第四百十話 魔女の書
リン婆ちゃんの長い長い昔話……というか、自分語りで多くの興味深い事を知ることが出来た。
リン婆ちゃん事、リナバール・ラムトレインは元帝国軍魔力研究所 所長だと言う。魔力研究所というのは、ジルコニスタに言わせると今は機兵研究所と名前を変え、存在しているらしいのだが、その中枢となる部署の所在地は明らかになっておらず、魔力炉や制御システム（に該当する魔術陣）の詳細は謎に包まれているとのことだ。
ジンと旧知の仲である所か、紅き尻尾に所属していたというのも驚いたね。獣人種は寿命が長く、見た目から年齢を推測することは難しいけど、普通の人間である若き皇帝と出会ったエピソード等から計算すると、獣人族としてはまだそこまで高齢ではなさそうだ。
いやいや、別に婆ちゃんの年齢を知りたかったわけじゃない。何年前の話なのか気になっただけなのだ。
「カイザーが何を考えているか私にはわかりますよ。以前リリィから貰った騎士団手帳に年表が書かれていたので参考にしてください」
流石スミレさんだ。思考が一部リンクしているからこそなんだけど、こういう時だけは便利だね。早速検索をかけると、該当するデータを見つけられた。
あまり興味がなかったのでちゃんと調べることもなかったが、どうやら例の皇帝で3代目。となればナルスレインが4代目ということになるね。
皇帝が3代目に代替わりしたのが新機歴63年、今が121年だからおよそ58年前か。騎士団手帳と言うだけあって、帝国豆知識が満載だな……。
これによると、当時3代目皇帝は21歳。つまり今は79歳か……。歴代皇帝が60前に崩御してることを考えれば中々長生きしているな。
……まあ、既に生きているとは言えないのだけれども。
婆ちゃんの話しぶりからすると、既に皇帝になってから知り合ったようだから、シュヴァルツのプロトタイプが生まれたのは凡そ30～40年前くらいの話なんだろうな。
シュヴァルツが婆ちゃんの手を離れたのも恐らくはその辺りで、そこからコツコツと世代交代を続け、現行機につながるわけか。個人的にはその辺の歴史も詳しく知りたいところだけれども、流石に機密扱いだけあってデータには無いな……。
と、歴史の海に漂っていたのだが、どうやら婆ちゃんが戻ってきたようなのでおしまいだ。
「外が大分騒がしいと思っていたらお前さん方の登場じゃろう？ レニーにルッコに妖精様とくれば、これはもうお告げの流れだ。お前さん方は煩い連中を静かにしてくれる、違うかい？」
そう、話しながら箱を重そうに持ち、フラフラと歩く婆ちゃん。思わず立ち上がったジルコニスタが手を貸そうとしたが『年寄り扱いはやめな』と一喝されている。
「ずいぶんと前にしまい込んだ物だからねえ。見つけるのに苦労したよ……もう見ることもないと思っていたんだが、これはきっとこれから必要なものさ」
「婆ちゃん、これなに？ すっごい束だけど……」
リン婆ちゃんが持ってきたのは埃にまみれた古い紙の束だ。何やら重要な情報が記載されているらしいのだが、インクが悪いのか、劣化していて可読性が低い。
「これはね……。私の歴史だよ。シュヴァルツの仕様書さ」
婆ちゃんは見ている側がハラハラする少々雑な手付きでバサリバサリと紙をめくり、目当ての物を一番上にガサリと置いた。
「ゴホッゴホッ……なんだい、酷い埃だよ……これがシュヴァルツ試作機の心臓部、魔力炉の図面なんだがね……ああ、参ったね。字やら線やらがすっかり薄くなってるねえ……」
残念そうに広げた図面は婆ちゃんが言う通り、文字が消え、線が消え肉眼で読むのは難しい程劣化してしまっていた。幸いなことに紙はそこまで劣化していないようなので、これならなんとかなりそうだ。
「私もね、ずっとここに籠もっているわけじゃあないんだ。実家がある集落……今ではまあ、それなりに立派な村になってるが、そこに親類の様子を見に行ったりね、薬を売りに行ったりしてるんだよ。すると、外の情報が耳に入るのさ」
一枚一枚図面をめくり中を確認しながら婆ちゃんが帝国の現状を話す。大体私達が予想していたとおりで、ルクルゥシアは各地に眷属を送り、眷属化を進めているようだ。
「私がお前さん方に何をすればよいのか、そこまでは妖精様から伝えられていないからわからないが、今まで妖精様と共に歩んだ人生を考えればなんとなあく察しはつくさ」
そして婆ちゃんは図面を託すかのようにこちらに押し出し、力なく笑顔を浮かべた。
「いえ、託されても困りますよ、リン婆ちゃん」
「ほえ？」
いい場面だと言うのに、突然スミレが妙な返しをするものだから婆ちゃんまで妙なリアクションをしてしまっている。一体何がしたいんだ、このAIは。
「この資料は我々の仲間の手によって修復可能でしょうし、技術者達もそれなりに揃っていますので、我々だけでもなんとか出来ると思います。しかし、それでは駄目なのです」
「一体何を言いたいんだい？妖精様」
「我々は確かにこの資料を読み解くことは可能でしょう。しかし、資料だけでは伝えきれない情報というものは存在します。開発者である貴方が加わってはじめてこの資料は完成するのです。リン婆ちゃん、我々に同行して下さい。共に帝国を、世界を救いましょう」
なるほどそういうことか。確かに仕様書を書いた人が来てくれるならば百人力だ。
「いや……しかしのう……私はもうただの婆じゃよ？鋼鉄の魔女ではなく、薬草の魔女なんじゃ。もう何十年と現場から離れておるから足手まといになってしまうよ」
「大丈夫だよ！婆ちゃん！エンジニアでもなんでもないジンさんが本職の人たちを怒鳴り散らしてるんだよ？ ジンさんにできて婆ちゃんに出来ないことはないよ！」
レニーが無理やりな屁理屈を捏ねて婆ちゃんを納得させようと頑張っている。エンジニアでも何でも無いと言うのはたしかにそうだが、一応ジンは遺物の専門家で、下手なエンジニアより機兵の知識に明るいのだ。リン婆ちゃんも紅き尻尾で機兵の知識を学んだわけだから、そんな事は百も承知だと思うのだけれども……。
「ああ、そうだったね。あんたら、ジンとつるんでるんだった！そうかい、あの小僧が威張り散らしているのかい……。そうだねえ、このままこの土地で寂しく森に還るのも悪くないとは思ったが、ジンの頭をぶん殴らないといけない気がしてきたよ」
「それじゃあ！婆ちゃん！」
「しょうがないねえ、ルッコからならともかく、妖精様とレニーに頼まれたんなら断れないさ」
「……母さん……」
「やったあ！」
複雑な顔を浮かべるジルコニスタだったが、同行してくれるとなって何処か嬉しそうな表情を隠している。いくつになっても親というものは大切な存在だからね。行き先はグランシャイナーだけど、いつ眷属がやってくるかわからないこの家よりだいぶ安全だろう。
……戦地に行くことにはなるだろうけれども、バリアは有るから……きっと。
こうして婆ちゃんの同行が決まり、長い長いお茶会がようやく終わりを告げたのだった。
