刀礼
めまい。
頭痛。
暗転。
まぶたを開けた時、俺の瞳に真っ先に映ったのは、美しい姫だった。
童話で目にするような、豪奢なドレス。頭には立派な王冠。
童話と違っていたのは、その姫が血に塗れていたこと。
大胆に開いた胸元からは血が滴り、ドレスを赤く染めている。
今にも頭からずり落ちそうな、ひん曲がった王冠。
口元には、凄絶な笑みが貼り付いている。
「来て、くれたのね。間に合ったのだわ。は、あはは」
姫は絞り出すように、笑い声をこぼす。
笑う度、血の涙がポタポタと地面に落ちていった。
「君は?」
さっきまで通学路を歩いていたはずだ。これは夢か? 夢にしては、何もかもがリアル過ぎる。
膝をついた地面の感触。におい立つ血と、焦げ臭さ。
視界の端に映り込むのは、瓦礫のみ。
唯一現実離れしているのは、目の前の姫だ。
血にまみれてなお、姫は美しかった。その血さえ、彼女を魅力的に見せるための装飾に思えるくらいに。
「わたくしは、ガスター公国第一公女、ヒューノ・ガスター。我が呼び声に応えてくれたこと、国を代表して感謝します」
「ヒューノ・ガスター……」
「そなた。名は?」
「真司。進藤真司」
ヒューノは、言葉を吐く度、血の泡を口角から吹きこぼしていた。そんな状態でも、声には力が宿っていた。気品ささえ感じられた。
「シンジよ。時間が無いため、手短に伝えます。そなたを呼んだのは、我が国を滅ぼした大国、セクレチア王国に一矢報いるため。ガスター家に代々伝わるこの聖剣、ガスタード・ソードを用い、かの大国を討ち滅ぼしなさい。この、わたくしに代わって」
ヒューノは、足下に突き刺さっていた、蒼き剣を引き抜き、俺の左肩に剣身をのせた。
「ひゅー、ひゅー、ぐ、りゃ、略式ですが、ここで騎士叙任式を、お、行います」
既に虫の息だ。立っているのが不思議なくらい、顔には生気がない。
口を開こうとしたが、睨むような鋭い視線に刺されたため、唇を引き結ぶ。
「ヒューノ・ガスターの名に於いて、そなたを、我がガスター公国の騎士に任命します……。騎士としての責務を果た、し、惨たらしく殺された、こ、公国民一〇〇万人の無念を晴らすべく! セクレチア王国を、ほ、滅ぼすことを、誓いますか?」
深く考える余裕など、露ほどもなく。
ヒューノの放つ気迫に押され、俺は思わず、頷いた。
「こひゅー、がふっ、よ、よろしい。ではそなたに、聖剣、ガスタード・ソードを託します。曇り無き空のごとく蒼きこの聖剣が、そなたを導かんことを」
これまで鬼気迫る表情だったヒューノが見せた、今までとは違う、優しい微笑み。
心が吸い込まれそうになるほど可憐なその微笑みに、魅入られる。
頼みましたよ。
そう呟き、ヒューノは前のめりに倒れた。
瞬間、ヒューノの唇が、俺の唇に、触れる。
ファーストキスは、血の味がした。
そのキスが、意図してのものなのか、そうでないかは、分からなかった。
なぜなら、ヒューノは、受け止めた俺の腕の中で、息を引き取っていたから。
ヒューノが事切れるのを待っていたかのように、雨が降り始めた。
目の前に立っていたヒューノが、こちらに倒れ込んできたため、ようやく俺の視界が広くなる。
どこまでも広がる、焼け野原。驚くほど、何も、無かった。あるのは、黒く煤けた炭だけ。
篠突く雨が、ヒューノの死に装束たる真っ赤な血を洗い流していく。
そのまま呆然としていたら、ヒューノの遺体が淡く輝きだした。
発光は一瞬。何かする間もないまま、遺体は光の粒子と、なり、消えた。
様々な思考が巡る。何が起こった? どうしてこうなった? 騎士? 聖剣? セクレチア王国を滅ぼせ? 俺が? この剣一本で? どうやって?
そこで俺の思考に、ある記憶が、混ざり込む。
ヒューノ・ガスター。ガスター公国。蒼き聖剣。大国、セクレチア王国。
知っている。俺はこれらの単語を知っている。
この世界は、この物語は……。
俺が中学校の頃書いて、小説投稿サイトへ投稿した小説そのものだ。
完結させられず、途中で筆を折った小説の世界に、俺は、召還されたっていうのか。
そんなことが、起こり得るのか。夢ではないのか。
確かめようがない。何もかもが。
『そういうことだったのね』
混乱した頭が膨大に過ぎる情報を処理できず、異常をきたしたようだ。ヒューノの幻聴が聞こえるなんて。
俺が思い描いた、理想のお姫様。想像の中だけの存在だったはずなのに、さきほどまで接したヒューノは、俺と同じ人間のように見えた。
『お父様が、何かにつけて聖剣に語りかけていた理由がやっと分かったわ。ガスタード・ソードにはガスター家の魂が宿っている。言葉通りの意味じゃなく、心構えだと思っていたけれど、まさか、そのままの意味だったなんて。死して剣に宿りし魂……。シンジ、わたくしの声が聞こえていますか?』
これは、本当に幻聴か? にしてはクリアに、まるでそこにヒューノがいるかのように聞こえる。
『聞こえているのでしょう? 返事をなさい』
「はい。聞こえています」
『よろしい。どうやら私の魂は、ガスタード・ソードに定着したようです』
手元の聖剣を見やる。剣身の付け根に埋め込まれている蒼玉が、チカチカ瞬いていた。
『シンジ。わたくしも、共に行きます。二人でセクレチア王国を滅ぼしましょう』
※第1話をお読みいただきありがとうございました!気まぐれ更新のため、かなり遅くなると思われます。ご了承ください。