第4話 火に脂を注ぐ
結論から言うと、俺は助かった。
運が良かったのか、あるいは初めからミノタウロスの狙いはリリーだったのか、ミノタウロスは分岐点の左に進路を定め、リリーの後を追っていった。
誰かが「覚えてなさい!あの吸血鬼ーーー!!」と叫んだのが聞こえたが、それがリリーだったとは思わないでおくことにした。
「よかった。お前のお姉ちゃんが人柱になってくれたぞ」
「ひと、ばしら?」
俺の右肩の上にちょこんと座った幼女は首をかしげる。
「お姉ちゃんは勇敢だったってことだよ。…ところで君、名前は何て言うんだ?」
「セリア!6さい!」
そう言ってセリアは左手のひらと右手の人差し指を見せる。恐らく6を表現しているんだろう。
「そうか。6歳か。小さいのに偉いな、お姉ちゃんのお手伝いして」
俺は走るスピードを落としながらセリアを見上げてそういう。
「もうあの牛は追っかけて来ないだろうから、降ろしてもいいかな?」
「うん。おかね。乗せてくれてありがとう!」
まばゆいばかりの純真無垢な笑顔でそう言われると悪い気は本当にしないんだが、でもさすがに人のことをお金呼ばわりは駄目だろう。
「セリア。俺の名前はヴィルトゥークっていうんだ。みんなはウィルって呼んでるからセリアもそう呼んでくれ」
「おかねじゃないの?」
「違う。ウィルだ」
「うん。分かった」
セリアは素直にこくりと頷く。
さっき気のきつい魔術師と言い争った直後なだけにセリアがすごく可愛く見える。
「さ、さてと、とりあえず俺達は階段を目指すか」
とは言っても俺はまだこの階のことにそこまで詳しくない。
適当に歩くか、ヴィクターのようなこの階の住人に道を聞くか、あるいは…
「なあセリア。この階のどの辺に階段があるか知ってるか?」
万に一つの可能性に望みをかけて、俺はセリアに尋ねてみる。
「うん」
「知ってるのか!?」
「うん」
繰り返されたセリアの言葉に俺は昂揚で血液が沸騰しそうになる。
「ありがとうセリアーーー!!!」
俺はセリアの両脇に手を差し込んでセリアの体を持ち上げ、その場でクルクル回る。いわゆる「高い高い」だ。
セリアは嫌がることもなく嬉しそうに顔を綻ばせて両手を広げる。
「前世で同じことしてたら間違いなく通報されてるな。俺」
三回転くらいしたあたりでそのことに気付いた俺は回転を止め、セリアを下ろす。
しかしよかった。これで俺は無事に1階まで行けそうだ。
「じゃあセリア、階段まで案内してくれるか?」
俺が突如「高い高い」を止めたことに一瞬不思議そうな顔をしたセリアだったが、すぐに「うん!」と元気な返事が返ってくる。
すぐさまセリアの道案内が始まったわけだが、そこからの展開は急転直下だった。
セリアは子供とは思えないほど正確にこの階の造りを記憶しており、道順、罠の位置、果てはモンスターと遭遇しやすいポイントなども網羅した、百点満点の道案内をして俺を階段まで導いた。
「ついたよ!」
「お、おう……」
俺は絶句した。ただただ絶句した。始めはセリアの知識を利用するくらいにしか考えてなかったのに、気付けば俺はセリアの後ろをついて行くだけの従者になっていた。
「いいことなんて一つもないと思ってたのにまさかこんなに順調に行くとはな。いや…今の発言はフラグとも取れてしまうな」
俺は冗談のつもりで言ったのだが、しかしつい先ほどひどい目にあった俺は必要以上に自分の口から出る言葉に気を付けてしまう。
「あがろ!」
「そうだな。上がろうか」
俺はセリアに手を引かれ、階段を上る。
ひどい目に合いはしたが、何とか死なずに済んだ。初日にしては十分だろ。2階の探検もかなりできたことだし、今日はセリアをリリーに返したらゆっくり休もう。
そんなことを考えてるうちに俺達は1階に到着した。
「さてと、ダンジョンの入り口付近に行くか。多分俺らの方が早いだろうから、リリーを暫く待つことになるだろうけど」
「うん。いり口、こっちだよ」
またしてもセリアが道案内を引き受けてくれる。俺はというと、少しでもセリアの負担が減ればと思い、2階でミノタウロスから逃げる時にしたのと同じようにセリアを肩に担い歩いた。
道中、何度かモンスターや人間と遭遇したが、みな俺の肩の上に鎮座するセリアを見るなり何かを察したように目を逸らしていずこかへと去って行った。
平和に通行できるのはありがたいことなんだが、彼らが何を思ってその行動をとったのか…。知らぬが仏というやつか。
「あれ」
セリアが指さす先には、直径3メートルほどの光の渦が存在した。俺達が使うモンスター用ゲートに似ている。ただし、モンスター用ゲートが紫色なのに対してこちらは白色で、何よりでかい。モンスター用の倍くらいはある。
人間本位の世界であることを改めて実感した。
「やっぱり、まだきてない」
「みたいだな。…ま、待ってればそのうち来るだろ。それまでは一緒にいてやる」
肩を落としてしょんぼりするセリアの隣に俺は腰を下ろす。セリアも両膝を抱えた、いわゆる「三角座り」をする。
*****
そして何も起きないまま5分が経過した時、ハッとセリアは立ち上がる。
それでもセリアの目線は座った俺と同じくらいの目線だった。
「リリ-がよんでる!いかなきゃ!」
そして俺の肩を両手で掴んで揺すり始める。
「おいおいどうしたんだ急に。」
「リリーがあぶないの。よんでるの!」
そう言ったセリアが手に握っていたのは金属製の物体。一見すると自転車のベルみたいにも見える。が、よく見ると中心が点滅してる。魔道具の一種だろうか。
「これはね、リリーがあぶなくなったときに、ひかるの。で、おもてむきでつかったら、リリーのとこへいけるの」
セリアはたどたどしくも懸命に俺に魔道具の説明をしてくれる。要は、救難信号というわけか。
「そうか。なら早く行かないとな。しょがないから俺もついて行ってやるよ」
「ほんと?ありがとう。ウィル」
まあ、どう考えてもセリア一人が行ってもどうしようもないだろ。リリーはなんでこんなものをセリアに持たせたんだろう。普通逆だろ。
「ところで、さっき『表にして使ったら』って言ってたけど。裏側にしたら使えなくなるのか?」
魔道具を地面に置いたセリアに俺は問いを投げかける。どうでもいいと言えばそうなんだが、少し気になったので聞いてみた。
「えっとね。うらにすると、落とし穴になるの!」
「…落とし穴?」
セリアは地面に置いた魔道具を裏返すと、さあ踏んでくださいと俺に視線で訴える。
とてもじゃないがそれを無視できなかった俺は素直に魔道具の上に右足を乗せる。
ズボッ
「わーい。おちたー」
無邪気に喜ぶセリアと、作動した落とし穴トラップを交互に見る俺。
ゴルフのホール程度の穴に俺の右足の足首から先がすっぽりと飲み込まれる。
「……」
予想外のしょぼさに俺は無言で穴から足を引き上げる。
俺の足が穴から出ると同時にトラップは解除され、元の魔道具に戻る。
「ウィル。もう一回!」
何が気に入ったのか、セリアは俺にもう一度落ちし穴にはまれと言う。
「いや、セリア。早くリリーを助けに行かないといけないんじゃないのか?」
「ハッ!そうだった」
我に返るセリア。慌てて魔道具を裏返す。
「一人しか、つかえないから、ウィルはセリアのこと、もちあげて、とおって」
「おう」
俺はみたびセリアを肩の上に乗せる。
「今回もこの魔道具を踏めばいいのか?」
「そーだよ!」
「よし。じゃあ行くか」
俺は今度も右足で、魔道具を踏みしめる。
その瞬間魔道具から光が溢れ、俺の視界が歪む。
視界が復活した時、俺の足元に転がっている魔道具は光を発し終えていた。その代わりに風景は2階のものに一変してる。
目の前には川。その向こう岸にはリリー。
川の中ほどにはミノタウロス。やつは俺に背を向けてリリーを目指して川の中を進行していた。
「おーい!リリー!大丈夫かー!」
大丈夫じゃないから呼ばれたというのは分かってるが一応聞いておく。
「大丈夫なわけないでしょー!」
「ま、そうだよな」
「って、なんであんたが来てるのよ!」
「セリア一人が来たとしてもどうにもなんねえだろ。いいから大人しく助けられろ!」
なぜ俺がこうもやる気なのかというと、勝算があるからだ。
「おいリリー!とにかくそいつの注意をこっちへ向けろ!」
「どうしたらいいの?」
「火だ。俺と初めて会った時でっかい火の玉撃っただろ。あれをうまいこと使え。獣は火を嫌うものだ」
「…なるほど。やってみるわ!」
リリーは俺からの助言に素直に従い、杖を胸の前に構えて集中する。
「炎の精よ。炎を統べし者よ。我が求めに応え、我が敵を焼き払え!」
数時間前に聞いたのと同じ呪文を唱え、リリーは杖の先から出現させた巨大な火球を川岸にぶつけ、炎の壁を作る。
それを見たミノタウロスは
グルルルァーーーー!!!
一段と勢いを増して炎の壁向かう。
流れに足を取られるため、向こう岸に到達するのはもう少し後になりそうだが、リリーは早くも青ざめる。
「ちょっと、こっちに来てるけど!しかもさっきより速くなってるけど!」
「おかしいな…。ん?待てよ。あいつ牛か」
闘牛を思い出すと、牛は赤い物に突進するんだった。まずいな。牛脂に火を、いや、火に油を注ぐ結果になってしまった。
「ごめんリリー!しくじった!」
「謝って許されることじゃないでしょーー!!」
何とかしなさいよと向こう岸で地団駄を踏んでるリリー。吸血鬼故に泳げない俺は助けに行くこともできない。
「なあセリア」
「ん?」
姉の大ピンチだというのにセリアの表情はどこかのほほんとしてる。将来大物になりそうだ。
「セリアはなんか魔法とか使えないのか?」
「回復と、浄化は、とくいだよ!」
「そうか、すごいな」
ドヤ顔するセリアの頭を撫でながら俺は確信する。リリーはもう助からないと。
「あとね、スキルも、もってるんだよ」
「へえどんなスキルなんだ?」
多分現状を打破するようなスキルではないだろうが、一応俺はセリアからの返答を待つ。
「えっとね、[テレパス]で、ひとのあたまのなかを、みたり、」
…怖いなそのスキル。
「[プロテクト]で、じゃくてんぞくせいを、なくせるの!」
「弱点属性を…」
無くす?
「うん。ウィルも、およげるようになるよ」
「それだぁーーー!!」
俺はセリアをまた高い高いする。今度もセリアは嬉しそうに両手を広げてされるがままにする。
「セリア。それを使って俺に水属性と、あと火属性の耐性を付けてくれ」
「いいよ!」
セリアは俺の額に手を触れ、暫くしてから手を離した。特に変化は実感できないが、多分耐性は付いただろう。
セリアを下ろし、川に片足だけ浸ける。続いてもう片方の足。特に体に異常は無さそうなのでザブザブと歩いていき、腰のあたりまで沈んでみる。
「大丈夫だ。行ける」
そう確信した俺は一度頭のてっぺんまで潜る。
泳げる気しかしない。
「行けるぞセリア!大丈夫だ!…今からお前の姉ちゃんを助けに行ってくる。」
「がんばれー。あ、そうだ」
とてとてと川岸まで走り寄って、セリアは俺に向けて何かを投げた。
受け取ってみるとそれはここに飛んでくるのに使った魔道具だった。
「リリーなら、うまく、つかえる」
落とし穴をどううまく使うのか分からなかったが、俺は受け取っておくことにした。
川の4分の1まで渡り切ったミノタウロスと、その奥でただただ怯えてるリリーを見据えて、俺はあることを思い出す。
「流れのある川を渡るとき、流れに対してどの角度で進むのが最適か」
高校物理の問題だ。答えはちゃんと覚えてないが、流れに逆らわずに流れた方が早かった覚えがある。つまり、今ミノタウロスがやってる渡り方は最短経路ではないということだ。
それに加えて俺は前世で幼少期に水泳を習っていた。ミノタウロスよりも早く向こう岸に到達できる。いや、してみせる。
「さて、ひと頑張りするか」
俺は流れに身を任せ、リリーのいる向こう岸目指して力強く水を蹴り、腕を大きく回した。