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アトラとエクスマキナ

おさらい

神法:魔法の対となる"世界の理"の捉え方の一つ。簡単に言えば科学や、それについての知識一般を指す。

「ところで、手紙にあった『感知なし、非警戒、戦況は劣勢』というのはなんだったんですか?」


 朝食を済ませた後、アイリスさんのローブを借りた私とハンスさんは突如として現れた荷馬車に乗り込み、町へと向かいました。ハンスさんの家に入る前は馬車なんてなかったのに、外へ出たら馬車一式が揃っていました。ハンスさんがいうには「まあ、用意するように働きかければなんとでもなるのさ」と言って、それ以上は教えてくれませんでした。ですから、今はほのかに香る乾いた土の匂いと不完全な舗装による荷馬車の振動を味わいながら、次なる質問をハンスさんに投げかけたわけです。


「ああ、あれかい? そんなに気にするほどのことでもないんじゃないかな」


 手綱を引くのはもちろんハンスさんなわけですが、平坦な道が続くので、話を聞いても特に問題はないでしょう。しかし、ハンスさんは真っ直ぐに前方を見つめた精悍な横顔を見せるだけで、あまり多く語ろうとはしませんでした。私は食い下がるまいともう一度聞きます。


「いいえ、教えてください。私はこれからハンスさん達の剣になるんですから」


 すると、ハンスさんは手綱を持つ手をほんの少し止めて、逡巡したのち、渋々切り出しました。


「……まあ、そうだね。いずれ知ることにはなると思ってはいたけど、アヤノが気になるなら今話そうか。感知なし、というのは、ノット卿側の動きは感知できていないということ。非警戒というのは、ノット卿側が僕たちの活動を警戒していないということ。そして最後の戦況は劣勢というのは……」


「ハンスさん達のことでは、ないですよね?」


「その通り。どうしてわかったの?」


 前方不注意とまではいかないけれど、ハンスさんは驚いたのか体をぴくりとさせました。


「簡単です。だってまだ戦いを仕掛けてるようには思えないですから」


 戦況、というのは、戦いの局面のこと。つまり戦況というものを私たちが観測できるという事ならば、そこには必ず戦いが生じているという事です。しかし、(おそらく)革命の最重要人物であるハンスさんがせっせと農業を営んでいる(フリをしている?)という事実から、現在が戦闘中であると考えるのはあまりに無理があります。したがって、革命勢力と国家の間には戦争は起きておらず、もし仮に戦況というものがあるならば、別の戦争が起きていると考える方が容易です。

 この導出に対し、ハンスさんは感嘆の声に乗せて返しました。


「そうだね。百点満点だ。こちら側に数百人の人手があるといえども、戦闘になれば分が悪い。もしこちら側から仕掛けることがあるとするなら、それは万全に万全を重ねる必要がある。だからまだ戦っていないし、向こうも何もしてこないし、非警戒というわけだ。戦況というのは、別の戦いのことを指している」


 やはりそうでしたか。別に戦いが起きているとしたら、確かさっき話していた……


「おそらく、隣国との戦争……あっ、エクスマキナ、でしたっけ?」


 今度はハンスさんは横に座っている私の方を見て答えました。くれぐれも運転には注意して欲しいものですが、まあ、これは私のせいでもありますからね。


「驚いた。半分正解だよ。僕らの国アトラはエクスマキナと交戦中だ。ただ、エクスマキナは隣国ではないよ。むしろ、遠方の国家だ」


 エクスマキナ、確か、ハンスさんが問題視しているノット卿? の野望だかなんだか知りませんが、ハンスさんの国の政府が攻略しようとしている城塞都市でしたよね。まあ、私がこの国を予想したのはこの世界で知っている国名がこれしかなかったからなのですが。ええ、カナガワケンと言っても意味がないですからね。ですが、遠方の国家と交戦、というのはどういう事なのでしょうか。ハンスさんの国は思っていたより広大で、植民地とそのエクスマキナが交戦しているという事なのでしょうか。


「遠方の国家なのに、どうして?」


「エクスマキナは強力な軍事兵器を持っている。それがデウスエクスマキナと呼ばれる、汎用型国家維持機巧だ。形態は様々だが、ヒト型であることが多い。そして彼らは遠方からでも容易に僕たちの国、アトラに攻撃できるんだ。アトラは、過去にデウスエクスマキナによる侵攻を三度受けている。一度目は二年前の夏。この頃はまだノット卿の政治ではなく、前任のアトランタという正統の宰相だった」


 セイトウの宰相? あれ、ハンスさんって確か民主政のようなものを作ろうとしてませんでしたっけ。政党があるって事は、民主政の地盤は整っているのではないでしょうか?


「政党の宰相? 政治的な徒党があるのですか?」


 すると、ハンスさんは怪訝な顔で続けました。


「徒党? いや、正統というのはね、正しい血統という意味でね。国王の血筋を引くものを指すんだ。宰相は血統にかかわらず国王の任命によって選ばれるんだけど、正統ではない宰相は市賢者と呼ばれる。ノット卿は市賢者なんだ。とはいえ、市賢者は一般市民というわけではなくて、高級官僚であることが多いね。ノット卿は元々軍部大臣だった。」


 なるほど、どうやらこの世界の単語は日本語に訳されるようですが、従来の日本語には存在しない意味概念を持つ語彙も、明治大正の翻訳語(「読書」「暖炉」など)よろしく、その意味から日本語らしく再現されるわけですね。同音異義語でも全く違う意味の単語を聞き流してしまうかもしれないので、結構な注意が必要ですね。用心しておきましょう。まあ、言語、あえて術語を用いるならば、ラングは社会的に所与なのですから、その社会の枠組みさえ異なれば、語彙の体系も異なるはずなので取り立てておかしなことではないでしょう。ただ問題は、それが日本語に無理やり翻訳されているわけですから、どこかで意思疎通というか、価値観の理解に齟齬が出そうですね。まあ、この話はもっと別の時にゆっくり考察しましょう。


「それで、エスマキナによる侵攻というのは?」


 取りあえず、途中で差し込んでしまった問いに対する答えは得られたので、私は本題を促しました。すると、ハンスさんは声を一つ落として、ゆっくりと話し始めました。


「エクスマキナ、そしてノット卿について話すには、やはりエクスマキナによる三度の侵攻について語る必要がある。

 まず、デウスエクスマキナの一度目の侵攻は、アトランタによるエクスマキナ遠征が原因だった。エクスマキナは神法においては先進国なんだけど、その代わり魔法の発達は著しく遅いんだ。神法の発達が遅い代わりに魔法では大陸トップレベルのアトラとは対称的だね。そこでアトランタはアトラとエクスマキナに国交を築こうとした。それまではよかった。

 エクスマキナはこちら側の要求を無視し、入国を拒否した。アトランタはそれでも説得を試みたんだけど、エクスマキナは一体のデウスエクスマキナを投じて追い返そうとした。これに対してアトランタの部隊はデウスエクスマキナを攻撃、二日間の交戦の末、武装したアトランタ小隊は深手を追いつつもこれを撃破した。とはいえエクスマキナは高い城壁に囲まれた都市だから、これ以上の駐軍は不利と見てアトランタは退却した。

 その二週間後、アトラに三体のデウスエクスマキナが飛来した。首都の3分の1が半壊したが、ノット卿の働きにより二体のデウスエクスマキナを行動不能にした。そのうち一体は捕縛、もう一体は破壊した。残りの一体はエクスマキナへと戻り、戦闘は中断された。もともとエクスマキナ遠征に批判的な姿勢を見せてきたノット卿は、その戦闘を、遠征中でのデウスエクスマキナ破壊に対する報復であったと主張し、アトランタを糾弾した。これを受けて国王はアトランタを罷免し、代わりにこの侵攻で功績のあった当時の軍部大臣であるノットを宰相に任命したわけだ。

 それから二ヶ月後、二体のデウスエクスマキナがアトラに飛来。これによる被害は捕縛していた天使型デウスエクスマキナの一体を管理していた施設が全壊させられたこととその個体が奪還されてしまったことを除けばほとんどなかった。そして、これを最後にエクスマキナからの侵攻は一度収束したかのように思われた。

 しかし、その一年後、つまり去年の夏、またデウスエクスマキナが飛来した。総数10体のデウスエクスマキナがアトラの市街地に襲来した。そして今度は空と陸の両方から侵攻してきた。ノット卿はこれまでの侵攻を受けて対空、つまり空軍の強化を行っていたから、飛行能力に特化した"天使型デウスエクスマキナ"に対しては善戦し、四体ほど撃墜させた。しかし、陸上のデウスエクスマキナを止める事は難しかった。天使型とはどうやら”仕様”が違うらしく、こちら側の攻撃では刃が立たなかった。だが侵攻の途中、突然活動が停止したかと思うと、彼らはエクスマキナへと帰っていってしまった。ただ、被害は国の4分の1で、これまでで一番大きかった。

 アトラはまだその侵攻からの復興に時間がかかっているし、軍隊も侵攻以前と比べればほとんどいない。デウスエクスマキナによる後遺症、つまりトラウマやパラノイアを発症する軍人も多く、軍隊への志願者も少ない。だから、もうこれ以上エクスマキナと交戦するには分が悪いんだ。まあそういう意味で、手紙には『戦況は劣勢』とあったんだよ。要するにこのメッセージは、ノット卿がエクスマキナへの打開策を拓いたかどうかによって左右される」


 ハンスさんにしては詳らかに語ってくれましたが、まあ、それほど重要な事柄ということでしょう。問題は、革命が成就する前にエクスマキナによる侵攻で国もろとも破壊されてしまうという、最も危惧するべき結末があるということです。まあ、これを回避するための革命ということもありましょうが、どちらにせよ、ハンスさんの国、すなわちアトラには改革や保守などのレベルよりももっと高次な次元で解決しなければならない脅威があるわけですね。とりあえず、今考え得る一つのシンプルかつ簡単な、もうすでに打っていてもおかしくない手段について聞いてみます。


「あの、素朴な疑問なんですけど、エクスマキナと和平を結ぶことはできないんですか?」


「できない。そもそも、エクスマキナはこちらとの接触自体を拒否しているからね。それに、三度目の侵攻の理由がわからないし、その撤退の理由もわからない。つまり、エクスマキナの求めていることが何なのか全くわからないんだ。だから、仮にコンタクトが取れて、無条件に服従すると決めていたとしても、交渉そのものが成立しないだろう」


 ハンスさんは即答しました。確かに、交渉を封じられた脅威となれば、それはもはや天災と同じですから、どうしようもできないのかもしれません。ですが、そうだとすると、どうしてノット卿が戦闘態勢、それも攻略を目指し続けるのかがわかりません。軍人、しかも司令を行う立場の人間が意固地に、そして闇雲に戦いを挑むとは思えません。


「でも、だからと言って、いつ来るかわからないデウスエクスマキナの襲来にくさびを打つ策なんてあるんですか?」


 私が尋ねると、ハンスさんの手綱は糸を張ったようにピクリと動きを止めました。そして、その横顔は心なしか冷や汗を流しているように見えました。


「いや、それが、ない事はないんだ」


 ハンスさんは恐る恐る答えました。


「どういうことですか?」


 私が促すと、ハンスさんは得意な語り口を懸命に繕いながら説明を続けます。ハンスさんが手綱をそのままにしていると、馬は不思議に思ったのか、歩く速度を落としました。


「デウスエクスマキナは、おそらく、人の手によって作られている事は確かで、なんらかの命令にしたがって行動している。つまり、人間が操作しているんだ。となると、単純に考えて、デウスエクスマキナを止める方法は、その全てを操る人間を行動不能にすれば良いということになる」


 蹄が土を削る音が次第に弱まり、遠くなっていきます。


「でも、そんなこと可能なんですか?」


 けれども、私は気にせず問いを重ねます。ハンスさんも、ただそれを受け止めるだけでした。だから、馬車は誰もいない草原に動かない影を落とします。


「そのために必要だったんだよ」


 開けた草原に、茶色い馬車が一つ、雫のようにたたずんでいます。聞こえるのは吹き抜ける風の音だけになりました。そして、私は次の言葉を待ちました。すると、ハンスさんは一呼吸つけてから、徐に口を開きました。


「鮮烈な風船計画が、必要だったんだ」




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