第百十話 エガクモノ
ずっと昔にもこんなことがあった気がする。
どこまでも真っ白な世界。出口のない迷宮。
ここには何もない。私以外は何もない。
つまらなくて、寂しかったから、絵を描いてみた。
床に。壁に。天井に。
あちこちに色んな絵を描いているうちに、そこは私の国になった。
でもある時、雨が落ちてきた。
それは今までに見たことがなかった色だった。
新しいものが描けると思ったけど、全然そんなことなかった。
その色は全部を塗り潰してしまう。
私はたくさんの色を持っていたけど、どの色を混ぜても同じ色に染まってしまう。
後でわかったことだけど、その色の名前は黒。
黒い雨はどんどん広がっていって、色とりどりの私の国をあっという間に汚していく。
とても、とても、嫌な気持ちになった。
あの時の嫌悪感が、記憶が蘇る。
わかる。あの時の黒い雨が迫ってきている。
早く。早くここから出ないと。
みんなが黒くされてしまう。
何もかもがダメになってしまう。
「何を焦っている」
うるさいです。
今はあなたにかまっている場合じゃありません。
早くここから出ないと、みんなが。
「ここから出たいのか。なら出ればいい。そんなことは簡単だ」
出れません。出口がどこにもないんです。
「ないなら作ればいい」
どうやってですか。
「どうやっても何もない。いいか。私が手元にある限り、お前にはできないことがないんだ」
……できないことがない?
「描く者にはすべてが可能になる。創造力を集中させて、出たいと思うなら出る姿を描け。雨を消したいのなら消す展開を描け。すべては叶う」
人差し指を立て、ノの字を空中に描くと、空中に小さなひびが走った。