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卒業

  『名声を追う者は他人の行動に己自身の善をおく。快楽を追う者は善を己の官能におく。しかし、賢者は己の行いに善をおく』


 マルクス・アウレリウスはこのような言葉を残しました。彼は、ローマ帝国16代皇帝として手腕を振るい、五賢帝の一人とされています。この言葉からも分かるように、彼が品格と教養を兼ね備えた人物であることがわかります。

  対して、ローマ帝国ではなく、世界史上もうひとつの大帝国であるモンゴル帝国を作り上げたチンギス・カンはこう残しました。

『男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある』

  いやはや……品格もへったくれもありません。しかし、大帝国を築き上げたその功績は偉大です。そしてこの、ある意味での豪快さが、巨大な土地を統合させる鍵となったとも考えられます。

  つまり、国をよく治めるのであれば、武力ではなく健全な精神と教養がものを言いますが、国を大きく作り変えるのであれば、粗暴で強欲な武力がものをいうのではないでしょうか。

  ここで言いたいことは、治世によって、求められる王の器というものは千変万化するということです。まあもっとも、日本に生きる私達からすれば前者の王が好まれそうですが。

  問題は、ある国があったとして、その国にどのような王が必要なのか、これを見極めることです。そしてそれは至難の技でしょう。現在でも、政治において、強行的な姿勢を支持する人もいれば、穏健な姿勢を支持する人もいます。ただひとつ言えるのは、

 今、何が必要か。

 これを考えること抜きに、

 今、何をすべきか、

 は考えるべきではない、ということなのです。


 *


「悪を挫く……?」

 私が遠慮がちに答えると、ハンスさんは意気揚々と語りはじめました。詭弁というよりは雄弁という風情で。

「この国は狂っている」

「というと?」

「善良な魂を持たないんだよ。力を持つものが」

 ハンスさんの素振りは、私に教えるというよりは吐き捨てるようでした。

「話が見えないのですが……」

 私がぼそりと呟くと、ハンスさんは揚々と声を上げました。

「鮮烈な風船計画だけじゃない。この国に善良な魂はないんだよ。富めるものが富み、貧しきものはその養分となる。つまりね、この国の政治は間違ってるんだよ。エクスマキナを侵略し、よしんば手に入れたところであんな城塞都市に何が望めるというのか。そんなことよりまずは内政に力を注ぐべきだ。治安の悪化も税収の減少も全て国内を適切に治めれば解決できる。にもかかわらずだよ? ノット卿は国内に残る諸問題はエクスマキナ攻略によって全て解決できるなどと語っているんだ。とんだ絵空事だよ。余剰作物は神殿の貯蓄に回さなければいけないだとか、女性に魔法は学ばせるべきではないだとか、あと、君達みたいな年端もいかない少年少女を空に飛ばして落としているとかね。正気じゃない。彼らは善良な魂なんて持ち合わせていない。だから、僕らはノット卿を討たなければいけない」

  ハンスさんは真剣な面持ちです。しかし、新情報の猛攻で、私の脳みそは濁流に萎れた葦と化していました。

「えっと、つまり?」

 私が促すと、ハンスさんは顎に手を当てて、少し考えてから切り出しました。

「つまり……つまりそうだな、僕の国には、君の国で言う『哲学』がない」

 哲学がない……。しかし、国がどうとか、ノット卿? がどうとかこぼしていたところをみると、ここでの意味はもっぱら『政治学』がない、という方が近いような気もします。ただ、この指摘はあながち間違いではありません。かの有名なギリシャ哲学者プラトンは人間の根本的な本性を政治に敷衍させようと試みたくらいですから。そう、善のイデア━━簡単に言えば、私たちの頭の中にある最も理想的なものの姿━━を理解しているものが政治を行うに最もふさわしいと考えたように、政治を形作るのは人間なのだから、その根本となる人間の本性というものが重要になってくるわけです。となれば、政治と哲学は実は地続きと考えられますし、もっと言えば理想的な政治を語るならば、まず根幹となるのが哲学と言ってもいいでしょう。そういう意味では、ハンスさんが『政治学』がないことを『哲学』がないと表現したのも頷けます。このように、哲学なしに政治学なし、という風に考えることもできるのですから。

 (もちろん、イデア云々なしに政治を語るなと言っているわけではありません。この議論はイデアがどうという“内容”ではなく、あくまでフレームとなっている、「どういう政治が『良い政治か』と考える」という哲学的な行為が重要と言ったまでです。)

「なるほど……。それで、ハンスさんは……その国家の考え方に疑問を呈している、そういうことですね?」

「まあ、そういうことになるね。確かに自分は一時は国家の目指すべき目標に従うことがみんなの幸せでもあり、自分の幸せでもあると思っていたよ。でもね、鮮烈な風船計画が始まってから、私の中に何やら引っかかるものができたんだ。アイリスと出会ったのも、その頃だった。国の目標を達成すれば、国は幸せになると思っていたが、そのために苦しむ人間がいるのはどうやら矛盾しているような気がしてね。

 その時気付いたんだ。幸福を犠牲にして得た幸福は、幸福とは呼べないんじゃないかってね。この世の人々は、人間という点で皆同じだ。しかし、その同じ人間同士で、そして人間の手によって、それぞれの幸福に不均衡が生じるのは、間違ってはいないかい?」

「確かに……そうかもしれないですね。多分、全ての人が幸せになる道があれば、それを選ばないことはないです。でも……」

 でも、”全ての人が幸せになる”ためには、”全ての人の幸せ”というものについて考えなければなりません。

「そう思うだろう!?」

 ハンスさんの勢いは増していきます。

「ええ、あ、いや、でも」

「自ら進んで他人の幸福を奪い、その幸福をもって自身の幸福を増やそうなんて、間違っている」

 ハンスさんはもう有頂天といった風情です。アイリスさんはそれを平然と見守っています。

「それは……まあ、そうだと思います」

「だから僕は学会から手を引いた。そして」

「そして?」

「これから、あるべき国家を自分たちの手で作ろうと思う」

  私の知る歴史をたどれば、資本主義に疑問を呈したある一部の社会主義者は、同志と共に小さな共同体を作り、そこに暮らしていたという記録があります。あるべき国家をつくる、というのは、同じ志の人々でほそぼそと暮らすような、そういう意味でしょうか。また、あるいはできればそうあってほしくない選択があるとしたら……

「というと……」

「やはり、すべての人間にとって良い政治をしなければならないのだから、今のように、限られた出自の者だけが政治を振るうやり方を変えなければならない。例えば、国の色々な階層の人々から代表者を選出して、互いに話し合いながら政治をするとか」

 私は体内に刻まれる鼓動をはっきりと感じながら、トドメのような促しをします。

「なるほど……それはわかります。でも、どうやって?」


「今の国家を一度崩すんだ」


  私は、言葉が詰まりました。

 いや、分かっていますとも。人類史でも専制政治に疑問を呈した中級階級による革命という一行がひときわ輝いています。それが正しいか間違っているかは別として。

 そんなことより私は自身の悪運を恨みました。この世界に落ちる場所がもし少しズレていたら? たとえば、本当の意味でごくごく一般の農家の家に落ちていたらきっとこれから予想される波乱も激動も、単なる傍観者として見送ることになっていたでしょうに。


「……なるほど、わかりました。ハンスさんが何をしたいのかを。では、私が剣となる、というのはどういう意味ですか?」


「君に、革命の監督をしてもらいたい」


 ここで私がとっさに思い出した記憶は、中学生のころ、二人きりの教室で成績通知表を横目に「黒崎さんには学級委員をやってもらいたいと思うんだけど」とこぼした担任の先生のことでした。そして、そのようにして任された役職がいかに息苦しいものであるかも、思いだしました。


「待ってください。まず、そんな計画の中心に私を選んで構わないのですか?」


「構わない。なぜなら、君は聡明だし、僕の思想への理解もある。それに、僕たちにはない知識を持っている」


  どうして、「自分にはないもの」を相手が持ってると断言できるのでしょうか。自分にはないものなのだから、それが何か分からないはずなのに。


「あの、質問なんですけど、革命はハンスさんとアイリスさんだけで行うわけではないですよね?」


「もちろん。すぐに動かせる協力者は500人ほどいる」


「じゃあ、ポッっと出の私が監督になることで組織に軋轢を生む恐れはないのですか?」


  まずは軽いジャブを。新参者が既に形成されたコミュニティでうまくやっていけるわけがありません。断る理由としては妥当でしょう。


「ないね。いや、ゼロとは言わないが、第一に、君が風船の子供達の生き残りであることと、女性であること。そして、国家にも革命側にもルーツを持たないこと。この三つを兼ね備えている限り、君を糾弾する理由を、同志たちは持てないだろうね」


 そっか……確かに私が被害者なら、被害者代表として革命軍の重役に就いてもそこまで不和が起きないどころか、むしろ彼らの思想のシンボルとして煌々と崇められるかもしれません。それに、もし仮に国の被害者である(ことになっている)私を糾弾するような者が現れれば、それこそ保守派の反乱分子と捉えられかねないだろうし。


「でも、私がスパイという可能性は?」


  自分から言うのも、よくわかりませんが、この可能性を疑問として抱く人はいそうな気がします。


「それについても考えられない」


 そう言って、ハンスさんは白い便箋をテーブルの上に置きました。これは、見覚えのある、確か領主から渡された手紙。もとい、夜中にこれを探していたせいでアイリスさんに問い詰められることになった手紙です。中には「感知無し。非警戒。戦況は劣勢。」とありました。


「これは?」


「これはね、同志たちと僕たちがやりとりしている手紙でね。もちろん僕が読む前は魔法で暗号化されているから、これは解読後だ。ともかく、ここには都市から郊外へ出たものはいないということが書いてある。だから、君は僕たちの国から来た人物ではないということだ。鮮烈な風船計画を利用して送られてきたスパイという線もなくはないが、そこまでリスキーなことができるほど、彼らは人材を蓄えていないからね。それに、もし周到に用意されたスパイだとしたら、この前のアヤノみたいにたどたどしい答えはせずに、あらかじめ作っておいた自分の身の上をもう少しスムーズに話すだろうしね」


 ハンスさんがそう言ったあと、アイリスさんは付け加えました。


「初めて会ったとき、勘付かれて向こうが周到な使いを送り込んだのかと思ったの。だからアヤノに質問攻めをしてしまったし、強く当たっちゃったわ。ごめんなさい。ハンスさんが手紙が届いたあとあなたの質問に答えようとしたのは、この手紙でアヤノが使いではないと確信したから。とはいえ、私はあの時点ではまだかなり用心してたけどね」


 そういえば、そうでした。尋問にも似た質問の応酬があったと思えば、手紙が届いたあとはハンスさんへの質問コーナーが始まっていたのを思い出しました。まあでも、尋問の前に数時間もアイリスさんがハンスさんとの思い出を語っていたところからして、やっぱりアイリスさんは用心以上に嫉妬の念を抱いていたのでしょうけれども。

 とりあえず、幸か不幸か下手に信頼を置かれてしまったせいで、断る理由が塞がれてしまったようでした。しかし、革命に加担する、という言葉を聞くだけで、現代っ子の私はやはりリスクヘッジの観点からして、逃げ出したいと思ってしまいます。


「あの、監督って何をするんですか?」


「うーん、まあ、流石に指揮を執ったり、戦場に赴くのは苦手そうだから……僕の計画の相談に乗ってもらうのが主な仕事かな」


 戦争において、指揮系統に属すると敗北したとき高級戦犯になってしまうし、戦場に赴けば死のリスクは高まるし、どのような役職に就いても損な立ち回りとは思うのですが、

 相談かあ……。

  まあ、それなら、やっても……。いや、軽率だぞ私! 私の人生において、こういう風に人に流されて失敗した経験のいかに多いことか!


「う〜ん……」


 私は迷います。とりあえず、もし断ったら、という状況を考えてみましょう。断った場合、私はどうなるのでしょうか。まあ、この二人なら私を用済みとして殺すとか、そんなことはないでしょう。良くてこのままアイリスさんの家事を手伝うとか、そんなところでしょうか。だとしても、いずれ革命を実行しようという段階になれば、のんきに家事をやっていればいいということにはならないでしょう。それに、ハンスさんのような弁論に長けた人物ならば、ここで私が断った場合のセカンドプランがあるかもしれません。ハンスさんの詭弁に乗せられてどのみち革命に加担してしまうような気もします。つまり、断ろうが断らまいが、当の革命がどこまで過激になるかによって、私の安寧の度合いが左右されるというところでしょう。

 む? 待てよ。ハンスさんの計画を相談によってうまく軌道修正できれば、革命側と国家側で血を流さずに和解ができるのではないでしょうか。弁論でもって、なるべく争いの無いように、秘密裏に、平和裏に。

 ……まあ、それが出来るほどの能力と、忍耐と、度胸が私にあればの話ですが。


「……すいません、少しだけ考える時間をください」


「わかった」


 ハンスさんは妙に真剣な面持ちで私の返答を待ちました。私はその様子を上目で見送ったあと、深い内省の中へ沈んでいきました。

 まず、私に人を導く能力はあるのでしょうか。

 いや、無い。それは学級委員やグループワークのリーダーをなんとなく引き受けたときのあの奥歯が痒くなる経験から明らかです。いやしかし、今回依頼されているのはあくまで相談役。人を導くのはハンスさん。だったら、別に問題ないのかもしれませんね。とりあえず、ここは保留としておきましょう。

 次に考えるべきは、プレッシャーや恐怖に耐えうる忍耐力。

 うーん、これは微妙。プレッシャーや恐怖に対して、その先にあるカタストロフィを避けるために精一杯努力をしていく、そんな生き方を私はしてきました。中学時代は顧問の先生からの失望が怖かったから必死に部活に打ち込みましたし、高校時代は行く大学がなくなってしまうのが怖いから猛勉強しました。今だってそうです。ハンスさんの革命が激化して血が流れるのが怖いから、どう手を打つか考えているのです。そう考えると、案外私は図太いのではないでしょうか。


 あとは度胸。


 これがおそらく、いま最も正確な判断が迫られるポイントです。これまでの人生において、私は大胆な行動に踏み切ったことはあったでしょうか。結果的に大胆な行動になってしまったことはあったこそすれ、自ら進んで何かしようということはなかったはずです。例えば、学級委員になっても誰かを罰しようとも誰かを助けようともしませんでした。グループワークでもそうです。他グループより優れた成果を生み出そうというわけではなく、不和なくグループが機能すればそれでよいというスタンスでした。真剣に打ち込んできた部活動はどうでしょうか。これも同じことが言えるでしょう。誰かをライバルとすることも、目標とすることもなく、ただ失望から逃れるために鍛錬を繰り返してきたのですから、そこに自らの野望など介する隙間もありません。大学受験では、両親ならびに進路指導教諭、担任の眼差しを背中に一心に背負いながら一切の余暇もなくテキストと格闘していました(いや、今冷静に思い返せばただの自意識過剰に過ぎないのですが、大人の言葉というのは状況が揃えば大仰に見えてしまうこともあるのです。そういえば、勉強と称して図書室のあらゆる蔵書を濫読していたのもそのころでした)。大学に入ってしまっても、4月頃の盲目的な学問への憧憬が薄れてしまえば、意志薄弱の自己分裂ぎみな女子大生しか残らなかったわけです。つまり、私の歴史、もといこの世界に来るまでの私の物語には、内発的に世界に働きかけるほどの度胸が活躍する場面など、露にもなかったと言えます。そう、この世界に来るまではずっと。


 ……この世界に来るまでは?


 もう一度考えましょう。何かが引っかかる。確かに、私の人生を顧みるに、私の生得の気質に改革的な度胸など存在していなかったということは火を見るより明らかです。しかし、重大な見落としが、それも論理的に決定的な欠陥があるように思えるのです。とりあえず、前提に戻りましょう。まず、ここで話しているのは、能力と忍耐力と度胸が備わっていれば監督を引き受けても良しとするということでしたね。つまるところ、出来るならやっても良い、ということです。いや、ちょっと待ってください。出来るなら無条件にやっても良いというのは危険ではないでしょうか。出来るならやっても良いと言うに足る証拠がない限り、これは採用できない論理です。出来るならやるべき、というのはいわば何をやるべきかという問いです。しかし、


 今、何が必要か。

 これを考えること抜きに、

 今、何をすべきか、

 は考えるべきではないのではないでしょうか?


 今の私に必要なものは何でしょう。ええ、この問いは何か必要な物品があるとかそういう話ではありません。何を隠そう、私という人間の人生に必要とされるものは何かという話です。先に述べていた粗末で矮小な気概でもって、愚直と勤勉を装って突き進んでいた大学生までの私についてではなく、おそらく、今、ここにいる私に必要なものです。今や私に必要とされる将来は容易に想像できるものではくなりました。一流企業だろうと、社会的に優れたパートナーをみつけることだろうと、日本という社会で理想とされる人生設計など、この世界では全く意味を持ちません。いえ、全くでなくとも、少なくとも価値観はあらためねばなりません。私が今まで耳を痛めてきた社会の期待する人生の答えなど、幸か不幸か私の周りから完全に姿を消してしまったのです。私に必要とされるものが無くなったことは、逆説的に私が必要とするものを考えるための千載一遇の好期です。

 私に能力はあるか。ある。なぜなら私の培った知識が必要とされているから。

 私に忍耐力はあるか。ある。前世で周囲の期待に押しつぶされることもなく、思い返せばこの世界でも弁論で立ち向かうことを辞めようとはしなかったから。

 私に度胸はあるか。いや、ない。


 今までは。


 度胸が生得的だろうと、なかろうと、私は一度生まれ変わってしまったのですから、過去を覗いてもどうしようもありません。では今の私はどうか。これからの私はどうか。そんなものはどれだけ内省の殻を重ねてもわかるわけがありません。なぜなら過去の自分でさえ、今の自分が回想したイメージに過ぎないからです。だから……だから今本当に考えるべきは、“私はどうありたいか”です。

『どのような世界に生まれ変わりたいか』

 私はこの問いを先送りにしてここへやってきました。ただやはり、『どのように世界を生きていきたいか』くらいは考える必要があるようです。おそらく、それこそがこの世界へやってきた私に課された最初にして最大の試練であり、同時に第二の生を神より賜った代償なのでしょう。


「……わかりました。やりましょう」


 私は沈黙を破りました。そして、同時にある決意をしました。


「ほんとうか? 」


 ハンスさんは私のことを覗くように、そしてまた少し驚いたように見つめます。


「まあ、乗りかかった船ですし……それに、二人にはお世話になったですし。でも……」


「でも?」


 私は一度息を整えてから続けました。


「私は、私のやり方。つまり私の考え方で動きます。時世とか、思想とか、そういったものとは関わりなく、私がその時々で最善とは何かを決めて、それにしたがって行動します。別にこれはハンスさんに反発する可能性があるというわけではありません。ただ、私の監督としての役割は、私が正しいと信じた行動や考え方に基づいて行われます。だから、ハンスさんも私の考えが正しいと思った時にはそれを参考にして、そうでない時は無視をしてもらっても構いません。そういうことでいいですか? それでもいいなら、喜んで引き受けさせてください」


 私は、ハンスさんから目線を逸らさずにそう言い切りました。ハンスさんはそれを受けて、しばらく目を閉じて、それから口を開きました。


「なるほどね。それがアヤノが考えた末の答えなんだね。わかった。よろしく頼むよ。早速だけど朝食を取り終えたら町に出よう。詳しい話はそれからだ」


「わかりました。アイリスさんもよろしくお願いします」



「ええ」


 アイリスさんは少したじろいだようにうなずきました。

 私は、決めました。いや、決めたといえど、明確な答えがあるわけではありません。もしかしたら、この答えはこの前の、神様へ向けたものと大して変わりないものかもしれません。ですが、決めました。私は大学生を辞めます。そう、進路を決められない大学生であることを、辞めるのです。私は今から、自分の進路を━━真理として正しいかどうかは別として━━自分で決めながら生きていくと決めたのでした。

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