聖女と聖獣のヌシ釣り1
「じじい、起きてるか~」
「起きとるわ! じじいと言うな、お父様と言え!」
ハームさんの呼びかけに応えて威勢よく家から飛び出してきたのは、六十くらいの小柄で痩せたおじいさんだった。……と言ってもこの村の人たちは、不作のせいで皆痩せ気味なんだよね。
この人が、村長なのだろう。私とキールに気づいた村長は「おっと」と小さくつぶやきを漏らした。
「旅人さん。このじじいが俺の父親で、この村の村長だ。じじい、この人たちが昨日炊き出しをしてくれた旅人さんたちだよ。俺が持って帰った料理の相伴に、じじいも預かっただろう。礼くらいちゃんと言っておけよ」
ハームさんの言葉を聞いた村長は慌ててこちらに向き直る。そしてぺこりと頭を下げた。
「旅人さんたちの食料にも限りがあるだろうに、本当にありがとうなぁ。ありゃ美味かったよ」
村長はにこにこと嬉しそうに笑う。……キールが材料を得て、キールが調理したものだから手柄はほとんどキールのものなんだけどね。私がやったのは、ひぃひぃ言いながら料理を配ったことだけだ。
「皆様がお喜びくださったのなら、主人が喜びます」
キールは耳を揺らしながら優美に一礼して言うと、にこりと微笑んだ。
「それでわしになにか用かね?」
「数日、この村にお世話になるのでご挨拶をと」
「いやいや、ご丁寧にねぇ。こちらこそお世話になっとるよ。なにか力になれることはあるかい?」
村長にそう言われて考えてはみたけれと……まったく思いつかない。
私が首をひねっていると、キールが一歩前に進み出て口を開く。
「このあたりに、食用にできそうな大きな生き物はいますか? 倒すのが困難だとか、そういうことは気にしなくて結構です」
「ふむ」
「食用……ねぇ」
キールに質問された、村長とハームさんが考え込む。
「その、近頃『アレ』が酷いから、池の主が巨大になっちまったりはしたよなぁ」
やがてハームさんが髭がまばらに生えた顎を擦りながら言った。
『アレ』とは……神気の濁りのことだろう。
「池の主、ですか?」
巨大と言っても、お魚だ。猪よりは可食部位は少なそうだなぁ。
「ああ、すんげーでっけー魚だ。人を三人くれぇ丸呑みできそうなくれぇにでけぇぞ。元々食える種類の魚がでっかくなったもんだし、あれは食べられるんじゃねぇかなぁ」
「人を三人も丸呑みにできそうな……?」
「そうなんだよ。実際に呑まれちゃたまんねぇから、村の人間には池に近づくなって言ってるんだけどよ。あそこで魚を釣れねぇのは、痛いよなぁ」
ハームさんはそう言うと、大きなため息を吐いた。どんな大きさの魚なのか、想像もつかないなぁ。
「では今日は、その主を狩りに行きましょう」
「だ、大丈夫なのかぁ!?」
あっさりと言うキールに、ハームさんと村長が心配そうな目を向ける。
「ご心配ありがとうございます。だけど、大丈夫です」
そんな二人に、キールは余裕の笑みを浮かべてそう言ったのだった。
*
教えてもらった湖は、村から歩いて三時間ほどの場所にあった。
湖は想像していたよりも大きく、美しく輝いている。だけどキールはこのあたりの神気はかなり濁っており、魔獣化していない生き物はいないだろうと言う。
言われてみれば周囲には木々が多いのに愛らしい鳥のさえずりは聞こえず、地面を這う虫も見当たらない。そのことに一度気づいてしまうと、そこはかとない不気味さを感じてしまう。
やっと見つけた芋虫の頭には禍々しい角が生えており、私と目が合うと一目散に地面に潜っていった。
「ニーナ様のご滞在中に、この湖の神気の濁りはある程度払われるかもしれませんね」
キールはそう言いながら、マジッグバッグから二本の釣り竿を取り出した。
主が現れるのかわからないからと、村長が釣りセット一式を貸してくれたのだ。
聖女が滞在すれば、その周辺の神気の濁りは払われる。その速度や範囲は聖女の力の強さによって変わるらしい。そして私の力は強いとキールは言う。
……どう考えても、目立つよねぇ。
私は小さくため息をつき、釣り針にこれも村長からもらった餌をつけて糸を垂らした。
周囲はのどかな風景で、人を三人丸呑みするような化け魚がいるような場所とは思えない。
頬を撫でる風は爽やかで、うとうとと眠気を誘う。くいっと糸を引っ張られ、慌ててそれを引き上げるときらきらと鱗を光らせる魚が針にかかっていた。……やっぱり、角が生えてる。うわ、めちゃくちゃ暴れるなぁ! これも神気の濁りのせいか!
「キール! この魚すごい暴れる!」
「それは、メユという白身の魚ですね……魔獣化しておりますが。これも食べられるものです」
メユは淡水に棲む淡白な白身が特徴の魚らしい。藻などを食べて生きているので、臭みがなく内臓まで食べられるのだとか。
キールは手際よくメユを釣り針から外し、エラと尾をナイフで切る。そこが、魚の急所なんだっけ。そしてメユの腹に手を当ててなにかを唱え、満足そうに「よし」とつぶやいた。
「なにをしたの?」
「血や不純物を、魔法で飛ばしました」
……そんなことができるんだ。キールはなんて便利な聖獣なんだろう。
キールはメユをマジックバッグに放り込む。そのバッグの中って、どうなってるんだろうなぁ。
「このまま主が出てこなくても、食料はどうにかなりそうだね」
キールの針にもかかったメユを見ながら、私は口元を緩めた。
メユは丸々としていて、とても美味しそうだ。塩焼きかなぁ、それともご飯と一緒に炊き込んじゃう? ああ、どれも美味しそう。
「そうですね。ですが次の街までは距離がありますし、村人たちに分けることもできますので……。できれば主を仕留めたいですね」
そう言いながらキールはまたメユを釣り上げる。
……そっか。まだまだ旅程はあるもんね。
それに主を倒したら、村の方々が釣りを再開できるのだ。
私もまた湖に糸を垂らし、魚が針にかかるのを待った。
主は現れないけれど、メユは驚くほどに釣れる。それをキールが、マジッグバッグにどんどん放り込んでいく。
そうして過ごしていると、私のお腹がくるると鳴いた。
※一口メモ
メユ。澄んだ池や川に生息する淡水魚。
その身は淡白な味わいで臭みがなく、塩焼きなどのシンプルな料理に向いている。
魔獣化したものは通常のメユの1.5倍程度の大きさになる。