第5話 四捨五入すると2は0
「ぶはあ!」
無事川を渡り切った俺は水面から顔を上げ、大きく息を吸い込む。
川岸にはまだリリーの放った炎が残ってるが、セリアの[プロテクト]により、火属性耐性を得た俺は、のれんをくぐる感覚で炎の壁を突破する。
「よう」
「よう。じゃないわよ。…どうやって私を助けるつもりなの?」
リリーは、助けてもらう立場だというのに高圧的な態度だ。このまま180度向きを変えて向こう岸に帰ってやってもいいんだが。
しかし後方に目をやるとそこにはすでに目前まで迫ったミノタウロス。一刻を争うのは明白だ。
「リリー。お前、魔術師だよな?」
「そうよ。でも転送魔法は習得してないし、魔力の残もあと一発か二発ってところよ」
「一発撃てれば十分だ。相手を眠らせる魔法ってないか?」
「眠らせる魔法…?」
リリーは顎に手をやり、考え込む仕草をする。
「スリープ魔法は使える。けど、今の私ならもって数秒よ」
「一瞬でも寝かせられればそれでいい。俺にはスキル、[子守り]があるからな」
俺のスキル[子守り]は子供の面倒を見るスキルじゃない。「寝た子を起こさない」スキルだ。[安眠]スキルの裏返しとも言える。
「一瞬でも寝かせることができたら俺のスキルでそのまま眠りの世界に縛り付けることができるってわけだ。…ああ、それとこれ。セリアがお前ならうまく使えるって」
そう言って俺がリリーに手渡したのはここに飛んでくるときに使った魔道具。
表を上にして踏むと転送魔法が発動し、裏を表にすると落とし穴が作動する。落とし穴と言っても片足の、足首から先までしか入らない小さな穴だが。
「本当にお前はこれをうまく使えるのか?」
「ええ。もちろんよ。私にしか使いこなせないと言っても過言じゃないわ。だって私には」
グオォーーー!!!
リリーの言葉は岸に上陸したミノタウロスの咆哮によってかき消される。
やつは目の前に広がる炎の壁を地面ごと吹き飛ばし、ズンズンという音が聞こえそうなほどの迫力で俺達に迫る。
そんなミノタウロスを見て、リリーは魔道具をポイッと投げる。もちろん落とし穴が起動する向きでだ。
「私がこの魔道具を使いこなせる理由は二つ。一つは私のスキル、[ワイドレンジ]」
「[ワイドレンジ]?」
俺はリリーの言葉を復唱する。前世で聞き覚えのある言葉だが…。何関連の言葉だったか思い出せない。
「私のこのスキルは魔法の有効範囲を広げるスキル」
「ああ、もしかしてお前が放つ火球がいちいち巨大なのはそのせいか」
「そうよ。そしてもう一つの理由は、私の職業。魔力を扱う魔術師だからこそできる技。…遠隔起動!」
叫んだリリーは杖の先端を魔道具に向け、杖から光線を放つ。放たれた光線は魔道具に吸い込まれ、トラップが作動する。
先ほど俺がはまったのとは桁違いのサイズの穴が地面に空き、ミノタウロスは落下する。
「よし!よくやった。じゃああとは眠らせるの、頼むぜ」
「任せなさい。…我、求む。眠りの神よ。微睡の精よ。わが敵に束の間の眠りを与えよ!」
リリーの杖から再び光線が放たれる。それとタイミングを合わせて俺も穴に飛び来む。
吸血鬼に転生したのにスキルがしょぼすぎて、大して活躍できないと思ってたが、初日にして俺は敵にとどめをさせることになるとは。
案外あるのかもな。いいことの一つや二つくらいは。
グワァ!
落下する俺に気付いたミノタウロスは俺に向かって吠える。間近で見るといよいよ牛に見えなくなる。
「お前に恨みはないが、大人しく俺のスキルの餌食になりやがれ!」
啖呵を切った俺だが、先に到達するのは俺ではなくリリーの魔法の方だ。[ワイドレンジ]によって射程範囲が広がった魔法は、外れるわけもなく、ミノタウロスの巨体に命中する。
そしていよいよ俺の出番。
「ゆっくり寝てろ!…[子守り]発動!」
落下しながら伸ばした手で、俺は倒れゆくミノタウロスの角を掴む。
俺のスキル[子守り]は触れた者の睡眠を支援するスキル。触れている間は何をしても起きない。
「どう?うまくいったー?」
上から穴を覗き込んでリリーは俺に呼びかける。
「おう。ぐっすりだ。引き上げてくれ」
「待ってて」
リリーの姿が見えなくなると同時に、地面がせりあがり始める。物の数秒で落とし穴は消滅し、俺の足元は普通の地面に戻る。
「お疲れ。よくやってくれたわ」
「もうちょっと感謝されてもいいと思うんだが?」
「そうね。助かったわ。ありがとう」
ペコリと、リリーは素直に頭を下げる。感謝しろと言ったのは俺なのだが、こうも素直にされるとこそばゆいというか、おもはゆいというか…。
「そんなことよりよかったの?あなたってモンスターでしょ?同じダンジョンのモンスターを倒したりなんかして」
「大丈夫だろ。殺したわけじゃないし。ばれないよ。うちのマスターはかなりの面倒臭がり屋だから」
そんな発言をした直後
『あー。業務連絡。業務連絡』
突然ダンジョン中にマスターの声が響いた。
『ウィルは至急俺の所に来るように。10秒で来るように。はぁ…来ない場合は勝手に転送するからな』
バレてた。全部バレてた。
「ねえ。これってまずいんじゃない?」
「そうみたいだな…とにかくお前ら逃げろ。俺が転送されたらこの牛が起きるかもしれない。そうなる前にセリアを連れてできるだけ遠くへ!」
「そんなこと言ったって10秒でしょ!?」
「10秒しかないから急げって言ってるんだ!ほら早く行け!」
全力でリリーをせかす俺。向こう岸に目をやるとセリアは退屈そうに川に石を投げてる。
『来なかったので転送する』
ダンジョン内放送でそう宣言された直後、俺の真下に魔法陣が現れる。
この先俺に下される刑罰に思いを馳せて、俺は改めて思った。
「いいことなんて一つもないな」
*****
マスターによって地下100階に転送された俺は、くどくどと説教をされたわけだが、しかし俺がある事実を知らないということにマスターが気付いてくれたお蔭で風向きは変わる。
その事実というのは、俺達モンスターはこのダンジョン内では死なないということだ。
「え!?死なないんですか!?」
「何だお前。知らなかったのか?」
衝撃の事実を告げられた俺は頭が真っ白になりかける。だって、そもそも死なないんだったらミノタウロスと遭遇した時無理に逃げる必要なんてなかったじゃないか。
「まあ、死なないとはいえ、痛いし苦しいから死にたいと思うやつはおろか、死んでもいいと思うやつもいないがな」
「全く、知りませんでした」
マスターはしばし沈黙して何かを考え込む。俺に下す刑罰を考えているんだろうか。
「そうだな…。お前が今日取った行動は、自分が生き延びるため、つまりはよりダンジョンに貢献するために取った行動と言える」
「え?」
「それに、実際うちのモンスターがやられたわけでもなく、ダンジョンへの損害は0」
まさか、この流れはもしや。
「というわけで、今回のお前の刑は免除する」
「やったーーーー!!!」
俺はその場で握りしめた両手を掲げ、雄たけびを上げる。
「でも説教はされとけ。お前の教育係はベインだったか?」
「あ、はい。そうです」
説教ならマスターから十分されたと思うんだが…。まあベインならそこまで厳しく怒られはしないだろう。
「それと、カルロスにも自分で謝りに行け」
「カルロス?」
「ああ、あのミノタウロスのことだ。…はぁ、じゃあ話は終わりだから、帰りは自分で帰れ。魔法使うのは疲れるし面倒臭いんだ。…分かったら帰れ」
そこまで言い終わるとマスターは先ほどまで半開きだった目を完全に閉じ、首がカクンと落ちる。
「じゃあ、失礼しまーす…」
そそくさと逃げるようにゲートへと向かった俺は、2階へ飛んでカルロスに詫びを入れ、3階にいるベイン達のもとへ向かった。
ベインの説教は案の定、易しかった。
*****
数日後、1階と2階の探検を終えた俺が、3階の探検をしていた時のこと。
「ん?」
「あ」
「あー!」
また遭遇した。再会と言うべきか。リリーとセリアに、また会えた。
「無事に、逃げられたんだな」
「それはこっちの台詞よ。ダンジョンマスターに怒られなかったの?」
「怒られたよ。でもまあ、許してもらえた」
苦笑交じりに俺は答える。この二人にまた会えたことは素直に嬉しいが、しかし今度こいつらのことを助けたら、それこそ厳罰ものだろう。これ以上関わるのは得策とは言えない。
「じゃあ、俺はこれで」
二人に別れを告げて俺は足早に去ろうとする。
しかしそんな俺の足にセリアはしがみつき、物理的に引き留める。
「どこ、いくの?」
つぶらな瞳で俺を見上げ、両手両足で俺の片足にしがみつく。これじゃあどこにも行けない。
「そうよ。待ちなさいよ。…私だってちゃんと、あの時のお礼言いたいし」
「いや、お礼だなんてそんな」
「あの時は私もああ言ったけど…その、多分あんたがいなかったら私もお姉ちゃんも、駄目だったし」
「いや、だからそんなことはな…ん?お姉ちゃん?お姉ちゃんはお前だろ」
「え?」
リリーは不思議そうな顔をして俺と、依然として俺の足にしがみついたままのセリアとを交互に見る。「え?」はこっちの台詞なんだが…。
「お姉ちゃん。もしかして言ってないの?」
リリーは声を潜めてセリアにそう言ったが、俺のすぐ足元なため会話が駄々漏れる。
「しー。まだだめ、まだおもしろいから」
セリアの声も筒抜けだ。まさか、まさかとは思うがセリアの方が年上なのか?スキルで年を取らなくなるとかそういう感じなのか?
「はぁ…。正解。」
セリアはいつもの幼い声で、しかしいつもとは違うしっかりした口調でそう言い、俺の足から離れる。
「スキル解除」
セリアの発したその言葉と共に、セリアの体を光が覆い、光が引いた後には幼女ではなく、一人の女が立っていた。
年の頃は二十代後半。白い髪は伸び、腰の辺りまである。
そして髪以外にも色々と育っている。別に具体的にどことは言わないが、腕の付け根辺りというか、鎖骨の下辺りというかがふくよかだった。リリーよりも圧倒的に大きい。確かに彼女ならばリリーの姉と言われても納得できる。
これがセリアの正体か。
「そうよ。正解。私の名前はセリア。26歳。さっきまで6歳児だったのは私のスキル[アンチエイジ]の効果よ」
「そう言えば、あの時聞いたセリアのスキルは[プロテクト]と[テレパス]だけだったな」
「そういう細かいところにまで気を付けないから、騙されるのよ」
セリアは意地悪い笑みを浮かべて詐欺師みたいなことを言う。
実際こいつは年齢詐称をして6歳と言っていたんだから、まさに詐欺師そのものなのだが。
「そんなことないわよ。四捨五入って知ってる?四捨五入すると2は0になるのよ」
「なるけど26が6にはならねえよ」
さっきからちょくちょく口に出してないことを読まれるのは多分セリアの[テレパス]の効果だろう。
「もしかして、リリーが平気でセリアを置いて行ったりしたのは」
「私がお姉ちゃんだから」
そうか。そりゃそうだよな。普通あんな小さい子を見ず知らずの男に預けたりしないよな。
「ちなみに、1階で私を肩に乗せてた時、すれ違う人やモンスターの反応が少しおかしかったでしょ?」
「ああ。そういえば」
「私ってスキルのお蔭で結構有名人なのよ。あの時すれ違った人達はみんな、君のことを私の餌食になった哀れなモンスターって思ってたのよ」
そうだったのか。まあ、哀れなロリコンと思われなかったのは不幸中の幸いだ。
「そんなことよりリリー。あんた、ウィルに渡したいものがあるんでしょ?」
ニヤニヤしながらセリアはリリーを肘で小突く。
「うるさいわよ…。え、とウィル。この間はありがとう。それでこれは…お礼」
その言葉と共にリリーが俺に差し出したのは腕時計のような形の魔道具。
「これは、どうやって使うんだ?」
「手首に巻いて使うのよ。通った道を記録する魔道具で、側面にボタンがあるでしょ。それを押すと貯めた情報を見ることができる」
「つまり、地図ってことか?」
ダンジョン攻略の旅を始めた俺にはお誂え向きの贈り物だ。
「ありがとう。存分に使わせてもらう」
「ふん。これで貸し借りはなしよ」
「ああ、でもこれから先ダンジョンで見かけたら、声くらい掛けてもいいだろ?」
「…勝手にしなさい」
リリーはぷいと回れ右をし、すたすたと歩き去る。
「あれは嬉しくて仕方ないけど素直になれない時に取る行動よ。覚えておきなさい」
大人になって背が伸びたセリアは俺の肩に手を置いてそう言い残し、幼女の姿に戻ってリリーの後を追う。
「まったく、何が楽しくてあんな恰好してるのやら」
セリアの正体には驚いたが、いいことなんて一つも起こる予感がしなかった転生先の人生でも、いいことがあった。
俺は手首に巻いた魔道具を見て、そう思った。
これでこの話は完結します。
しかし、時間ができたり、ブクマが多かったりしたらまた再開するつもりです。