第百八話 架空の悪魔
闇大帝の顔を覆う鎧がわずかに開くと、黒い霧のようなものが隙間から漏れ出した。
「素顔なら……そこにあるではないか……」
黒い霧が凝縮し、手のような形状となってペインに襲いかかる。黒い手がペインを完全に覆い尽くすまで瞬きほどの猶予もない刹那の瞬間、ペインは確かに唱えた。
「“オール”」
ペインの全身が眩い光に包まれると、黒い霧は瞬く間に霧散した。ペインはすかさず追撃を放つ。
「“フォス・ヴォーロ”」
何本もの光の矢が闇大帝に突き刺さる。
「まだだ――はああぁっ」
ペインの咆哮とともに更なる無数の矢が豪雨のごとく降り注ぐ。闇の鎧は怒濤の攻撃をかいくぐりながらペインへと黒い手を伸ばす。ペインは両手をかざし魔力を集中させた。
「――ふんっ」
ペインが放った高密度の魔力網が闇大帝を捉え、その動きを完全に停止させる。それは時間にしてわずか一秒だったが、ペインが追撃を叩き込むには充分だった。
「“デストルクス”」
光の魔力を圧縮した破壊球は闇大帝に直撃した。
「ぬおおおおおお……!」
ペインの強制停止から逃れた闇大帝は、両方の腕で自らの懐で弾けようとする破壊球を無理やり抑えこもうとした。
「こ……これほどとは……ぬうう……!」
「感心している暇はないだろう」
ペインは右手を天にかざすと、もう一つの破壊球が掌に生じた。
「はああっ!!」
第二の破壊球を闇大帝へ投げつけると、第一の破壊球と融合し肥大化し、みるみるうちに鎧はひび割れ、両腕が弾け飛んだ。
「……素晴らしい」
凄まじい衝撃音と共にフロア全体が光に包まれた。
モコロカたちと交戦中、突如、壁や床が激しく揺れた。
「何だ?地震か?」
でも、揺れそのものはほんの数秒で治まった。
「……もしかして、上か?」
何かとてつもない衝撃が発生して、その余波が上のフロアから来たような……。
「ホ・ホウ!そんなこともわからねーのか。トップ同士がやりあってんに決まってんダ・ロー!」
モコロカの鋭い蹴りを飛んでくるが、何とか体をひねって避けた。
「あぶね」
「よく避けたな~ア?」
「何回も喰らったからな、だいぶタイミングがわかってきた」
というか、変な語尾に合わせて攻撃してくるだけだから、けっこう早い段階で攻撃のタイミングはわかっていたんだけど。今までは単純に動きが速くて避けられなかった。
「それより、あんたら今のうちに降参した方がいいんじゃないの?今の衝撃、ペインが勝ったってことだろ。どう見ても圧勝って感じだったし」
「ホッ・ホホウ!こいつぁ片腹いてー・ゼ!」
そう言ってモコロカは右腹を押さえながら床に転げまわった。
……なんかもう質問するのも疲れてくるな。
「一応聞くけど、何がおかしいの」
モコロカはすっと立ち上がり、先ほどまでとは打って変わって真顔で俺の目を見据えた。
「まがいものの時代はもうすぐ終わる。降参した方がいいのはお前たちの方だ」
ペインは床に降り立ち、辺りに散らばっている鎧の破片を注意深く観察した。
「ウェル、どうだ。……やはりそうか。私も同感だ」
闇大帝はまだこのフロアにいる。魔力を消して潜んでいる。
魔力をゼロにコントロールするなど以前の奴からは考えられん芸当だ。闇の世界の帝王は弱者のような振る舞いはしない。むしろ常に魔力を解放している状態で己の絶対的な力を誇示していた。
「七人の賢者に破れ、力を封印されている間に価値観でも変わったのか――なあ」
鎧の欠片を踏みつけると、黒い霧がわずかに漏れた。
「感謝している……」
闇大帝の声がペインの頭蓋にかすかに響く。
「貴殿の素晴らしい魔力を味わえたことは……私の長き生涯において忘れがたい記憶となるだろう……」
魔力を消したまま念波を送るとは器用な真似をする。これではまるでうちの生徒のような――。
「アティス」
ペインはその名を口にした。
「私の息子を名乗る不届き者……信じがたいことに本校の生徒らしいが、貴様の差し金か、あるいは貴様自身なのか……生徒に扮してまで私たちの教育を受けようとするほど勉強熱心とは思えんがな」
「くくく……くははは……」
「意味のない嘲笑はやめろ。不快だ」
「先ほどの光の矢は……我が闇の鎧を貫通しなかったな……」
「……何の話だ」
「クロキは……貴殿よりも遥かに魔力は劣るが本物の光魔法を使う……彼女がこちら側についたことは安心した……クロキならばより効率的に鎧を破壊しただろう……」
「“まがいもの”の魔力だと侮辱したいのか?」
「そうではない……実際、貴殿の“架空の悪魔”…ウェルマクス、といったかな…にはしてやられた……呪いの反動か、賢者をも上回る凄まじい魔力だった……」
――馬鹿な。ありえない。
ウェルは私にしか認知できない存在。いかなる魔法でも他者がウェルの存在に気付くことなどありえない。
「……なぜ知っている」
その一言が致命的だった。
一瞬、ペインは動揺した。隙のない男の魔力の揺らぎを、アティスは見逃さなかった。
「はい、見っけ」
ペインだけが実像を認知する架空の悪魔『ウェルマクス』は、アティスに捉えられた。
「ありがとう、ボス。もういいよ」
「アティス……?」
スティッキ―?こいつがアティスだと?
どこから、いつの間に……。なぜここにいる。なぜ私が気付けない。
ウェル……なぜ実体のないお前が捕まる?
もはやペインの揺らぎは止めようがなく――。
「初めまして、お父さん。僕があなたの息子、アティス=ドロゥです」
アティスは、眼鏡の奥の瞳から一筋の涙を零した。