身の傷口が一気に燃えるような痛みが立ち昇った。
「もうその辺にしておきたまえ。君はよく健闘した」
急激に意識が遠のいていく。やばい。次に気を失えば待つのは確実な死だ。
おれは咄嗟に自分のしっぽを噛んだ。
「やれやれ、目も当てられないな。何を生き急ぐことがあるのか」
ロードヴィは心底残念そうに目を瞑った。
「君はまだまだ成長する。あと三年ほどしっかり鍛えれば、魔技の優勝だって狙えるだろう。ま、ここで生き延びることができたらの話だが」
そこまで言うと、ロードヴィは眼鏡を外し、天を仰いだ。
「おお……ついに、我らが王が目覚める」
しばらく聴覚が正常に機能しなかった。キーン、と耳の奥で金属音が響いたまま、周囲の音が聞こえない。あー、あー、と声を出し続けているうちに、だんだんと音の聞こえ方が元通りになっていった。
立ち込める煙幕が晴れていくと、とてつもない衝撃を放った張本人がぬっと姿を現した。
「制圧完了」
大砲を肩に担いで悠々と歩くベリルと、その奥には鎖に縛られているゼイルー先生がいた。ゼイルー先生に苦しんでいる様子はなく、意識を失っているように見えた。
ベリルは黒いマスクの上から鼻をつまむと、ふん、と力を入れた。もう片方の手で懐から和紙のようなものを取り出し、マスクの下に入れて引き抜くと、和紙は真っ赤に染まっていた。
ベリルはこちらに目もくれないまま話した。
「衝撃の直前に鼻を折られただけだ。特に問題ない」
事も無げに言ってのける男の背中に、俺は素直に感嘆の念を抱いた。
「あんた、すごいな」
これが大会優勝者か。力も速さも、俺やデンよりずっと上だ。もし大会で戦っていたとしたら完敗だったろうと容易に想像できた。
「何もすごくない。一斉に攻撃を仕掛けさせるつもりが、結局俺一人で制圧してしまった」
あ、そういえば合図を出すとか言っていたな。
何か少し引っかかる言い方だったが、「でも」と俺が言いかけたところで、
「げほっ、げほっ」
ジーニャが咳払いしながら現れた。
「結局バリア出したんだけどな……ふふ、ガラスみたいに砕け散ってしまった」
「俺が出力を誤ったせいだ。すまない」
ベリルは胸に手を当てると、頭を垂れた。出会ったことはないけど、英国紳士がお辞儀するとしたらこんなポーズだろうか。
「いやいや、やめてくださいよ。そもそもベリル先輩とアイハラ先輩がいなきゃゼイルー先生の核が破壊されてマジでこの学校終わってましたよ」
「そうだ」と俺も乗っかる。「悔しいけど俺とジーニャだけじゃどうにもならなかった」
「悔しいけどね」とジーニャが同意する。
ベリルは指を額に当て、何かを考え込むような仕草のまま言った。
「『虎王』を出したのが失敗だった」
俺とジーニャは顔を見合わせる。
「強力すぎた。技の余波でお前たちが合図を見落とす可能性を想定できていなかった。最小限の技で威力を相殺し、追撃はジーニャのバリアで受けて犬房とオーガに攻撃させるべきだった。俺もまだまだだな」
ベリルの言っている意味がすぐにはわからなかった。何やら反省しているような雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「え。合図……出てたの?」
「いや、私に聞かれても」
俺はもちろんジーニャも合図は確認できていなかったようだ。
「やはり大声を上げるべきだった。即席の連携では指のサインは伝わらんか」
それにしても何だろう、このとめどない溢れる反省は。
「俺に至らない点があれば教えてくれ」
ベリルは真摯な眼差しで俺たちを見つめてくる。
「……ベリル先輩、もしかして先生の練習してない?」
「先生の……練習?」
「いや、噂レベルの話だけど……ベリル先輩は優秀すぎて次期教授って聞いたことが」
「その通りだ。俺は教職を目指している」
「あ、認めた」
「だが不向きだ。大概の任務は独力でこなしてきたが、人にやらせるとなると話は別だ。一方的に知識を与えるだけでは生徒の成長は望めない。教育の奥深さを俺は実感している」
「つまり……俺たちだけでも先生を制圧できるように指導したかったってこと?」
たぶん、とジーニャが躊躇いながら頷く。
「ゼイルー先生は必死に抗ったのだろう。裏ゼイルーとしての実力はまるで発揮させていなかった。半覚醒の暴走など一人で制圧することはそう難しいことではない」
「いやいやいや」と俺は慌てて手を左右に振る。「充分難しいでしょ」
「先輩、勘弁してくださいよ。あやうく死ぬところだったんですよ?」
ジーニャの訴えにベリルは意表を突かれたように「む?」と呟いた。
「いや、それはない。お前たちの実力は大体把握した。あの程度の攻撃では死なんだろ」
「……だそうですけど」と俺はジーニャの方を向いた。
「いや、この人の『あの程度』はあまりアテにしない方がいいよ、うん」
ベリル、とアイハラさんが背を向けたまま声を上げた。
「やばいよ。ロードヴィが向かってくる」
「えっ、デンは?デンはどうなったんだ?」
「デンとは?」とベリルが訊ねる。
「俺の仲間なんだ。あいつがロードヴィを食い止めているはず」
「やられたと思う」
「そんな!」
「生きてはいるけど、もうほとんど魔力が感じられない。虫の息だ。早く治療しないとやばいよ」
「じゃあ俺が助けに――」
すぐにでもデンのところに駆けつけようとしたが、肩を強い力で掴まれて動けない。
「ダメだ。ここにいろ」
俺を制止したのはベリルだった。
「ロードヴィには多人数でなければ対抗できない。四人全員で奴を叩く。言っておくが、これは指導の一環ではない。生存戦略だ」