第一話 消失、再来
アクセスいただき、ありがとうございます。感謝です。
過去に掲載した小説を大幅加筆修正しました。週二回の不定期更新を予定しています。一挙二話以上掲載する場合もありますが、仕事を言い訳に更新が遅れる場合は後書きに記載します。すみません。
皆さまが気軽に読んでいただけるような作品を目指します。
よろしくお願いいたします。
虹色の髪が風に揺れる。
少女はたなびく髪をかき上げ、惑星のような彩りの瞳でこちらを見つめる。
今この瞬間に自分は生まれたのか。そう思えるほど神秘的な光景だった。
少女は天使か。それとも悪魔か。
それは、遠い遠い世界での出来事。少なくとも科学的な手段では到達できないような世界。
そこに辿り着く手段は一つ。俺――犬房一志の神隠しだ。
俺が子どもの頃に体験した神隠し。それによって到達した世界での出来事は、十年経った今ではもうほとんど思い出すことができない。
神隠し……ある日、人間が忽然と消え失せる現象。世の中で起きる唐突で不可解な失踪事件の中でも、およそ人間の仕業とは思えないような出来事には神隠しという言葉が用いられる。神隠し事件は世界中で起こっていて、たった数秒の間に姿を消した人が数日後に遠く離れた土地で発見されたとか、海上で行方不明になった船が発見されたけど数十名の船員が行方不明のままとか、古今東西ありとあらゆるバリエーションの神隠し事件が検索に引っかかってくる。
そうした事件を調べているうちに、いつの間にか底の知れない泥濘が足元に広がっていって、ずぶずぶと沈んでいくような暗い気持ちになっていく。
唐突に大切な人が消え失せて、二度と会えなくなる。それは紛れもなく生き地獄だ。
これらの情報がウソかホントか、真偽を見極める知恵なんて俺にはないけど、確かなことは一つある。
神隠しという現象は実在する。俺自身が身をもって体験しているからだ。
わけのわからない世界に迷いこんだ俺は、わけのわからないまま元の世界に戻ってきた。時間の感覚はまるでわからなかったが、俺がいなくなってから半年もの月日が流れていたらしい。
あれから十年経ち、高校二年となった今ではそんな話をすることはなくなった。誰も信じるわけがないし、信じてくれたとしたらそれはそれで正直ちょっと引く。申し訳ないけど。
俺はたまたま帰ることができたけど、そうではない人たちの方が多いはずだ。その人たちにも家族がいるだろうに。心中は察するに余りある。
それなのに、神隠しから生還した当時の俺は人に会うなりその話をしていた。あの頃の不謹慎で目立ちたがり屋なバカなガキにゲンコツをお見舞いしたい。
マスコミが『奇跡の生還』とか銘打って大々的に報じたせいで(いや人のせいにしちゃいけないけど)アホな俺はヒーロー気分で舞い上がっていた。今思えばこんな恥ずかしいことはない。
ある時期を境に騒ぎはぴたりと収まり、俺はあっけなくただのマヌケな小学生に戻った。
俺の話をろくに聞かず誘拐だと決めつけた親は、やれ転校だ、やれ引っ越しだと手続きを取ってくれた。当時は恨んだけど、そうしなかったら俺は今でもイタイ奴として地元で有名だっただろう。
転校してからは、勉強やらクラブやら人間関係やら、生まれ変わったつもりで頑張ったつもりだったけど……何をやってもどうも空回りしてしまう。
現在、高校での友人は若干3名。言わずもがな全員男子だ(悲)。
まったく特筆事項のない日々を消化していた俺に、“二度目”は訪れた。
あまりにも唐突。予感めいたものはなにもなく、それは起こる。
神隠しという現象は、すべからくそういうものであると俺は再び思い知ることになる。
『観測史上最大の猛吹雪』というニューストピックがスマホに表示されていた日のこと。
「ぐぅおおおお……!」
いびきではない。俺の呻き声だ。
凄まじい暴風と雪。霰が顔に吹きつけてくる。もう寒いというか、痛い。顔や首や手に刺さる冷気が痛い。雪の降っている量自体はそれほどでもないのだが、地吹雪がひどい。地吹雪とは、吹き荒れる風が積雪を抉るように雪を舞い上げる現象のことだ。辺り一面の景色を真っ白に染めている。
マジできついな、これは。
比喩表現ではなく、本当に辺りが真っ白だ。ホワイトアウトってやつか。
雪国じゃああるまいし、なんでこんなとち狂ったように降ってるんだ?雪山が登場する映像でしかお目にかかれない光景が、今、眼前に。
もうほとんど勘で歩いている。何も見えないんだもん。
学校からの帰路、駅から自宅まで二十分ほど歩かなければならない。バスがないわけではないが、この天候だ、一体何時間待たされることか。
今日はなんとしても早く帰らねばならない。コツコツ時間をかけてやってきたRPGが今日でエンディングを迎えるのだ。しかも明日は休み。夜更かしの準備は万端だ。
そんなお楽しみが待っている時に限って、超がつくほどの悪天候。俺はいつもこうだ。
まったく、自分の間の悪さを呪いたい。
「ん?」
おかしい。確かここには横断歩道があったはずなのに。
あれ、何もない……?
横断歩道を渡った先にはコンビニがあったはずなのに。
いやいや、いくらなんでも数十メートル先のコンビニが見えないなんてことはないよな。
「あれ……?」
道を間違えたか?
いやいや。いくら吹雪で視界が悪いからって、間違えるような道じゃない。
横断歩道が二つと曲り道が一つ、至極単純なルートだぞ。
何百回も通ってきた帰り道を間違えるはずが……。
後ろを振り返った時だった。
――なにも、ない。
さっきまで、うっすらと見えていた店や看板、道路や車が、何もない。
ものだけじゃない。音もない。辺りはいつの間にか無風になっていた。
冷気だけをそこらに残し、風や雪は止み、周囲は完全に白い闇に飲み込まれた。
天井が見えないほど高く、白い壁で四方を囲まれたような空間。
俺はいつの間にかそんな場所に迷い込んでしまったのか。
そんなこと、あるわけが――。
そこまで考えたところで、十年前に自分の身に起こった不可解な出来事がフラッシュバックした。
「まさか……」
漫画的な台詞が思わず口をついた。
これ、アレじゃないか?
もしかして、またアレが始まったのか?
前後左右の感覚が覚束ないまま、俺は駆けだした。見慣れた光景の一つでも視界に入れるために、走りながらあちこちを見回した。
でも、見つからない。見つかりそうにない。ああ、なんてデジャヴ。
胸中に諦念が満ちていく。
やっぱり、これは、アレなんだろうか。
いわゆる、神隠し。
始末の悪いことに、あまりショックは感じなかった。
一度あることは二度ある。もしかしたら、ずっとそんな予感があったのかもしれない。もちろん今日がその日だとは思わなかったけれど。
しかし、なんだってこんな日に限って……早く家に帰りたいんだってのに!
走り出して五分もしないうちに、俺は足を止めた。
もう冷気さえも漂ってはいなかった。
そこは、ただの真っ白な空間。
次第に、視界の最奥から闇が広がってくる。光の速さで闇が迫ってくる。
「あぁ……やっぱりそうですよね。絶対アレだよ、これ……」
誰に告げるわけでもなく、俺は呟いた。こうなってしまった以上、もはや呟く以外にできることは何もないのだ。
あの時もそうだった。何もない空間に迷い込んだら、いくら走ろうが、泣こうが喚こうが、事態は何も変わらなくて。やがて問答無用に目の前の光景が変わっていく。
最初に広がっていくのは、宇宙の始まりを思わせるような圧倒的な闇。
三百六十度の闇に包まれると、自分がちっぽけな星になったかのように思えて、得体の知れない孤独感が急激に襲ってくる。
もう帰れないんじゃないのか――そんな絶望感が加速して、肉体が、精神が、闇の一部と化していく。けれど、俺が完全に闇と同化する前に、周囲には光が満ちていく。
それは、元の世界では見られない光。
決して知ることがなかったはずの、俺が知っているものとは別の光。
この世のどこにも存在しないはずの、幻想の世界。