第百九話 皹
スティッキー。
ペインはその優れた頭脳からスティッキーに関する情報を抽出した。
本名スティン=ゴオトは、名もなき小国に生まれた。9歳の頃に両親を失くし、遠縁のクティム家に引き取られる。以後、スティン=クティムへと氏名を改めるが、発音のしづらさから『スティッキー』という通称を登録。
クティム家は魔法の名家であり、本校の教員であるロードヴィ教授はクティム家の当主にあたる。スティッキーはこれまで魔法とは無縁の生活を過ごしていたが、クティム家での二年間の学びが彼の魔法の才能を開花させた。
11歳の時、本校の生活魔法コース初等科へ転入学、その一年後の現在、魔法技能大会に優勝し、初等科No.1の座についた。
二日後には私と謁見する予定だった、この少年が――アティス。
一瞬で情報を整理したペインは重く口を開いた。
「ウェルを解放しろ」
「はは。するわけがないでしょ――ボス」
アティスは目には見えない何か――ウェルマクスを黒い鎧へ放り投げた。鎧は自ら変形し、胴体の部分がぽっかりと開いた。ウェルマクスはその穴へ飲み込まれると、鎧は閉じた。
「架空の悪魔は殺せないけど、闇の檻に捉えることはできる。僕が本当に捕まえられるのか、不安はあったけど挑戦して良かった。いや自信はあったんだよ。何せ僕はあなたの息子だから」
「……ウェルは私にしか認知できない悪魔だ。なぜ捉えられる」
アティスは眼鏡を外すと、レンズを丁寧に布で磨いている。
「僕はあなたの息子だ。あなたとほぼ同質の魔力を持っている。だからあなたの魔力網には引っかからないし、僕が接近していることにも気付かなかったはずだ。その逆もしかりだけど、あなたにみえて僕に見えないものはないんだよ」
「なぜ私の息子などと宣う。私に子はいない」
ペインのその言葉にアティスはかすかに目を伏せたが、眼鏡をかけ直すとその瞳はぱっちりと開かれた。夜の海を想起させるような、深く暗い瞳だ。
「そりゃ父さんに心当たりはないだろうね。でも、いるんだよ。ここに。あなたの息子が。僕は父さんの遺伝子から作られた存在なんだ」
「なんだと……」
「僕は、僕が存在していることをずっと父さんに教えてあげたかった。あなたは一族の呪いを自分の代で終わらせるつもりだったろうが、そうはいかない。呪いは僕が引き継ぐ。そのために僕が作られたんだ。そのためにここまで手の込んだことをしてあなたに近付いたんだ」
「……本物のスティッキーはどうした。殺したのか」
アティスは白々しく口に手を当てて驚いたような顔をした。
「さすがは父さんだ。僕がスティッキーではないことを一瞬で看破したんだね」
アティスを睨みつけ、眉間を穿つように念じるが、軽く避けられる。
「でも大丈夫。殺してはいないよ。死体の処分が面倒だし、だいいちそんなことをしたら足がつく。僕はみんなの認知を書き換えただけだよ」
「認知……まさか、禁忌の魔法か」
「正解。誰もが僕をスティッキーだと認識する。容姿も能力も、本物といくら食い違っていてもバレることはない。本物のスティッキーには適当な認知を上書きして保健室に寝かせておいた」
「貴様は一体何者だ。なぜそんな魔法が――ぐ!」
研ぎ澄まされた魔力の弾丸がペインの腹部を貫く。
「……揺らいでいるね。さっきからずっと。僕の魔力値は父さんにはまったく及ばないけど、どんな魔法使いも動揺すれば脆くなる。しかも父さんの最大の武器であるウェルはこちらの手中にある。勝負はついたかな」
「よく喋るな。私の遺伝子から作られただと?貴様がか?」
ペインは腹部の傷を修復すると、掌の紋章から薙刀を召喚した。
「切り刻んで確かめてやろう」
アティスはぐにゃりと顔を歪めた。
「はは……ははは……はははは……」
迫り来る電撃と風の刃を縫うように棍棒をスイングする。
「ボウ!」
モコロカの胴に命中する。奴の動きは素早く変則的だが、ようやく行動のリズムがわかりかけてきた。
「ボ……ホウ。やるじゃねー・カ!“トリブレッド”!」
やばい、またあれがくる!
モコロカの激しい動きに合わせるように、突風が巻き起こると炎と雷が次々と襲い来る。
「――あ!」
凄まじい応戦の中、破けたポケットからセーフシェルが零れ落ちた。
慌てて拾い上げると、ぎょっとした。
シェルには、大きなヒビが入っていた。