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虹色のマーブルと運命の本 第一部  作者: 本堂モユク
第一部 空ろなる道連れ
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第百十九話 攻略法

 ルテティエ芸術魔法学校より数千里離れた北の大地にて。

 ヤオは、穏やかな風の中にほんの一筋の強い空気の流れを感じた。空を見上げると、熟れた林檎のような色をした雲を浮かんでいた。それ自体はいつもと変わらない光景だったが。

「どうしたんです?ヤオさん」

 サンドラはヤオの視線の先を追いながら尋ねた。

 ヤオはサンドラの問いには答えず、ううんと唸った。この人が言い淀むなんて珍しい、とサンドラは身構えた。しかし魔力探知には何一つ不穏な気配がない。

 バハハ、とヤオは短く笑った。

「荷物をまとめな。今夜中にここを立つよ」

「敵ですか?俺の探知にも引っかからないような奴がいると?」

「分からん、ただの勘さ。だが、こういう時の“気のせい”は馬鹿にできないもんだ」

「ええ、あなたの場合は特にね」

 サンドラは散らばっていた酒瓶をまとめはじめた。

「自分も勘の働く方だと思っていましたが、未だにあなたに勝てないのが情けないですよ。ちなみにどういった勘ですか?」

「バハハ、私とお前の勘にほとんど差はない。私はアレと実際にやり合ったことがあるから、その経験差がかろうじて活きているだけだ」

「アレって」言った直後に、サンドラの胸中に闇が広がっていった。「まさか……」

「私が迷わず逃げを選択するような相手なんざ限られているだろ?」

 闇大帝――。

「マジですか?奴のアジトをぶっ潰してから一ヵ月しか経ってませんよ。もう力を取り戻したと?」

「そこまで言っちゃいないよ。私らの目を盗んで魔力を補給したとしても、あと百年は動けないはずだがねえ。もしかしたらなんて想像してもキリがない。念のためだ。ここは離れるよ。羅閃にもそう伝えときな」

 予感と言うにはあまりにもか細い閃き。その根源にあるのは不安と呼べるものかもしれない。闇大帝と相対した者だけが囚われる心の檻。魔法使いとして膨大な経験値を誇るヤオの胸中に澱む不安は、今回もまた正しい選択肢を選ばせたと言えよう。

 迫り来る危機をかろうじて察知することができたのは、遠く離れた大魔導士ただ一人。

 闇への憎悪で黒く染まったマーブルも、ペインでさえも。自らの頭上で何が起ころうとしているのか、誰一人気付いていなかった。

 ルテティエ芸術魔法学校がこの世界から跡形もなく消える運命の時まで、残り一時間を切っていた。


「敗北がわかっていて立ち向かうことは勇敢ではなく無謀です」

 ロードヴィは片手に持つ本のページをめくった。

「そうは思わないかい、デン君。獣は獣らしく、勝ち目のない相手からは逃げるべきだ」

 ロードヴィの問いかけにデンは答えない。口を真一文字に結んだまま、ロードヴィを見据えている。

 魔眼を相手に目を合わせるなど正気ではない。自暴自棄になっている。

 ロードヴィはそう解釈した。

 アティスから得たデータには雷獣デンが含まれていなかった。当然だ。弱すぎる。短期間で魔力値を上げたようだが、そこらの雷獣と同等のレベルでは話にならない。

 彼は理解できているのだろうか。目の前にいる敵は自分の百倍以上の魔力を有しているのだ。逃げる以外に取るべき行動はない。かと言って、犬房やマーブルを放って自分一人で逃走することはできない。

 ああ、なんと哀れな獣だろう。実力不足が闘争を阻み、仲間意識が逃走を拒む。

「私は彼らの後を追います。そこをどいてくれますか?」

「どくわけないだろ」

「あくまでも僕の行く道を塞ぐというなら殺しますよ?」

「あいつらの後を追うなら殺すぞ」

「殺す?君が、僕を?」

 デンはまったく怯む気配がない。憐憫の眼差しを向けていたロードヴィにわずかな苛立ちが灯る。

「殺気だけはなかなかのものですね。首だけになっても噛みついてきそうだ」

 魔眼、発動。

 ロードヴィの魔眼ドゥームズヴィジョンは自身の説明通り、一定時間脳を共有する。ロードヴィの思考や感覚を共有させられた相手にとって、そこで体験した出来事は紛れもない現実となる。

 脳に直接イメージを刷り込まれた相手はロードヴィの描いた虚構を現実と認識してしまう。この学校で絶対的な魔力を持つペインでさえ、魔眼から完全に逃れることはできない。

 デンの精神世界では、襲い来る魔象に次々と同胞が殺され、最後には自分が捕食されようとしていた。魔象は雷の魔法を無効化する体皮を持つ、雷獣の天敵である。

 デンは全身をびくびくっと震わせると、地に伏した。

 床から鼓動が伝わらない。心臓が止まっている。

「やれやれ、何をしに来たんだか。さて、彼らの後を」


 追わせねえよ。


 ロードヴィの足が止まる。振り向くと、デンの身体が再び宙に浮いていた。

 今の声は……実際に発音はされていなかった。イメージの声だ。

 宙に浮いたデンには意識が戻っていないようだった。電流だけが意思を持つ蛇のように動き回り、デンの全身を駆け巡っている。

「電流マッサージか。心臓を強制的に動かしている」

 デンは目を開くと、再び魔力を高めた。

「ここは通さねえ」

 雷獣の瞳にはまるで絶望がない。ロードヴィは一呼吸と共に苛立ちを沈めた。

「もうやめた方がいい。今みたいな方法はね、屈強な肉体を持つ者が絶命を免れるために行う緊急措置であって、君のような身体のできあがっていない魔獣には負担がでかすぎる」

「ぐう……ッ」

 デンは苦しそうに胸を押さえると、口の隙間から血を吐いた。

「寿命を削っているのだ。そのくらいの苦しみは必然です。死んだ方がマシだと思うような苦痛に耐えて、いくばくかの時間を稼いだとして……何がどう変わるのですか。今ならまだ楽に死ねる。さあ、目を閉じなさい」

 血を垂らしている口元が弧月の形を作る。笑っている?気でも違ったのだろうか。

「ごまかすなよ、ロードヴィ。おれの声が聞こえただろ?」

「何の――」

「話ですかって?とぼけるなよ」

「……馬鹿な。魔眼の支配から逃れただと」

「そうだ。おれは幻覚に殺される前に自分で自分を殺した。幻覚に殺されたように見せたのはおれの方だ」

 ロードヴィの魔眼から逃れる唯一の方法は、最初に陥った幻覚の中でロードヴィと脳を共有している事実に気付くことである。魔眼発動中は、相手からイメージを与えられるだけではなく、こちらからも与えることができる。一度でも幻覚に囚われた者は、ロードヴィに思考を読まれるため魔眼から逃れることは不可能となるが、最初の幻覚の中だけはそれが可能となる。

 もっとも、与えられたイメージは思考を介さず直接五感へ訴えかけるため、相手が幻覚を使うという前情報があったとしても「これは幻覚だ」と認識することは至難の業である。デンは最初の幻覚の中で自死するために、極限まで精神を集中させていた。

「スピネ君の入れ知恵か。彼女にも能力の核は教えていなかったが……少ない情報からよくそこまで組み立てた。本当に自慢の生徒ですよ」

「ふん、この能力は説明の手間が省けていいな。お互いに思考がダダ漏れ状態ってわけだ。もう電流マッサージは使わなくて済みそうだ。心配してくれてありがとうよ」

「……やれやれ。君の狙い通り、時間を浪費させられそうですね。少しだけ」

 ロードヴィが手を開くと、本を出現した。


 一方、文書庫にて。

「ちょちょ、ちょっと、待って!!」

 必死に両手を左右に振って制止しようとするが、お構いなしに巨大なドリルが飛んでくる。

「――どわぁっ!!」

「イッチくん!大丈夫!?」

 ドリルは大理石のような硬い床を豆腐のように抉っている。恐ろしい破壊力だ。当たったらまさにひとたまりもない。

「悪いけど、ジーニャさんはバリアに集中して。その人たちが入ってきたらめちゃくちゃになる」

 アイハラさんがそう言うと、俺の腕を引っ張って起こした。

「乱暴でごめん。まだ動ける?」

「は、はい……まだ、何とか」

「前に出すぎないで。ベリルくんの邪魔になる。彼が攻撃の隙を作ってくれるから、その時が来たら同時に叩き込む。いいね?」

「わ、わかりました。けど」

「けど?」

「俺たち、なんでゼイルー先生と戦っているんですか?」

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