第百十二話 マーブルブラック
黒い髪のマーブルはじっとこちらを見ると、俺の頬に触れた。
「けが、してる?」
髪の色や雰囲気だけじゃなく、話し方も変わっている。敬語じゃなくなっているし、どこかたどたどしい言葉だ。
「俺は大丈夫だけど……」
マーブルは俺の腕を掴む。ジーニャのおかげで痛みは引いているけど、怪我が治ったわけではないから火傷はそのままだ。
「けしてあげる」
マーブルはそう言うと火傷に二本指を当てて、血管をなぞるように指を引いた。すると、火傷が跡形もなくきれいさっぱり消えた。
「え!?」
驚いて声を上げたのは俺だけじゃなく、ジーニャもだ。
「ふく、ぬいで」
「ふぁっ?え、ちょ、マーブル!?」
俺はマーブルに文字通り押し倒され、文字通り身包みを剥がされた。
「ここも。ここも」
マーブルは目につく限りの怪我を次々と消していく。
「それも」
「いやいやいや!ここはいい!ここは本当に大丈夫だから!ね!」
何とか最後の一枚だけは死守した。
「もう、いたくない?」
「いや、はい、もう大丈夫!ありがとうございました!」
マーブルの“治療”を終えた俺は慌てて服を着た。
ジーニャの視線に耐え切れず、俺は大きい独り言を発した。
「いやーまいったな。いきなりだもん。ま、まあ、おかげで怪我は完治したけど。はは……」
「…………」
「そ、それにしてもマーブル、いつの間にこんなすごい魔法覚えたの?」
一瞬の沈黙に耐え切れず慌ててマーブルに話しかけた。
「今のは魔法じゃない」
マーブルの代わりにジーニャがぽつりと呟いた。
「じゃあ、どうやって」
「分からない。でも回復魔法じゃないよ、絶対。全然魔力を感じなかったし。何か別の……術?みたいなのかな……」
「まあ、魔法だろうと術だろうと俺からしたらあんまり変わらないけど……」
「それより、君の――」
「ねえ」
ジーニャの言葉を遮り、ずいっとマーブルが顔を近付けてくる。
「だれが、やったの?」
質問の意図はすぐにわかった。俺に怪我や火傷を負わせたのは誰か。きっと、マーブルはそういう意味で聞いている。
「あー……っと。これは……」
俺は口ごもった。モコロカと戦った時の傷だと言ってしまうと、何か恐ろしいことが起こりそうな予感がした。
「だれ?」
マーブルの眼が一際大きくなった気がした。
髪だけじゃない。目の色まで変わっている。夜の海のような、暗く大きな瞳。
「え……?」
見えない糸で操られているかのように、俺の腕がすっと上がった。人差し指がぴんと伸びる。その先には倒れているモコロカがいる。
「な、何だ……腕が、勝手に」
マーブルが俺の指の先を見つめる。かすかに唇が動いた。なんて言ったのか、はっきりとは聞こえなかったけど――。
『あいつか』
そう言ったように感じた。
ふいに、俺の腕がだらんと下がる。代わりに、マーブルの腕がすっと上がった。銃を模した指がモコロカへ向けられている。
その瞬間メロオが――いや、かつてメロオだった怪物が、マーブルの前に立ち塞がった。
「こここれで、おおわ終わり、だだ」
メロオは、自らが召喚した怪物たちと混ざり合っていた。全身の筋肉が赤く、不自然なほど巨大に膨れ上がっており、ジーニャが召喚した鬼以上の体躯を誇っているようだった。もし、大会で戦っていたとしたら、俺もデンもなす術なく敗北していただろう。少なくとも、そう確信できるくらいの力の差は確かに感じた。
けど、登場したタイミングは最悪といえよう。
「しぃいいぃ、ねねぇええぇぇえ!」
怪物メロオが巨拳を振りかぶると、マーブルに向かって一直線に振り下ろしてきた。
次の瞬間、遙かなる脅威が、メロオを、モコロカを、周囲の人間たちを瞬く間に覆う。
「じゃま」
マーブルは親指と人差し指で小さな「0」を作ると、人差し指を弾いた。
すると、怪物メロオは激しい衝突音と共に吹っ飛んでいった。そして、そのまま二度と起き上がることはなかった。
「わたしのきらいな、におい」
マーブルはそう呟くと、上を見上げた。
「みつけた」
そう言うと、その場に蹲るような姿勢を二秒キープすると、「どん」と呟いた。瞬間、凄まじい勢いでマーブルは飛び上がっていった。ロケット花火よりもずっと速く、最上階フロアまで登っていく。
「す、すごい……マーブル、一体何がどうなっているんだ……?」
呆気に取られた俺を尻目に、ジーニャは先ほど言いかけた質問を再び投げかけてきた。
「さっきの話だけど、君、その身体の痣はどうなっているの?」
「痣?ああ、これは昔からだよ。少し目立つけど、別に痛くもなんともないから、気にしないで」
「そうなんだ。でも、誰かに見てもらった方がいい。もしかしたらってこともある」
「いや、これは本当に大丈夫。子どもの頃からある痣だし、今更病院に行くようなものじゃ」
「そうじゃないよ。医者に見せろって意味じゃなくて、呪いとか、そっち方面に詳しい人に見てもらった方がいい。その痣、何となく見覚えあるんだ。魔術書か何か忘れちゃったけど……」
一方、最上階フロアでは。
「やあ、マーブル。お目覚めかな?こっちは今ちょうど片付いたところさ」
アティスはマーブルの到達を快く歓迎した。