第3話 平凡で異常な俺が選んだ道
「はぁ、ひどい目にあった」
命からがらゲートをくぐった俺は焦っていたためか一つ下の2階に飛んでいた。
どうせなら先輩達のいる3階に飛んでおいた方が良かったのかもしれないが、とりあえず命が助かったのでくよくよしないでおこう。転生した一日目に死亡とか、洒落にならない。
「多分1階にはまだあの二人組がいるだろうから、先に2階の探検を済ませるか」
ダンジョンは階を増すごとに複雑な造りになっていくらしいので、1階から順に攻略していった方がいいとのことだったが、正直あの二人、特にあの女魔術師には二度と会いたくない。
「まあ、あの二人は1階をうろついてるはずだから、この階は安全だろ」
さっきからフラグを立ててる気しかしないが、とにかく今は2階の探検を頑張ろう。
「おうそこの兄ちゃん!」
歩き始めた俺は唐突に何者かに声を掛けられる。
立ち止まって周囲を見回すが、声の主は見つからない。
「おーいこっちだこっちだ」
しかし声はまだ聞こえる。なんとなく声の聞こえる方へ歩いていく。
「そうだ。こっちこっち」
声の発信源に近付いてる気はする。しかし依然として声の主を目で捉えることはできない。
そうして歩いてるうちに俺は行き止まりにたどり着いてしまう。
「おう兄ちゃん。おめえ新入りか?」
「え?あ、はい」
行き止まりになったというのに声の主無き声はまだ聞こえてくる。
「あのー…すみません。声は聞こえるんですが、姿が見えなくて…どこに」
「どこって、ここにいるだろ。おめえの真ん前だよ」
「いや、見当たらないんですけど…」
俺は目の前にそびえたつ石の壁を凝視する。が、やはり魔物らしきものは見受けられない。
「そうじゃない。見下げてみろ」
「え?見下げて……うわぁ!!」
大阪の伝統芸みたいな反応をする俺だが、確かにいた。位置的に俺の真ん前に。小さなお爺さんが。
立派な口ひげを蓄えて、片手に茶色の瓶を持ち、背中には斧を背負ってる。
そして何より小さい。背丈は俺の腰くらいまでしかない。
「やっと気づいたか。まあ慣れてるんで構わねえが」
「すみません。声の感じからして大柄な男と思いまして」
「いいって。気にすんな。そんなことよりおめえ新入りか?」
再び投げられたその質問に、俺は「はい」と答える。
「そうか。俺はドワーフのヴィクターだ。この階に住んでる」
自己紹介をして、ヴィクターは手に持った瓶に口を付けた。中の液体、恐らくは酒をグビリと音を立てて飲む。
「この辺りを縄張りにするのは構わねえが、気を付けるんだな」
「何かあるんですか?」
2階の時点で気を付けないといけないとか、俺の居場所はこのダンジョンにないのか?
「ああ、この階の主と呼ばれてるやつがいてなあ。あいつは人間であろうと魔物であろうと、見境なく襲う」
「もし遭遇したら…?」
「しないようにしろ。もし遭遇したら全力でゲートに飛び込め。じゃないと死ぬ」
ここ2階だよな。なんでこんな序盤に即死攻撃仕掛けてくる魔物が現れるんだよ。しかも見境なしって…。
マスターはもうちょっと魔物の管理しっかりしろよ。
「そんな化け物のいる階にいてあなたは大丈夫なんですか?」
「俺のことは気にすんな。長いことここに住んで、ある程度の心得はある」
「心得…?」
化け物を躱す方法だろうか?だったら俺に教えてくれればいいのに。
「おめえにも教えてやりてえところだが、ここは心を鬼にして、後輩の成長のためにあえて何も教えないでおく」
「さいですか…」
まあ、ヤバい魔物がいるという情報だけでも十分貴重だ。とにかく逃走経路を確保しつつ探検することにしよう。
「ま、よっぽど運が悪くない限り遭遇しないだろうから頑張ってくれ」
フラグとしか思えない台詞を言い残してヴィクターは目を瞑り、たちまちいびきをかいて眠り始めた。
「ほんと、いいことなんて一つ起こる予感しないなあ…」
溜め息をつきながらも俺は自分を奮い立たせ、2階攻略の旅に乗り出す。
「そういえば、即死攻撃を繰り出して来ること以外何にも聞いてなかったな。外見上の特徴とか種族とか聞いとけばよかった…」
後悔を口にしたのも束の間。俺は遭遇してしまう。例の化け物よりも厄介な敵に。
「…お前ら…!」
「あんた…」
「おかね!」
それは俺が先ほど1階で遭遇した女魔術師。と、幼女僧侶。たった今幼女が俺のことを「おかね」と認識していることが判明し、軽く戦慄を覚える。
「さっき1階にいたのにもう2階まで来やがったのか!」
「あんたはさっき取り逃がした吸血鬼!…ってそれどころじゃないのよ!そこどいて!」
てっきりバトルが始まるかと思ったが、女魔術師の対応は俺の予想を大きく裏切る。
「おいおい。どうしたんだ?随分な狼狽ぶりじゃないか」
「言ってなさいよ。あんただってあれ見たら尻尾巻いて逃げたがるわよ!」
この魔術師のことをよく知ってるわけではないが、ファーストコンタクトからなんとなく気の強い娘であることは察することができる。その娘がこんなに慌てて逃げ惑うとは並大抵のことじゃないはずだ。
嫌な予感がする。
「おっきな牛がね、モーってくるの」
幼女僧侶が両手の人差し指を立てて角のジェスチャーをして見せる。
幼女だけをみれば微笑ましい光景だが、魔術師のビビり様とのギャップが怖い。
グオォーーー!!!!
突如、通路の奥の方で咆哮が響き渡る。
それは幼女僧侶の言ってたような可愛らしい鳴き声ではなかった。
「き、来た…!」
女魔術師の顔色が変わる。明らかに青ざめている。
フラグが回収された予感がする。
二人の来た方向から地響きと砂埃を纏って一体の巨大な魔物が現れた。
それは、幼女僧侶の言葉通り、「おっきな牛」だった。ただしその牛は二足歩行をしていた。
「ミノタウロスか…」
ミノタウロスにそこまでヤバいイメージは無かったが、ここは逃げるしかないだろ。ヴィクターの言ってた魔物は間違いなくこいつのことだ。
全くの勘だが、この階にこいつよりヤバそうな奴はいないと思う。というかいて欲しくない。
グルル、グルルルァ!
「牛って確か草食動物だったよな…。」
思わず確認したくなるほどに獰猛な呻き声を上げて、ミノタウロスは姿勢をかがめる。間違いなく俺達に突っ込んで来るつもりだ。
「クソッ。逃げるぞ!」
叫んで俺は目の前にいた幼女僧侶を抱えて走り出す。
「ちょっとあんた何やってんのよ!」
「うるさい!こうでもしないと逃げ切れないだろうが!敵とか味方とか言ってる場合か!」
両手で抱えると走りづらいので肩に担いで俺は走り出す。
振り返っていないので確かなことは分からないが、ミノタウロスは俺達の後ろで時折ダンジョンの壁を削りながら追ってきているようだ。
「とにかく走って上に行け!多分階段は苦手なはずだ!」
「この階の階段はどっちもここから遠いわよ!」
「でもそれしかないだろ!他に何かいい案でもあるのか!?」
「川!この階には地下水脈があって、川になってるの。そこを泳げばあたし達の匂いも流れて一石二鳥よ」
なるほど。いい作戦だ。それにこいつはこの階の造りを熟知してるみたいだ。
しかし問題が一つある。
「俺は吸血鬼だぞ」
「はあ?知ってるわよそんなこと。さっき聞いた」
「吸血鬼は泳げねえんだよ!」
そう。吸血鬼は泳げない。つまり川に飛び込んだ時点で俺は死ぬということだ。
「な…そう言えばそうだったわね…」
女魔術師はしばし考え込む仕草をする。俺のことを考えてくれているんだろうか。もしかしたらこの女、いいやつなのかもしれない。
「じゃあこうしましょう。川まで私達を送って。で、そこで私達と別れる」
「おい待て。それで俺にどんな利点があるんだ?」
「……死体は拾ってあげるわ!」
まばゆいばかりの笑顔で女魔術師は俺にそう言った。
「だから俺には利点ないよな!?てゆうか死体ってドロップアイテムのことだろ!?金もうけのためだろ!?」
笑顔に一瞬騙されそうになったが辛うじて持ちこたえる。危うく騙されるところだった。
「そうよ悪い!?私は生活が懸かってるの。少しでも多くお金を稼いで、少しでも多く食べたいの!」
ここまで剝き出しで欲望をぶつけられるといっそ正論をぶつけられた気分になる。
しかし騙されてはいけない。こいつの言ってることは私利私欲の塊。ただの開き直りだ。
ふと気になって幼女の方を見ると、ジェットコースターにでも乗ったかのように両手を挙げてキャッキャッ言ってる。
「おい女!」
「リリーよ。女とかいう呼び方はやめて」
「ああ分かった分かった。じゃあリリー」
こんな時にプライドの高さ発揮するのやめろよな。状況考えろ。
「俺に考えがある。この先に分かれ道って無いか?」
「…あるわ。少し行けば分かれ道になるけど。どうするつもりなの?」
俺は一瞬躊躇して言葉を呑んだが、やはりこれ以外に手がないことを再確認して言葉を紡ぎ出す。
「次の分かれ道で二手に分かれるんだ。お前は川を。俺は階段を目指す」
「…まあ、そこが落としどころね」
「合流地点は1階のダンジョン入り口付近にするか?」
「は?」
俺からの言葉にリリーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「何で合流する必要があるのよ?」
リリーからの言葉に今度は俺が面食らう。
「合流しなかったらこの子をいつ渡せば良いんだ?」
肩に乗せた幼女を見上げながら俺はリリーに問う。さすがに「お前が育てろ」とは言わないはずだが…。
「そんなの、分かれるときに返しなさいよ」
「馬鹿かお前は!それでもしお前の方にミノタウロスが行ったらどうするんだ!二人ともやられるぞ!」
「大丈夫。違うのよ。こっちにはこっちで事情が」
「おい!分かれ道ってあれか!?」
リリーはまだ何か言いたげだったが分岐点を視界に捉えた俺が上げた声によって遮られる。
「ええそうよ」
「俺はどっちに行けば良い?」
「右。ねえもういいでしょ。早く返して!」
「じゃあお前は左に行けよ。分かったな」
「ちょっと待ってって。だから」
分岐点を目前にしてもまだ何か言いたげなリリー。しかしそんな彼女を止めたのは俺じゃなかった。
「リリー」
俺の頭上から聞こえる声だった。
「リリー。いって。だいじょうぶだから」
「ちょっ、何言って」
「いいの!」
あどけない、舌っ足らずな口調の芯に何か揺るぎないものを宿して、俺の肩の上の幼女はリリーに言い放つ。
「ほら、この子もこう言ってるんだ。俺を信じろ」
俺を信じろ。なんて前の人生じゃ絶対に言わなかった台詞だ。
「…分かったわよ。でもその代わり万が一のことがあったら…」
「その時は内蔵でも骨でも好きに持って行け」
そう言い捨てて俺は、リリーからの返事を待たずして分岐点の右へ身を投じた。