第7話 子供の喧嘩は次の日には解決する
ロードの性別とベインとの関係を知ってからというもの、俺は何となく自分の根城にしていた3階のあの場所に行きづらくなっていた。元はロードとベインの場所だったのにそこへ何も知らない俺がやってきた。それが二人の邪魔をしてるような気がして悪い気がしたのだ。
とはいえ俺が急に独立したらあの2人は心配するだろうし、そもそも俺は独立するにはまだあまりにも未熟だ。100階あるダンジョンのうちの6階までしか把握できていないし、まだ一度も勇者と戦闘をしたことがない。
だから俺は悪いとは思いつついつもの結局いつもあの場所へと戻る。
「戻りました」
「あ、ウィル君お帰り」
「お帰り~ウィル君。よかった~帰ってきてくれて」
「どういうことですか?」
「ごめんウィル君。僕がうっかりしてたばかりに、今日が給料日だということを教え忘れていた」
給料日?心当たりが全くない。俺はいつ働いた?給料を貰うようなことなんてした覚えがない。
「ベインさん。何のことを言ってるんですか?俺はこの世界に来てから一度も働いたことなんてないですよ?」
「ああ、そうだよね。うん。その辺も含めて今から説明するね」
「全く、ウィル君の教育係は誰ですか~?しっかりしてくださいよ」
「僕はマスターに任命されただけで慣習としては教育係はお前だからな?」
「Zzz~」
「寝るな。スライムの癖に狸寝入りするな」
「ボクは都合の悪い説教とかは寝過ごす主義なんですよ~」
「寝過ごすという言葉にやり過ごすといった意味合いは無い」
軽い応酬を繰り広げた後にベインはこのダンジョンにおける通貨の説明を始める。
どうやらこのダンジョンでは俺以外のモンスター達も飲まず食わずで生きて行けるらしい。だから基本的に睡眠さえ取れればいいのだが、人間だった頃に好きだった物をもう一度食べたいとか思う者も少なからずいる。
そんな奴らの願いを叶えるべくかどうかは定かでないが、この世界の『神』は月に一度シェルと呼ばれるお金をモンスター達に配布する。そのシェルを1000シェル集めれば前世で自分が持っていたものや摂取したことのある物を召喚できるらしい。
ちなみにひと月に支給されるシェルは100シェルで、今日がその支払日だったらしい。
「もう日付変わっちゃったから、今回だけ特別に僕が代わりにマスターから受け取って来たんだ」
「わざわざありがとうございます。マスターに何か言われませんでした?」
「言われてたよ~。本人以外に支払うのは手続きとか色々面倒臭いらしくってね~」
「あー…マスターが嫌がりそうですね…」
「まあでも小言は2分くらいで終わったよ。小言を言うこと自体が途中で面倒臭くなったみたいで」
しかし、マスターがこの世で忌み嫌う面倒臭いことを、俺の給料のためにわざわざやってくれたということは素直に感謝すべきだな。アーメン。
「そしてこれがその100シェルだよ。一応確認してね」
そういってベインに手渡されたのは一つの袋。受け取ってみると中に入ってる「シェル」が自己主張するように下向きに俺の手を引っ張る。袋を開けて中身を確認してみると中には金の10シェル硬化が3枚、銀の5シェル硬化が10枚、銅の1シェル硬化が20枚入っていた。
「両替はマスターの所で無料でやってもらえるからね」
「無駄遣いするくらいの気持ちで使った方がいいよ~。娯楽以外に使い道なんて特にないから」
「分かりました…」
しかしこの世界で娯楽なんて何があるんだろうか?この世界の娯楽に期待するよりも俺が前世で遊んでたゲーム機とかを召喚した方がいいんじゃないだろうか?買っても遊ぶ時間がないからという理由で買わなかったゲームをこの世界でなら遊べ…
いや、駄目だ。俺が召喚できるのは生前所持してたものと摂取したことのある物。つまり、結局買わなかったあのゲームはこの世界に召喚できない。
なるほど。お金、もといシェルの使い方が分かってきた。自分が生前に手に入れられなかったものを手に入れるために使うんだ。
「ボクのおススメはね~投資だよ」
「投資?」
「そう。今のうちにボクに美味なるものを貢いで、将来ボクがビックになった時に備えるんだよ~」
「おいロード。何か勘違いしてるようだが、そういう取引が成立するのはお前がビックになるための努力をしてる場合だ」
「冗談はさておき先輩。ウィル君に教えるならまず物価からじゃないすか?」
いつも冗談ばかりのロードが冗談をさておいたばかりか、実のあることを言い出した。
「それは確かにそうだな。いいこと言うじゃないかロード」
「いや~それほどでも。というわけで今からみんなで9階に行きましょう」
「9階…?そこに何かあるんですか?」
「それがお前の魂胆か…まあ、たまにはいいか」
「あの…9階には何が?」
「あ、ごめん。ウィル君。9階にあるのはあれだよ。『マーケット』」
ロードの表情がぐにゅりと歪んで悪だくみが成功したような顔になる。
「そうと決まればすぐ行きましょう。先輩。現金は持ちましたか?」
「ああ、持ってるよ」
こうして俺達はダンジョン9階、通称『マーケット』へと向かったのだった。
*****
ゲートをくぐって9階に到着した俺の目にまず飛び込んできたのは普通のダンジョン。岩の壁と等間隔に配置された松明。どうやら9階がワンフロア全部マーケットなわけではないようだ。
それもそうか、俺達にとってはマーケットでも勇者達にとっては攻略対象、無防備に商売なんてするわけないよな。
「ウィル君。これからマーケットまで僕が先導するけど、ちょっとややこしいし、場合によってはびっくりするとおもうけどよく見ててね」
どうやらゲートからマーケットまでは少し歩くようだ。それもややこしい道を。
もちろん俺自身も用心するが、リリーから貰った地図機能を持った魔道具がある。これは自分の通った道を記録し、地図として表示できる魔道具なので一度通った道では絶対に迷わない。
「まあまあ、後ろからボクもついて行くからそんなに構えなくていいよ~」
元よりそのつもりなので俺はより一層気を抜いて、前を歩くベインの背を追った。ベインはスタスタと直進し、眼前に壁が迫っても意に介することなく歩み続け壁に手が触れるか触れないかくらいの所まで来て停止し、前方に手を伸ばす。
「今からこの壁をすり抜けます」
「え?」
「マーケットはこのダンジョン内にあるけどダンジョンの一部じゃないんだ。ダンジョンとは別の空間にマーケットはあって、この壁がその入り口」
「さいですか…」
そういわれても目の前に広がっているのはダンジョン内にありふれた岩の壁だ。カムフラージュがなされているのだろうか。
「まあ百聞は一見にしかず。今から僕が壁を抜けるから、僕が手を付いた場所をよく見て覚えて。同じところに手を付かないと入れないから」
「大丈夫だよ~目印として×印が刻まれてるし、誤差は5センチまで許されるみたいだから」
「そうなのか?誤差の話なんて僕は初耳だけど」
「初耳かもしれないですけど本当ですよ。こないだ僕が自分で実験したすもん」
暇なのかこの人は。
同じことを思ったのか、ベインも「何してるんだお前は」という表情をし、
「何してるんだお前は…」
実際に言った。
「気になったことはとことん追求。偉大な学者はみんなそうすよ」
「そうかもしれないがお前は学者じゃない。とにかく、僕は先に入って向こうで待ってるから、後は頼んだぞ。ロード」
「はい。いってらっしゃい。向こうで無事に会えたら、ボクと結婚してくださいね」
「その約束をすると多分僕は死ぬ」
ベインは壁に手を付き、そのまま前進して壁に吸い込まれるようにマーケットへと旅立って行った。
「はぁ~…ああいう風に何回かアタックはしてみてるんだけどね~」
「何のことです?」
「え?いやだから結婚」
「あ、あれって本気だったんですか?」
「本気だよ~…まあ、照れ隠しを多少含有してたかもしれないけど、それでも正式なプロポーズだよ」
俺には冗談にしか聞こえなかった。多分ベインもそうだったんだろう。
「あーごめんね。さっきの発言まで含めて冗談だったから、忘れて忘れて。そんなことよりはやくマーケットへ行くよ」
とても冗談とは思えない仕草ででロードは話題を変える。
しかし俺は他人同士の問題に立ち入るつもりもないので先ほどベインがすり抜けて行った壁に目を向ける。
先ほどのロードの言葉通り壁には刃物で削ったような×印が一つ。よく見ないと分からないほどの大きさのものだった。
「この×印に手を付けばいいんですか?」
「うん。そうだよ~」
腕を前に突き出して俺は×印を押さえ…
られなかった。俺の手は壁の×印をすり抜け、別の空間へと旅立つ。その瞬間俺の頭にはある疑問が浮かんだ。
「あの×印、誰がどうやって書いたんだ?」
この疑問が解消される日は来るのだろうか?
*****
「やあウィル君。無事来れたみたいだね」
壁の向こうにはベインが立っていた。俺のすぐ後からロードもやって来る。後ろに目を向けるとそこにあったのは壁でなく、俺達が普段使ってるゲートと同じ色、形の光の渦があった。
「ゲートをくぐるより簡単でしたよ。それより、思ったより本格的ですね。ここ」
俺のいる場所はまだほんの入り口に過ぎないはずなのに既にマーケットはモンスター達で賑わっていた。
並んでいるのは屋台など飲食店がほとんどだった。向こうの方に建造物らしきものが見えるが、何を売っているのかは見当がつかない。
「ウィル君。何か欲しい物とかある?」
「いや、特には…」
「まあ、今回は初めてなんだからウィンドウショッピングでいいでしょ~」
「そうだな。どの辺りにどんなものがあるか教えてあげるのが先かな」
「そうすね。先輩。ごちそうさまです」
「ロード。僕に何かを要求するのは構わないし、安い物であれば奢ってあげても構わないけど、せめて脈略のあるねだり方をしてくれ」
「あの屋台で売ってるのってクレープすよね?それともお好み焼きでしょうか?食べて確かめる必要があるとボクは思うんすよね~」
クレープかお好み焼きかという見れば答えが瞬時に分かる二択問題を提起してロードはクレープの屋台に向けて流動を開始する。
「ウィル君はクレープ好き?あいつがああ言ってることだし、ここは僕が奢るよ」
「本当にいいんですか?」
「うん。初給料祝いにね」
俺はありがたくベインの厚意に預かることとし、チョコバナナとキャラメルアイスのクレープを注文した。これは本当にどうでもいい持論なんだが、クレープとアイスの組み合わせを思いついた人類にノーベル賞を送ってもいいのでないかと俺は思う。人類の発展に貢献したという意味では可能性は十分にあると思われる。
俺とベインは普通にクレープを食べていたが、ロードはクレープを一挙に自身の内に取り込み、飴を舐めるようにゆっくりと消化していった。スライム故透けているのでその様がよく見える。その光景に見入っていた時だった。俺が背後から声を掛けられたのは。
「おいお前。ヴィルトゥークか?」
聞き覚えのある声、できればあまり聞きたくない声だった。
俺はゆっくりと振り返る。俺の両目は正直に捉えてしまう。背丈は俺の倍くらいあり、その頭部には2本の立派な角を掲げているミノタウロス。声の主は俺が数日前に眠らせてしまったモンスター。カルロスだ。