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剣と風船の大学生

「君も、僕の被害者なんだね」


 私が……被害者? そうです、確かに被害者ということになっています。鮮烈な風船計画とやらの。ええ。でも、ハンスさんの被害者になった覚えはないのです。ハンスさんが何かしましたっけ?

 ……つまり、ええと、これをうまく説明するとしたら、はい。ハンスさんが、鮮烈な風船計画の発案者ということなのでしょうか。


「ええと、つまり、その……」


「そうだよ。僕が、鮮烈な風船計画のきっかけをつくったんだ」


 ハンスさんはあの詭弁家の顔でにやりと笑います。まるで、この世界のすべての悪の黒幕のように。

 鮮烈な風船計画、確か、人を空中に飛ばして、空から落とす計画……でしたっけ。それをハンスさんが? なぜ? 一介の詭弁な農民である彼が、どうしてそんな計画を立てる必要があったのでしょうか。


「んん、あなた? そろそろちゃんと説明して上げたほうがいいと思うわ」


 アイリスさんが咳払いをして会話に入りました。

 すると、ハンスさんは苦笑いをして一人の夫の顔にもどり、紅茶を口に含んで、ゆっくりと喉仏を下げてから返しました。


「悪かったね。正確にいえば、

 僕の考えた技術が、悪徳な政治家に利用されたってほうが正しい。そうだな、アヤノ、魔法はわかるよね?」


「それが……ちっとも分からないんです」


 あくまで前世の創作の中で魔法に触れてはきましたが、ここではそういった事前知識は前もって捨てたほうが良さそうでしょう。


「んー、そうか、じゃあまあ食べながら話そうか」


 そう言って、ハンスさんは食事を促します。私も頷いて、紅茶を一口いただきました。


「そうだな、魔法というのは、まあ、大まかに言えば、世界の管理者権限を借りるようなもの、と思ってくれて構わない」


「管理者権限を、借りる……?」


「この世界の法則は、神法というだろう? んーと、知らなければ……まあ、そう呼ぶんだけど、神法が世界の普遍的な法則だとしたら、その普遍的な法則に、僕らが干渉を加えた法則を魔法と呼ぶんだ」


 この世界の法則……ううんと、まあ、その語義の範囲は後で考えるとして、物理法則や化学法則の類が神法にあたり、一方それらに干渉? したものを魔法と呼ぶのでしょう。しかしいまいち干渉という言葉の意味をはかりかねます。


「干渉を加えるというのは……」


「世界に対して、再定義をして、その理論に基づいて世界を動かす……と言って、分かるかな。たとえば、まあ、世界が一つの書きかけの物語だとしたら、それまでの物語の解釈の仕方を変えて、これからなるべき先の展開までも変えていくようなものだね。まあもっとも、闇雲に解釈をねじ込んでもうまく行かないのが、魔法の面白さでもあるけど」


 わかったような……わからないような……まあ、こう迷っている時点で理解したとは言い難いのですが。けれど、鮮烈な風船計画の説明に対して、魔法の詳細を求めるとかえってややこしくなるよう気もします。ここは好奇心を堪え、話題を次の段階へ移しましょう。


「なるほど、その魔法が……鮮烈な風船計画とどのような関係が?」


「うーんと、そうだな。鮮烈な風船計画というのは、平易に言えば魔法の軍事利用を目的とした計画なんだ。だからむしろ、関係というより、その魔法が計画そのものと言った方がより正確かもしれない」


 ハンスさんはパンをちぎりながら、まるで世間話でもするような語調で語ります。アイリスさんはというと、紅茶に溶かした砂糖の澱をスプーンですくってはかき回すのを繰り返していました。二人とも、あまり緊張感が無いようです。

 鮮烈な風船計画、その奇妙な名前からどことなく恐ろしい雰囲気を感じてはいましたが、やはりその線で間違いなかったようでした。しかし、私の知る限りの魔法だと……


「魔法の軍事利用……そういえば、アイリスさんは部屋に明かりを灯したり、さっきは台所で火をつけたりしていましたけど、魔法は日常に使われているんですよね。だったら、軍事利用するために、さして実験をする必要もなさそうですけど……」


 ハンスさんは微笑のあとに、パンを頬張る手を止めて答えました。


「まあ、当然そういう疑問が浮かぶのも無理はないだろうね。もちろん、簡単な魔法ならとっくに軍事利用されている。というよりむしろ、現実では軍事利用が先で、生活に還元されるのが後かな。ただ今回は、若干事情が込み入ってるんだ。戦争と学閥が、話をややこしくさせている」


 缶詰やら納豆から、パソコンやGPSに至るまで、文明は戦争と共にあり、と聞いたことがあります。これは魔法においても同じなのでしょう。しかし、政治に学閥がからんでくるとは、すこし事情が違うような気もします。


「戦争はなんとなく分かりますけど、学閥って、どうしてですか?」


 ハンスさんはひとかけのパンを飲み込んで、紅茶をひとすすりしてから返します。


「そもそも、魔法というのは放っておけば勝手に発展するようなものではないんだ。当たり前だけどね。だから、魔法を生活利用する国のほとんどは魔法についての研究機関を持っている。僕もその一員だった」


「一員というか、学会長だったのよ、この人は」


 アイリスさんはティーカップを両手に持って、流し目で零します。


「え? じゃあどうして今は農家を……?」


 そう言うと、ハンスさんはティーカップにかけた手を下ろして、腕を組みます。


「それについてはおいおいね。まあ、とにかく研究機関というのがあって……えっと、うちの国では大魔院と呼ばれているんだけど。

 僕はそこにいたとき、ある魔法の開発に成功したんだ。そしてそれが件の計画の火種となってしまった。

 その魔法こそ、空間操作の魔法、とりわけ、空間を『圧縮』する魔法だった。

 これが、まあおあつられ向きとまではいかないけれど、軍部の第一目標としていたある計画の達成に現時点で最も有用だったんだ」


 軍部の第一目標、えっと、鮮烈な風船計画からして、人を空に飛ばすことでしょうか? でも、空間を圧縮することと、人を空に飛ばす技術が繋がらないような気がします。


「えっと、もしそれが空間移動の魔法なら、空に飛ばして落とすことが出来るのは納得できますが、どうして『圧縮』の魔法でそんな計画になるんですか?」


「鋭いね。でも大きな勘違いをしている。実は軍部の第一目標である計画は、鮮烈な風船計画とは別物なんだよ。

 軍部の第一目標は、ある国に兵士を送り込むことだった。

 となると本当は空間移動の魔法が開発できるのが理想というわけだけれど、現実はそううまく運ばなかったんだよ。かく言う僕も、空間移動の魔法を開発しようとして『圧縮』の魔法にたまたま突き当たったわけで、本来その魔法は副産物的なものだったんだ。だけど、軍部は空間移動魔法の開発に想像以上にしびれを切らしていたようでね。副産物である『圧縮』の魔法で目標を達成しようとしたんだ。そこではじめて鮮烈な風船計画が生まれた。

 今、空間移動の魔法なら空に飛ばして落とすことができると言ったけど、本来は、空に人を飛ばすことは目的ではなかった。これはむしろ、無理矢理計画を遂行しようとしてできた副作用なんだ。そもそも空間移動の魔法なら、相手の国に直接兵士を送ることができるから、空に飛ばす必要はないだろう? ただ、『圧縮』の魔法で相手の国に兵士を送るとなると空に飛ばす必要が出てきたってだけのことなんだ」


「じゃあ、私の言ってたのとは逆で、『圧縮』の魔法じゃなきゃ、空に飛ばす計画にならなかったってことですか?」


「そうだよ。軍部の考えた計画は、こうだった。

 敵国と自国の間の空間を圧縮して、擬似的に空間移動を再現しよう、とね。

 尺取り虫を考えてみてほしい。空間を圧縮して、さらに、圧縮した空間の端と端を同一の点に合わせて、その状態から元に戻すと端から端までの移動が一瞬にして済むんだ。よくトンチを効かせたもんだと思ったよ。

 だけど、これには一つ欠点があった。

 僕から言わせてもらえれば、空間を『圧縮』する魔法は、完成している。でも、『圧縮』の魔法は、『圧縮』の魔法として完成しているという点で、実用としては未完成だったんだ。

 ――なぜなら、『展開』の魔法が出来ていないから。

『圧縮』をするならば、それはコインの裏表のように『展開』の必要性が出てくる。しかし、これがなかなかうまくいかない。まあ、具体的にどう上手くいかないかを説明すると、これまたややこしくなるからここでは控えるけれど、大雑把に言えば『圧縮』前と同じような状況に戻せないんだ。言い換えれば、『圧縮』後は、完全な現状復帰ができない。

 これについて、軍部はこう答えを出した。『別に、全て元通りにならなくても良い場所で使えばいいのだ』と。それで選ばれたのが……」


 鮮烈な風船計画、圧縮、全て元通りにならなくても良い場所。ハンスさんの言葉を待たずして、私の中に答えはでていました。


「上空、ってことですか?」


「そのとおり。なかなか聡明だね。たとえば、空間を『圧縮』して、『展開』する作業を、地上付近で行った場合を考えよう。このとき、当然だけれど地点AとBの間にある『圧縮』される空間には、人や、建物や、自然や動物がいる。だから、これに対して不完全な『展開』を用いたら……?」


「大変なことになる……?」


 先ほどの推察に比べて別人のように稚拙な返答をすると、ハンスさんは満足そうに頷きました。


「そうだね。そして、具体的に言わなかったのも、食事中ということを踏まえたら正解かな。

 まあ、つまり、鮮烈な風船計画というのは、軍部の輸送手段の確保のために、不完全な魔法を実用段階までもっていくための実験なんだ。そして、もう一度言うと、この計画の主軸となる魔法を作ってしまったのが、僕」


 そうして、ハンスさんは話すことは終わったかのようにオムレツをナイフで切り始めました。

 私の方も、なるほどと、一応鮮烈な風船計画については納得しました。けれど、この鮮烈な風船計画の概要と、ハンスさんがどうして今アイリスさんとこうして田舎暮らしをしているかが繋がりません。ただ一つ仮説を挙げるなら……


「なるほど、分かりました。じゃあその、計画のきっかけを作ってしまった責任を負って、ハンスさんは学会を抜けた……とかですか?」


「甘いね」


 ハンスさんはオムレツを喉に下してから、私の方をしっかりと見据えてそう言い放ちました。

 この詭弁家にとって、私の仮説はありきたりで、甘い予想だった、ということでしょうか……


「えっと……」


 私が言葉に窮していると、ハンスさんは何かを察したようで、薄い笑みを浮かべます。


「ああ、いや、このオムレツさ。甘く作ってある」


 ……なるほど?


「あ、はい。そうなんです。お口に合わなかったですか?」


 いや、確かに甘めに作りましたが、それ今言います? やはり、どの世界でも、夫という生き物は食事の味付けには口うるさいのでしょうか。まあ、私に夫がいたことなんて当然ありませんが。


「いや、悪くない。アイリスはどう?」


 悪くない……喜ぶべきなのでしょうか。でもなんだか、言葉選びが気に触ります。私が神経質なだけでしょうか。結構自信作なんですよ?


「私は結構好きよ。砂糖を入れるなんて、最初は焦げるか心配だったのだけれど、アヤノは上手に焼いたのよね。あなたもこっちの方が好きだったら、これからはおんなじように作ってみるけど……」


 さすがアイリスさん。ハンスさん、こうやって褒めるんですよ。まあもっとも、ハンスさんへの配慮を欠かさないところは、さすがとしか言いようがありませんね。


「それは迷うな、いつものような卵料理も捨てがたい」


「……もう、ハンスさんったら」


 朝から仲睦まじい夫婦ですね、微笑ましい……けど、なんと言えば良いのでしょうか。こういうとき、私はどう反応すれば良いかさっぱりわかりません。私は、とりあえずの苦い笑いを用意しました。


「ところで、アヤノはここに来るまでに故郷で何をしていたんだい?」


 何を……私はこの短い人生の中で何をしてきたか……だめだ、こういう思考に陥ると帰ってくるのに三時間はかかってしまいますから。たぶん、客観的かつ概略的に説明すれば良いでしょう。


「え、まあそうですね……私は、それなりに裕福な家庭に生まれまして、あっ、まあ私の住んでいた地域一帯ではって話なんですけど。それでですね、私の住んでいた所には魔法が無かったのですけど、代わりに大魔院? のような学問をするための場所で、勉強をしていました」


「具体的には、何を?」


 ハンスさんは私のオムレツを皿の端に寄せてパンをちぎり始めます。


「そう……ですね、まあ、私は哲学とか認知科学とか言語学を……」


 とりあえず、春学期にもっとも力点を置いた科目を列挙してみます。認知科学なんてあるのでしょうか。いや、そもそもカテゴリーの境界が全く異なる可能性だってあります。


「なんだそれは」


 当然の返答、まあ分かりやすいところから切り込んでいきますか。


「え、まあそうですよね……えっと、哲学は分かりますよね? 」


「いやさっぱりだ。テツガクっていうのは、魔法とどう違うんだい?」


 ハンスさんは食事の手を止めて、私の方をじっと見つめます。哲学とは何か、これはなかなか難しい問いのように思えました。哲学という言葉は、私の中でいつしか馴染みのある言葉になっていましたが、正直なところ、この学問の捉え方は、哲学における真理が雲をつかむようなものであるのと同様に、曖昧で形のないものでした。

 私は、喉奥に垂れ込める、哲学とは何かを語ってしまう”重み”を精一杯に押し返して口を開きました。


「哲学は、誤解を恐れずに言うなら、世界とは何かとか、人間とは何かを考える学問……ですね」


 後は、神は存在するか、とか……

 まあ、これについては私は答えを知ってしまったので、どうしようもないのですが。


「そんなことを学ぶのか……それで、学問として成り立っているのか?」


「うぐ……成り立ってます。まあ、私はしてませんでしたが、世界がどう動いているかを記述していく学問、たぶん、ハンスさんの国で言うところの神法についての学問もありましたよ。確かに私のしていた学問は、同じ国の中でも役立たずと謗られることもありましたけど……」


「そうなのか……ふうん」


 ハンスさんは腕を組みます。そして、詭弁家らしからぬ表情で苦悶を額に浮かべます。


「どうかしましたか?」


「いや、つかぬことを聞くけど……人とはどうあるべきか、とか、善悪とは何かについて考える学問はあるのか……?」


 古代ギリシャや諸子百家、近代の哲学者の面々が脳裏に浮かびます。


「えっと、それこそ哲学がそうです。この領域ではかなり昔からあります。そういったことを考え始めたのが哲学の発端だとも言われることさえも――」


 私が言いかけると、机からガタリ大きな音が響きました。何事かと思うと、目の前でハンスさんが驚嘆の表情を浮かべていました。


「本当か?!」


「あ、ええ、そうですね」


 私はその圧に萎縮しながらも返します。ハンスさんの人柄というものが、いや全く定まりません。


「君は、それに詳しいか!?」


「いやあ、まあ、一応概要としては学んだつもりです」


「驚いた、思わぬ幸運だ」


 ハンスさんは興奮と安堵の入り混じったような息づかいで前のめりになっていた姿勢を正しました。


「ねえ、ハンスさん」


 アイリスさんはハンスさんに目線を配ります。


「ああ、彼女なら」


 呼応するように、ハンスさんはアイコンタクトを返します。


「この子は剣になるわ」


 そう、アイリスさんは零します。剣、って?


「えっ、なんですか、剣?」


 私の問いを歯牙にもかけず、ハンスさんは身を乗り出してこう言いました。


「アヤノ、僕と悪を挫こう」


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