自分の進路を決められない大学生
この話は時系列で言えば第一話のすぐあとです。
分かりにくい構成ですが、お付き合いください。
視界がぐらりと揺れたあと、私の目が覚めたのは、病院ではなく深い暗黒の中でした。
いえ、黒いと思えば一面黒いのですが、赤いと思って見ると赤く見えますし、青色でも、黄色でも同様で、私が今即興で考えた重力色という色で見てみても、重力色で見えてしまいました。
不思議な場所です。私はここに一人なのでしょうか。
「そういうわけじゃないよ」
どこからか声が聞こえます。
「誰ですか?」
「私です」
その声は答えました。いや、「Who are you?」「I am」のような、そんな言葉遊び的な意地悪を望んだわけではないのですが……
「いや、あの、そういう意味ではなくて……」
「ええ、わかってます。ただ、これはあなたが聞こえるべきと思うことで声が聞こえる訳でして、私は声であって、声以外の何者でもないのです」
私が声の発信源がどこかと思い、辺りを見渡すと、酷く不機嫌そうな表情の私が目の前に一人立っていました。
いや、背景色同様、二人だと思えば二人に見えそうになりましたが、気持ち悪いのでやめました。
ええ、目の前には一人しかいません。一人とします。でも、どうして私が二人?
「これも、あなたが声を発する者が見えるべきと思うことで肉体が見えているのです」
もう一つの私を写した像は言いました。でもこの人の中身はどうやら私というわけではなさそうでした。
「えっと、よくわからないのですが……」
「そうでしょうね。あなたが今いる場所と、この私は、あなたの慣れ親しんだ世界の尺度を持ちません」
もう一人の私はクシャッと笑いました。
「というと……?」
「言葉に頼ると説明が難しいのですが、三次元ではない……といえばよいのでしょうか」
「四次元……とかですか?」
「次元という尺度は実はあなたが思っているほど確かなものではありません。単なる、あなた方がもつ世界に対する解釈のバリエーションに過ぎません。したがって、三次元でなければ何次元というわけにはいかないのです」
この、よくわからない私の姿をした何かは腕を組んで頭をコクコクと動かします。
さも説明の仕方に悩んでいることをアピールするように。
そして、先程はこの目の前にいる何かが不機嫌な顔をしていると思っていたのですが、どうやら単にデスマーチで死人面と化した私の顔を忠実に再現しただけだと分かりました。
あと、念のため訂正しておくと、今の私は夏痩せの最中にいたようで、言うほど白豚ではありませんでした。
「じゃあ、質問を変えますけど、今の私は何をすれば? 」
「あなたの最良の選択が聞きたくて」
「最良の選択……?」
未来に裏切られることをこの短い大学生活の中で散々知っておいて、最良の選択など軽はずみに言えるわけがありません。と思っていたら、何かは続けました。
「あなたは今、直感的には分かっているかもしれないけど、一応説明を挟むなら、あなたはもう二度と元の世界に戻れなくなりました。これは承知してください」
不摂生を極め、マンボウ並みの生命力になった私は何もないところで転んで……というか、やっぱり……
「死んだ、ってことですよね」
すると何かは首を傾げました。
「さあ、分かりません。世界を、肉体によって知覚することが出来なくなることを死と呼ぶのなら死んだのでしょう。
続けますね。話はすこし戻るのですが、元の世界にとどまっているあなたの肉体、これはあなたのよく知る三次元的な存在に非常に近いものです。
しかし、今のあなた、つまり、見るべきものを見、聞くべきものを聞く“いま、ここ”に存在していることを自覚した存在であるあなたは、今の私と同様にして、決して何次元などでは語り得ないものなのです」
「すみません、よくわかりません」
いまいち状況がつかめなかった私は、某リンゴマーク社の人工知能よろしく機械的な回答をしてしまいました。
「そうだ、感覚的に理解するにはあなたの世界にいい例があります。あなたは元いた世界で神話というものに触れたことはありますか?」
「あります。いくらかは……」
「それはよかった。ところで、あなたは神話が好きですか?」
「ええ、まあ、嫌いではないです」
「私は大好きなんですよ。あのようなユーモアあふれる皮肉が」
「はは……」
私は彼女の言っていることの意味が分かりませんでしたが、とりあえず笑っておきました。
「おっとと、話が逸れました。とにかく、創世記の言葉を借りれば、あなたは今、魂だけの状態なのです。そして私は神で、ここは天国です」
「天国ってそのなんていうか……もっと安らぎのあるところだと思ってたんですけど」
「それは残念ですね、まああなたは不確かなものに過度な期待を抱くタイプだから仕方ないんですけど」
「うぐ……」
ぐうの音も出ないと、代わりにうぐの音が出るのですね。
「とにかく、あなたは元居た世界から弾き出された存在なんです。
もちろん、あなたの肉体は元の世界で今も元気に自然界を循環しているか、あるいはツボの中に静かに収められているのでしょうけれど、問題は世界からはみ出たあなたの魂の方なのです。
所在のない魂は、それ自体が歪みなのです。いわば、本棚から落ちた本です。
だから、早いところあなたの魂をどこかのスペース、つまりどこかの世界に収めなくてはならないのですよ」
「ここは、天国という一つの世界ではないんですか……?」
「あなた、そうやって学校の先生を困らせてきたのでは……?」
「いや、まあ……はい……」
どうやらこの神様的な存在は、私の図星をしっかりと射抜いてくるようです。
それに、次第に私に対する態度も粗暴なものになってきています。
相手は神様ですが、いささか生意気だと思います。初対面の人へのリスペクトが足りません。
「天国というのはあくまで例えに留まります。この場所というのは、一つの世界ではなくて、それぞれの世界と接合するノードの集合体そのものなのです。離れているノードをすべて同時的にまとめ上げた一つの概念としてこの場所があります
……と言っても、これではあまりに抽象的すぎるかもしれませんね。
けれども、いや、このような言葉になるのはおかしいことですが、理解してください。今の私達は、抽象そのものなんですから」
「はあ……まあ、その……話を続けてください」
結局何なの? と聞きたい気持ちをぐっと堪え、私は会話を促します。
「そうそう、あなたの魂を収める世界を探さないといけないんだけど、どんな世界がいいか、リクエストを聞いておきたくてですね……」
「はあ……あの、リクエストして元の世界には戻れないんですかね……?」
私は一休さん風に、前提を切り崩す質問を投げかけてみました。すると何かは眉間にシワを寄せて、腕を組みながら唸りました。
「まあ、理論上は出来るはずです。でも、うーん、そうですねえ。
あなたは氷水の入ったコップをこぼしてしまったとします。そのとき、落ちてしまった氷を、コップからこぼれる直前にあった位置に寸分の違いもなく戻せますか?」
「私じゃあ……無理だと思います」
「私じゃあ……ですか、謙虚なのは良いことですが、いやあ、私でも難しいですよ。今すぐやれと言われれば断るでしょう。
同じ理屈で、あなたの魂を元の場所へ戻すのは難しいのです。ただ、私は、あなたが美味しそうだなーと思うジュースのグラスにポイッとその氷を入れてやることは出来るというわけなのです」
「なるほど……」
いままでの会話の中でこれが一番理解できました。いや、でもどこか言いくるめられた感じはあります。
「何か行きたい世界はありませんか?」
両目に立派なくまを携えた表情を明るくして、その神様的存在の何かは問いました。
「……じゃあ、平和な世界?」
あまりに月並みな答えですが、間違いはないでしょう。
「いやあ、実に平和ボケした答えですね。あなたは平和の価値をよく分かっていないようで」
嫌味なレスポンスだこと。しかし、あなたに平和の何が分かるんだと問おうにも、神様的存在なので平和とは何かというテーゼに明快な解答を持っているのかもしれません。
ふと思いついたリクエストに一言挟まれたことの苛立ちと、何も言い返せない隔靴掻痒の感によって、なんだか私はこの神様に腹が立ってきました。
「悪いですか……」
「そんなことはありません。大事ですよ、平和。他には?」
「あとは、食べ物が美味しい……とか?」
「一に平和、二に食べ物ですか。どうやらそっちが本音のようで」
神様は口元をニヤリと歪ませた。
「ちょっと、それは心外です! 第一、平和じゃなきゃ美味しいご飯も食べられないじゃないですか!」
私が懸命に反駁すると、神様的何かはさらに口角をつり上げました。
「ほらあ、やっぱり第一に平和、第二にご飯じゃないですか」
「うぐっ……」
失敗しました。そうです。私の反論は同じことを繰り返しているだけで、なんの弁解にもなっていませんでした。無意識にこう口走ってしまうほどですから、認めたくないですが、これは本音なのでしょう。やっぱり白豚じゃないか!
「あの、自虐に豚を使うのはどうかと思うのですが……」
何かはため息混じりにそう呟いた。
「いや、今はそんなこと関係な……って、え? なんで今、思ってることを……」
「分かりますよ。そのくらい。神様的存在なので」
「じゃあわざわざ聞く必要があるんですか?」
「あるさ、『思い、言葉にし、話す』これが重要なんですよ。思考が言葉を介して外界に影響を及ぼしてはじめて世界が構築されるんですから。
言いましょうか?『Let there be light』って」
神様は人差し指の先を、ライターのようにポッと光らせておどけました。
「そういう問題なんですか?」
「まあ、私には、あなたにとって最良の世界というものが何か分かっています。実は」
神様は小さく笑います。もったいぶるような態度が気に食わないです。
「じゃあさっさとそれに送ってやればいいじゃないですか」
私は不意に語気を強くしてしまいましたが、神様的な存在はそれひらりと躱すように答えます。
「いやあ、それがどうにも上手くいかないんですよ。
いや、送ること自体は上手く行きます。ただ統計的にどうも上手くいかないのです。
どうしてか、どんな世界に生きたいかを聞いた魂と、私だけが知っている完璧な最良の世界に連れて行った魂で、より長く生き延び、より大きい幸せを手にするのは最良の世界の方ではなく、
どこがいいか聞いた方の魂なんですよ。
もちろん、最良の世界の方が危機や困難の量も質も低く、生きやすい。つまり前提は間違っていないのです。
けれども、私の選ぶ最良の世界は、長期的視野に立って判断するとどうも上手くいっていないように見えるのです」
幸せの大きさというものが果たしてどのような尺度で測れるのかわかりませんが、きっと神様ですから、“絶対に良い”と言える証拠もあるのでしょう。
また訳のわからない話が飛んできても困るので、この疑問は大人しくパスすることにしました。それよりも、もっと気になることがあるのです。
「確かに、そういう結果が出ているなら、そういうことなのでしょうけれど、どうしてですか?」
「それはですね、やはり“言葉にする”ことが大事だったからです。つまり、人の魂は、“偶然辿り着いた世界”よりも“自分で行きたいと宣言した世界”の方が有意義だったということです。
魂が、それが最良の世界だと宣言してから、魂の方がその世界が最良であったかのように自らの性質を変えていくのです。
また、弱い根拠ですが、自分でここが良いと言った責任というものもあるのでしょう。要するに、あえてぶっきらぼうな表現をすれば、自分の人生は自分にしか分からないというわけです」
「でも、長期的な視野に立った完璧な世界を構築すればいいだけでは?」
私は得意になってかかります。
「あなたは馬鹿ですか?」
「……」
生まれて初めて神様を殴りたいと思いました。いや、死んでるんですけど。
「いいですか、最良の世界の必要条件としてリクエストを聞くプロセスがあるんですよ。
この作業無しに構築された世界は最良となり得ないんです。
もっといえば、私がリクエストを聞いている時点で最良の選択は始まっていると言っていいんですよ。わかります?」
「わかりましたよ、もう」
理屈がどうとかはもう面倒で、今はもうこの神様と喋る時間が早く終わらないかと、ただその一事でした。
「じゃあ、アレですか、平和で食べ物が美味しいだけでいいんですか? ほら、言葉が通じるとか」
「えっ、そこからですか?」
「だってすべてあなたのリクエスト通りですよ? フルカスタムです、オーダーメイドです」
あたかも譲歩してやっているように語りますが、過度な自由は不親切というか、自由じゃないと思います。
「いや、それじゃあ私が何かうっかり指定し損ねて死んじゃうとか、そういうこともあり得るんですよね?」
「まあ、ありますね」
こいつは本当に神様なんだろうか、いや、正確には神様に例えることができる“何か”でしたっけ。
「本末転倒では?」
私がそう返すと、神様はそれを鼻で笑いました。
それにしても、私は鼻で笑うときこういう顔をするのだな、と分かりました。率直なところ、気味が悪い顔だったので、人を鼻で笑うようなことは今後一切しないようにします。
「冗談です。あなたが居た世界でいう基本的人権は保証しましょう。あっ、そうですね、フルカスタムが気に食わないのであれば選択式にしましょうか?」
神様のいう基本的人権とは一体どんなものか気になるものです。なにせいつの時代も人権は、人間が決めてきたのですから。
いや、そんなことよりも、選択式! なんだ、いいのがあるじゃないですか。前世では異世界テンプレなんてつまらないと唾棄していた私ですが、当事者となれば話は別です。
「何があるんですか……?」
もう何も信じたくはありませんが、とりあえず先を促します。
「一番人気が中世RPG風ですかねえ。ドラクエだとかファイナルファンタジーとかの。それ以外だと文明が廃された世界とか、あなたの居た世界より高度な文明をもつ世界とか」
「じゃあ一番人気でいいです」
調子よく選択肢を列挙するのが気に食わなかったので、腹いせに粗暴なチョイスをしました。
「そんなテキトーに決めて良いのですか?」
「いいですから……」
私がこだわらないところをこだわらせてくるのは親切だとは思いませんから。
「じゃあ、そうしましょう。まあ、モンスターとか凶悪な人間にやられないように生き延びて下さい」
またこの神様的何かは口角を上げました。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「なあに、さっきまでは早くこの場を立ち去りたそうでしたのに」
「それは……」
このもう一人の私が腹立たしいのは別として、私が最も安全でいられるような提案を早急にしなければなりません。
最も最適な選択を、私が下さなければ……あれ? これって……
「やっぱり悩む気になりました?」
その時、私の脳裏に一筋の光が射しこみます。
頭上の白熱電球がピカリと光るあのイメージです。まさに“Let there be light”です。“Dim”な脳内の隅々まで“光”が届きました。
「……あの、こういうのはどうでしょう」
「なんでしょう」
「神様的なあなたが選んだ、その最良の世界に行きたい、というのは……?」
「あー、なるほど……」
この時初めて、もう一人の私、もといこの神様的な存在の表情が曇りました。私は畳み掛けるように言葉を重ねます。
「これなら、私が選んだ世界という要件も満たすし、なにより最良の世界を選んだことになりませんか?!」
神様は、ふうとひと息ついて、これまた初めて見せる、晴れやかな表情で答えました。
「うん、それが正解」
「えっ」
「あなたはバカだからたどり着けないと思っていたんですけど、よくやりました。ご褒美も用意しましょうか。では『健康に頑張って』」
最後にそう嫌味を残して、もう一人の私の姿は視界から消えて無くなりました。つまりもうあいつの声も姿も感じとる必要が無くなったということです。
しかし、その一方で、胸のうちに何やら言葉にし難い感覚が脈打ってきました。
いや、これは脈動ではない。カウントダウンです。どうしてか、そう分かるのです。
それは私が“そうだ”と思うからそうなのでしょう。私は身体の中のカウントダウンが今どの段階なのかを感じ取っていきました。
……よん、
……さん、
……に、
……いち、
……ゼロ!
「うわっ!!」
カウントが終了したその瞬間、辺りを覆っていた何色でも見える背景はハンマーで砕いたガラスのようにバラバラと崩壊し、目の前には黒色でも、重力色でもない、鮮烈な青い空と、どこまでも確実に広がっていく緑色の大地が姿を現しました。
現したのですが……
重力色が消えた代わりに、顕著な重力を身体中に感じました。
つまるところ、私は約数千メートル(目算ですが)上空に放り出されたのです。
「……えっ」
なるほど最良のプランとは、思いやりとか、そういう気遣いを超えたところにあるのですね。