幸せ
美しいものというのはなぜこんなにも心を締め付けて離さないのだろう。
日々、私たちを縛るものはたくさんあるが、それを心地よく感じないのはなぜだろう。
それによってこの世界は保たれているのに。
なぜ幸せには幅があるのだろう。
一つになっていれば答えは簡単。白か黒の二つのみ。絶対に全員が幸せになれる未来を作れるのに。
幸せとはなんなのか。
夢を叶えるのが幸せか。その先に果てしない虚無が広がろうとも?
では、夢を追うのが幸せか。
追い続ける夢は叶えないままになるかもしれないのに?もしもそれに気がついたとしても追い続けるのか?
人はどんな状況でも希望に向けて走り続けられるのか。
その希望の先に何を思い描いて走るのだろうか。幸せで満ち足りた世界ではないのか?
希望を掴んだ先で満足するのはほんの少しの時で、すぐに次を見つけるのは、希望を置い続けることに幸せを感じるからか。
それともひとえに、希望を掴んだ直後の幸福感を再び味わいたくなるからだろうか。
つまり人は希望という形の、夢という形の、幸せを皆追い求めているのだろうか。
幸せとはなんなのか。
幸せが一つならばきっと人々が思う平和も希望も夢も全て一つになって、
争いは生まれず。過酷な世界は消え失せ。個性も消え失せ。自分とは違う考えへの尊敬や知らなかったものへの感動も消え失せ。消え失せたことにすら気がつけない。
そんなトテモトテモシアワセな世界になるのだろう。
幸せとはなんなのか。
幸せを求めるたがために争いは起き、人々が望む平和は遠のく。
今、人々が声を大にして望んでいる幸せは妥協した幸せだ。
本当の幸せを求める人たちの力が釣り合ってしまったとき、世界から幸せは相殺され消え失せるだろう。
つまり私たちの世界は常にどれかの方向に傾いた力がツクッタ幸せの上で幸せを謳歌しているのだ。
幸せとはなんなのか。
幸せとは心が満ち足りていることだそうだ。
この世界で、心が満ち足りている人とは何割いるのだろうか。
幸せとはなんなのか。
その答えの一つは間違い無くこれだ。
幸せとは麻薬だ。
では、大麻や覚醒剤を取り締まり、幸せを掴むことを望む我々はなんなのか。
全員、幸せという名の麻薬の中毒者にすぎないのかもしれない。
幸せとはなんなのか。