#6−1:黒
……ポン、ポン、ポン。
「…………」
片手に丸めて持ったノートを、意味もなく柵にぶつけながら歩く。
浩雪は今日もいつもとおなじく1人、家を目指して通学路を歩いていた。
……そう、いつもと同じ。
違うのは、同じ道でも通るのがいつもより数十分遅いという事だけ……。
「……あ。漫画、忘れた」
中学校から10分程度の所にある商店街。
その入り口にある本屋が目に入った時、ふと思い出した。いつもと違う点がもう一つあった事を。
いつもは漫画を読みながら、1人で歩いて帰っているから……。
「ま、良いか。明日で」
とある事情で殆どページが進んでいない漫画。
返却期限はまだ先だし、それに今日は元々勉強する予定だったから。
「そう、1人でね。だから、このノートも別に……」
言いながら、丸めていたノートを広げる。
そこには、今回のテスト範囲が簡潔に纏められていた。
色とりどりのペンでカラフルに書かれており、所々に可愛らしい動物のイラストが書いてあったりもしている。これならきっと、飽きっぽい子でも楽しく勉強できるだろう。そんなノート。
「てか、これ書いたせいでテスト範囲殆ど復習できたし、もう勉強しなくても良い――」
「浩君っ!」
いきなり名前を呼ばれ、反射的にノートをサッと背に隠す。
しかし、声を掛けてきた人物も、浩雪の背に居るわけで……。
「ん? ナニコレ?」
「あっ!」
あっさりと声の主――佐知にノートを奪われてしまった。
ここまで全速力で走ってきたのか、汗でその短い髪の毛が肌にべったりと張り付いている。
「おいっ返せ! てか何の用だよっ!」
「わあっ! 凄いね、コレ!」
大声を出しながら手を伸ばすも、佐知は頭上に掲げてノートを見ているため、手が届かない。
2人の身長は、若干ではあるが佐知に軍配が上がっていた。
まあ、身体を引っ付けて背伸びまですれば届くのだろうが……。
「……おい、返せ」
それは躊躇われた。
これがつい半年……いや、一ヵ月程前なら、遠慮なく掴みかかっていたのだろうが。
最近、浩雪が不用意に身体を接触させると、佐知は急に大人しくなるのだ。
その理由はさっぱりだが、その後の佐知は暫く黙ってしまい、面白くない。
だから、浩雪も自然とそれを意識する様になっていった。
「ねぇねぇ浩君っ!」
「何だ? てか返せ」
暫く「ほ~」とか「へぇ~」とか。実にアホそうな声を出してノートをぺらぺらと捲っていた佐知。
やがて満足したのか。天高く掲げていたノートを、軽く膨らみかけた胸元まで戻すと、ぎゅっと抱きしめて、
「これ、今日貸してくれないかな?」
「は?」
予想していなかったその言葉に、浩雪は不覚にも変な声を出してしまう。
だが、すぐに取り繕う様に咳払いすると、
「や、野球部の先輩方から戴いた過去問題はどぅしたんだよ?」
自然な声音を意識して、あくまでも興味が無い風に問いかける。意識し過ぎて、むしろ若干不自然になっているのはご愛敬。
一方、佐知はそんな浩雪の大根芝居を特に変に思わなかったのか。「ああ、アレはね……」と軽い口調で応える。
「流石に量が多いからね。今日は一旦家に帰って、明日、大きなカバン持ってって、それに入れて持って帰ろうって。なんと、愛ちゃん達も手伝ってくれるんだよっ!」
「……そうか。それは良かったな」
「それでね、明日はそのまま私の家で勉強会することになったんだ!」
「そうか。皆に迷惑かけるなよ?」
「それでね……」
「そうか」
「……浩君、何か怒ってる?」
「何で?」
「え? いや……何となく……?」
「そうか。なら、何時までもこんな所でしゃべってないで、さっさと帰るぞ」
「何怒ってるのさ?」
「だから怒ってないって! それ、やっぱり返せ――っ!?」
佐知が胸元に固く抱いていたノートを、無理やり奪って歩き出す。
「あっ――待ってよっ!」
その後を追いかけた紗千は、すぐに追いつくと、横に並んで顔を覗き込む。
すると、何故か浩雪の顔が赤くなっており……。
「どうしたの?」
「な、何でもないっ!」
「変なの――って、だから待ってってばっ! やっぱり怒ってるでしょ!」
そこから暫く「怒ってる!」「怒ってない!」と同じ言葉の応酬を繰り広げながら、どちらからともなく早足で商店街を駆け抜けていった。
「やっぱり絶対怒ってるっ――あれ? 浩君?」
そして、商店街の出口が見えてきたその時。
今まで隣を並走していた筈の幼なじみの姿が消え、キョロキョロと辺りを見渡す。
すると、数メートル後方で立ち止まり、商店街の店の1つを見つめている姿が見て取れた。