”要領”不足で大学生は死ぬ
みなさんはじめまして。
懸命につり革にしがみついて電車の揺れに耐えている小さな女子大学生。
それがわたくしこと黒崎綾乃です。
乗客のみなさんがしているように、空気を読んでスマホを眺めてもよかったのですが、私はただぼーっと窓枠の向こうに焦点を合わせて、車内冷房の機械音が男の人の声に聞こえるナアなどと考えていました。
そういえば、冷房という発明の存在は約百年前の明治時代、とある新聞記事によって予言されていたと聞いたことがあります。
なんでも、西暦1900年記念、100年後の日本を想像してみようという特集記事だったそうです。
その中に「夏を涼しく過ごせるようにする機械が発明されるだろう」というトピックがあったとか。
このことから推察するに、夏の暑さという課題は何もこの二十一世紀を生きる私達だけのものではなかったようです。
しかし、現代の人類は暑さだけに飽きたらず、夏の寒さという問題も抱え込んでいるのです。
私の白く伸びる腕は、いや、このような形容ではいささか潤色の感が拭えませんね。
私の白豚のような二の腕は、今まさに車内冷房によって冷凍保存されそうな勢いであります。
つり革にぶら下がっている様子はさながら解体後のブロック肉のよう。
どうやら、車内の設定温度は、私の隣で大粒の汗をかくビジネスマン様のために調節されているようです。
生まれつき筋肉量が多い男性とは大違いで、ぷくぷくと柔らかい身体をもつ私にとっては、吹き付ける冷風が皮下脂肪を貫く木枯らしの如く感じられました。
明治の新聞記者さんたちは快適な夏を夢見ていたのでしょうが、もし彼らがこの新たな問題を知ったらどう思うのでしょうか。
ひょっとしたら、あらゆる人間にとって最適な空調という都合のいい発明をもう100年後に期待するのでしょうか。
そんな呑気なことは言わず、ただ思いがけない未来に肩を落としてしまうのでしょうか。
どちらにせよ、申し訳なさで胸が詰まります。ごめんなさい、未来はそんなにうまく行きませんでした。
さて、このように予言、あるいは将来の展望というものはいつも意図していなかった形で私達を裏切ります。それは私一人を取ってみてもそうでしょう。
今年の四月。今では到底信じられないこととなってしまったのですが、私は大学という言葉を聞くたびに心踊らせる健全な(?)大学生でした。
私は人類が連綿と受け継いできた学問という営みの最後尾に加わっていくのだ! 眼前には茫漠たる知の海原が広がっている! 入学直後の私には、確かにこのような、全身の血がコトコトと煮えたぎるほどの興奮がありました。
元来小心者の私にとっては珍しいことです。
まあ、やはり、それは珍しいことのままで、燕の声を聞く前に、私の学問に対する熱意はあっさりと下火に向かうのでした。
私にはいくつかの誤算があったのです。いや、恋する乙女のように、盲目的な夢を見ていたのです。
まず一つ目は自身の知識の薄さでした。
いままでの学習習慣を振り返るに、私は本を食い潰し続けてきていました
ジャンルを問わず、気になるタイトルの本を片っ端から手にとってきました。
知識の大喰らいとでも言いましょう。一見素晴らしいことのように聞こえますが、実は褒められたことではありません。勤勉なる怠惰というやつです。
『咀嚼し、味わい、消化する』つまりは知識獲得に欠かせない、いやむしろこれこそが知的活動だろうという動作をパスして、私は単なる貪食な白豚になっていたのです。
私は、人類が残してきた叡智の泉を、ただ己の乾いた教養を潤すための道具にしていたのです。
当然のことながら、学問へ足を踏み入れるには、牛飲馬食の穀潰しではいけません。一汁一菜の美食家となり、形がなくなるまで噛み、味がなくなるまで味わい、余すところなく血肉に変えることが重要なのだと気づいたのでした。
したがって、平たく言えば、私は満足のいく期末レポートが書けなかったのです。
二つ目は、己の体力の無さでした。
中学生時代は陸上競技部に所属していましたが、私は高校で美術部に転職しました。
それに伴って小麦色の健康的な体躯が真っ白な脂肪に埋没していったのはもちろんのこと、階段の昇り降り程度の運動で息が上がるくらい、私の体力は落ちきってしまっていました。
かつて坂道を駆け上っていた痩身の少女はどこへ行ってしまったのでしょうか。
いや、あの頃はあの頃で細身ではありませんでしたね。短距離型の筋肉はあんまり細くは付かないものです。
話が逸れました。
とにかく、体力が無いと、通学の電車さえも重労働。授業の度に講堂を渡り歩くのも一苦労。
それに動かなければ良いという訳でもなく、背筋腹筋、おしりの筋肉が見る影もなくなった私にとって、長時間座り続ける講義でさえ、さながら某RPGで“毒ダメージ”が蓄積するかのように私のヒットポイントを削っていくのでした。
それに、現実にはHP回復アイテムなどありません。自宅のベッドでしか回復できません。(エナジードリンクの類はどうやら私の身体には合いませんでした)
それにも関わらず、遠方の大学であること、人付き合い、あるいは課題などの要因が積み重なり、睡眠時間さえもHPバーのごとくちびちび削られていきました。しまいにはマイナス方向へと伸びる体力ゲージを横目に私はグッタリと自主休講へ足を沈めていきました。
三つ目は、自身の傲慢さに気付かなかったことです。
人間は何も知らない領域に対して楽観的になってしまう時があります。少なくとも私はそうでした。
上でも触れましたが、四月頃の私にとって大学生活は未知の領域でした。どのように毎日を過ごすかのイメージが定まっているわけがありません。
ただ頭の奥に浮かぶボンヤリとした理想像をそのまま自分の未来に当てはめてムフフと笑っていたわけです。
しかし、一つ目の理由で述べたように、自分の力量を見誤っていましたし、二つ目の理由で述べたように、私は大学の生活に耐えうる肉体をもっていなかったので、私の思い描く理想のキャンパスライフなどまさに絵に描いた餅でした。
そこで強調しておきたいのが、この言われてみれば当たり前のことを、当時の私は歯牙にもかけていなかったということです。
具体的に言えば、私は自分の能力を過信して、なおかつ大学生活を甘く見て、修羅を具現化したような履修登録をしてしまったのです。自分ならできると思っていたのです。無知って恐ろしい。
以上のことを一言で言ってしまえば「現実的な見通しを持てなかった」ですが、とにかくその三つの誤算がそれぞれ互いに影響を及ぼし合って、出がらしのしじみのような私が出来上がりました。
心身共に疲れてしまい、どこから癒せば良いのやら。今日の占いの恋愛運が一位だとしても、こんななりでは何の期待もできません。
仮に素敵な出会いがあったとしても、私の矜持が許しません。往生際が悪いかもしれませんが、私だって乙女の端くれ。
こんな不摂生な女を私だと認めたくありません。(そもそも、こんな顔の状態の女を見初める男なんて信用なりません。どんなに甘い言葉を囁やこうともです。都合のいい言葉よりも、黙って私に高級スイートルームの鍵を渡してほしいものです)
とりとめのない思考に耽っていたら、ガタンゴトンの軽快な振動は次第にテンポを落として、私の降りるべき街へとゆっくりすり寄っていきます。
私と同じく学生と思われる少年少女が扉の前へこんもりと群がって、しばらくしてから紙飛行機を飛ばすようにホームへと乗り移っていきます。私はその最後尾にちんまりと身を寄せて電車から降りました。
外は熱気に満ち満ちていました。太陽はアスファルトを遍満に照らしています。
夏の暑さは死神です。何と言っても出会ってしまえば最後、逃げようがありませんから。いや、それにしても今日は一段と暑いようです。
眩しすぎる日光のせいか、視界の縁はフラッシュを焚いたように塗りつぶされ、前頭葉がズキズキと痛みます。熱を帯びた空気は呼吸のたびに、体内で膨張しているかのような存在感を放ちます。
私は吐き気を抑えながらなんとか額の汗を拭います。朦朧とした視界の中、拭った手の根元に鬱陶しく巻き付いた時計を睨んだところ、現在の時刻は始業まであと十分を切ったところにいました。
まずい。いくらレポート提出のためだけの授業とはいえ、遅刻するわけにはいきません。
数多の遅刻者を欠席扱いにしてきた科学史の田中先生となれば、一秒の遅れであれ、レポートを受け取ってくれることはないでしょう。もしここで走り出さなければ、万有引力さながらあたかも普遍法則のように落ちていくでしょう。単位が。
幸い私は元陸上部。筋肉は消えても神経回路に刻まれた走り方の最適マニュアルは消えません。力を抜いて、けれどもしっかりと踏み込んで、最初の一歩を踏み出しま____
あれっ……!?
最初は、夏の暑さで地面がとうとう溶け出してしまったのかと思いました。しかし、グニャリと体勢が崩れていった本当の理由は、私の平衡器官が不調をきたしたためでした。
自分の頭が鐘つきで打たれたらこんな感じだろうなという鈍痛が頭骨内で反響します。
ご安心下さい。私は誰かに殴られたわけではありません。ただ、疲労、睡眠不足、ストレス過多によってムクムクと膨らんできていた病の風船が、電車と街とのエッジの効いた寒暖差によってばちんと暴発したに過ぎません。
視界の急転直下を見守る私。こんな万有引力はいままで知りませんでした。
無知って怖いですね。
私は自分の命のHPを理解していませんでした。このままでは側頭部をアスファルトに打ちつけてしまうので、私の寿命はさしずめコンマ数秒といったところでしょう。セミたちでさえ、みんみんと私の夭折を嘆いています。
やはり、現実というものは、往々にして人をたぶらかすのでした。
セミに見守られる最期、セミファイナルです。