わんこを拾いました
「……可愛い」
口から思わずそんな言葉が漏れた。
その子犬は全体は薄紫色で胸元は白の体毛という、なかなかファンシーな色合いである。しかし染めました、という色ではなくひと目で天然のものだとわかるのだから、やっぱりここは元の世界じゃないんだな。子犬一匹との出会いだけでしみじみとそれを感じる。
「夢だったら、よかったのになぁ」
ちくちくとストッキング越しに肌を刺す草も、手の中のおにぎりの温かさも。ぜんぶがこれは現実なのだと伝えてくる。私は大きなため息をついた。
『キュン』
子犬が小さく鳴きながらこちらに近づいてくる。一見すると、毛足の長いコーギーのようなサイズと見た目の可愛い子犬だけれど……。この子も未知の生き物なのだ。危険はないのだろうか。
私たちはじっと見つめ合う。いや、微妙に目線が合ってないな。
子犬の視線は……どうやら私の手元のおにぎりに向いているようだった。
「……食べたいの?」
『わん!』
子犬は元気な声でお返事をした。なんてことだ、まるで言葉が通じているよう。ここがどこだとか、これからどうすればいいだとかも教えてくれればいいのにな。……わんこにそれを求めるのは酷だけれど。
「いいよ、あげる。……犬に白米って糖分的にはどうなんだろうな」
私にはこの食料しかない。本当なら牙を剥き出しにしてでも、死守しなきゃならないものなんだろう。だけど私は……この小さな生き物が暗がりに消えて、一人になってしまうのが怖かった。
「あげるけど。寂しいから側にいてね」
そう言いながら口のサイズに合わせて小さめに割ったおにぎりを子犬に差し出す。すると子犬は尻尾を振りながらおにぎりを手から食べた。そしてすぐに食べ終えると、残ったおにぎりをじっと見つめる。大きな目がキラキラとしていて『ちょうだいちょうだい』と雄弁に語っていて、とってもとっても可愛い。
ああ、犬はええのう。思わず甘やかしてしまいたくなる。
「仕方ないなぁ」
手の中のおにぎりの残りを差し出すと、子犬は夢中でそれを貪った。
「可愛い」
つぶやきながら炊飯器からまた米を掬い、握って口にする。お米はこれで最後だ。三合くらい炊いておけばよかったなぁ。
子犬はおにぎりを食べ終えると、ふわふわとした体をこちらに擦り寄せてきた。その小さな体をおそるおそる抱きしめると、意外なくらいに力強い熱を感じる。柔らかな体毛に顔を寄せると、淡い花の匂いを焚き染めたような香りがした。異世界のわんこはいい匂いらしい。満員電車に揺られたせいで汗をかいている私よりも、いい匂いがするんじゃないだろうか。あの獣臭さが嫌いではないので少し残念だけれど。
「暖かいね、お前は。今晩だけでもいいから……側にいて」
抱きしめながら囁くと子犬は『きゅん』と一声鳴く。そして私の頬をぺろりと温かな舌で舐めた。
「ふふ、くすぐったい。……明日から、私どうすればいいのかなぁ」
毎日の勤めは過酷で、だけど弱虫の私はそこから逃げ出すことができなかった。
いつか辞めてやるんだ。そう思いながらも恐ろしい上司の顔を見るたびにその気力は萎んでいく。
過労死、自殺、両親の泣きながらの記者会見。そんな絵面も何度も何度も想像した。
――私は日々から逃げ出したかった。だけど……
「強制ログアウトさせられるなんて、考えてもみなかったなぁ」
子犬を抱きしめたままゴロリと地面に横たわる。ただでさえヨレヨレなスーツが泥にまみれてしまうな、と一瞬思ったけれど。この際どうでもいいだろう。冷え冷えとしていた地面は体温で徐々に温まっていき、なんとか眠れないこともなさそうだ。日本で言うと秋口くらいの気温なのだろうか。極寒の季節でなくてよかったとしみじみ思う。
明日は人を探して、この世界がどんな場所なのか話を聞こう。だけど……
『王都へは戻ってくるな。戻ってきたら処刑する』
そう言われてしまったからには、一番人口が密集していそうな『王都』とやらには入れない。地道に歩いて村でも探すしかないか。……野盗にでも襲われたりしたらどうしよう。この世界は近世ヨーロッパくらいの文化水準に見えるから、日本よりも確実に治安が悪いだろう。
――つーか、勝手に連れてきてこんなところにポイするってどういうことだ。
「あの『王子』とか呼ばれてた男が私を呼び出した、でいいんだよね。システムはよくわかんないけど」
きゅんきゅん鳴きつつ私の服を爪でカリカリしている子犬を見つめながら、私は独り言を盛大につぶやいた。子犬の紫色の毛を優しく撫でると、甘えるように手を舐められる。うう、可愛い。
「聖女様? を喚ぶついでで、私もなにかの手違いで出てきちゃった、ってこと? 巻き込んだなら元の場所にちゃんと帰せっての」
考えをまとめているうちに、悔しくなって涙が出てくる。
子犬はずりずりと私の胸から顔へと近づくとぺろぺろと涙を拭った。
……うう、いい子だねぇ、お前は。
「……一緒に、旅でもしようか」
囁きながら頬ずりをすると、子犬は『わん!』と元気に返事をした。
もふもふなのです(๑´ڡ`๑)




