第18話 ハニートラップ(食べ放題)
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俺はまた意識を失っていた。と、いうことにしておこう。
でないと申し訳が立たないからだ。
「ウィル。次はどこに行く?向こうにはチョコバナナがあるらしいわよ」
「さっきチョコフォンデュした時バナナ食べてただろ。それより向こうはクレープだぞ」
「クレープ?聞いたことはあるけど食べたことないわね。じゃあそっちにするわ」
いつからだろう。俺の思考がデザートを貪ることに傾いたのは。多分、このフロアに充満する甘い匂いを吸い込んでからだ。
「ウィルのクレープは何入れたの?なんか四角いけど」
「ホイップクリームにチョコソースとイチゴ、そしてバニラアイスだ」
「アイス?そんなものトッピングできたの!?」
「メニューに書いてあるだろ?」
「見逃してたわ…次来た時はそれも食べるわ」
そして俺が正気に戻れたのはリリーの「次来た時は」という言葉がきっかけだった。
「次……次…?そうだ、俺達ゲームの途中じゃねえか!」
「何よいきなり。もしかして忘れてたの?」
忘れてた俺にも非はあるが、覚えていたにもかかわらずこのフロアを堪能していたリリーの方が罪は重いんじゃないだろうか。
このフロアは何と言うか、デザートの階だった。上の階で腹八分目くらいに腹を満たした俺達にとって誂えたようなフロア。目の前に広がる甘味への誘惑に抗えるわけもなく、俺は気付いたら欲しいままにデザートを口に運んでいた。
「どれくらいの時間を浪費していたんだ俺達は…」
「多分気にするほどじゃないわ。1時間も経ってないと思うわよ。私はそろそろお腹いっぱいだから帰ろうと思うけど、ウィルはもういい?」
「帰らないぞ?俺達は70階を目指すんだからな」
リリーの「お腹いっぱい」という言葉で気付かされたが、どうやら吸血鬼になった俺は満腹にならないようだ。満腹感がないどころか、お腹に何かが入っている感覚すらない。
「その件だけど、もういいんじゃない?そもそも何で私達が地下70階を目指すゲームに挑んだんだっけ?」
「お前満腹になって色々どうでもよくなってるだろ。俺達がこのゲームに挑んだのは、このゲーム中に手に入れた物は何でも持ち帰っていいって言われたからだ。それと、もしゲームに負けたらフロイディネの下僕になるからだ」
つまりこのダンジョンのどこかにある金目の物を持ち帰って一儲けしようという目論見こそが、このゲームに挑んだ理由だ。
それを俺は借金返済に充てる。リリーは知らん。多分何かうまい物でも食べるんだろう。いつか言っていた「少しでも多くお金を稼いで、少しでも多く食べたいの!」から推測するとそうなる。
「そうだったわ。ここで楽してお金を稼いで、一生お腹いっぱいおいしい物を食べるんだった」
どうやら俺の推測は当たってたようだ。
しかし満腹状態において先の分の食い意地を張れるとは。一体何が彼女をそこまで駆り立てるんだ。
「じゃあ目的を思い出したところで、下に行くぞ」
「そうね。いくらお腹いっぱいになるためとはいえ、誰かの下僕になるなんて人としてあっちゃいけないことだもんね」
「……」
確かに言ってることは正しいんだが、正しいだけにリリーの中での優先順位というか線引きというかが分からなくなってしまう。
「…まあとにかく、先を急ぐぞ。この先からいきなり妨害が始まるかもしれないしな」
満腹状態のリリーを走らせるのはさすがに酷なので俺達は2人で並んで、早歩き程度の速度で階段のある方を目指して歩き始めた。
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「67階…」
「すごいわね。地下水脈かしら」
「まあ、水の方はそれで説明は付くよな」
青い空に白い雲。その下に広がる白い砂浜、青い海。そこを吹き抜ける風が潮の香りを運んでくる。
「じゃあ何の説明が付かないのよ?」
「あれだよ」
俺は人差し指を伸ばして上空の一点を指す。俺の指差す先にあるのは、俺の指差す先で輝いているのは、太陽だった。
ダンジョンの1階でも太陽の光は浴びることはできるのだが、ここの太陽はわけが違う。刺すように皮膚にしみこんでいく太陽熱は、俺に前世の夏を思い出させる。[日光耐性]のお陰か、直視しても大してまぶしくないが、俺達の後ろに伸びる影の濃さがその輝きの強烈さを物語ってる。
「本当ね。一瞬ここがダンジョンって忘れかけたわ」
「本物、なわけないよな。どうなってるんだ?」
「それはですね、ここの支配人の魔法なんですよぉ」
突如俺達の背後で声がした。女の声だった。
「誰?」
「誰だ」
一応俺達は距離を取りながら振り返る。声の主は女の夢魔だった。身にまとっているのは「Noah’s Cradle」と白字でプリントの入っているピンクのビキニ。この場において最も自然な服装と言えた。
「私はここの案内人、レイですよぉ。責任者ってやつですね。ここの楽しみ方を手取り足取り教えるのが私の役割ですぅ」
無駄にキャラを立たせようとしたような間延びした口調で彼女は自己紹介をする。
「結構よ。私達急いでるから」
しかしリリーはそれを一蹴。先ほど時間を気にせずデザートを貪っていたのと同じ口から出た言葉とは思えない。
「えぇ、そんな…私以外にもちゃんと男の夢魔の職員もいるんですよぉ。みんなイケメンですよ」
「興味ないって言ってるでしょ。行くわよ。ウィル」
何故か少しいらだった様子で強引に水着の夢魔を振り切る。夢魔はリスクを冒してまで俺達を追う気はなかったのだろう。追いかけようともせずただ去りゆく俺達を見送っていた。
「リリー。不機嫌なのは俺の気のせいか?」
「気のせいじゃないわ。私は今不機嫌よ」
意外な反応だった。大抵の怒ってる人は「何故怒ってるのか」と聞くと「別に怒ってない」と答えるものなのに。
「もしかして泳げないのか?」
「何でそうなるのよ。ウィルと一緒にしないで」
確かに俺は吸血鬼で水が弱点だ。だから俺が泳げないというその認識は間違ってはないんだが、しかし技術的な話をすると俺は泳げる。現にカルロスからリリーを救った時、俺はセリアに水属性耐性を付けてもらって華麗に川を泳いで渡った。
「私が腹を立ててるのはもっと別のことよ」
俺が反論しようとする前にリリーは話を始める。
「あの女、わざとサイズの小さい水着着てたでしょ?」
「え?そうだったか?」
あまり意識して見てなかったのでよく思い出せない。少なくとも不自然な着こなしなら気付いていると思うんだが。
「そうよ。あの女の胸、おれは錯覚よ。適切なサイズの水着を着てればあんなに胸が強調されることは無かったはずなのに、わざわざ小さい水着を選んで自分の胸を大きく見せようだなんて、せこい考えの夢魔もいたものね」
既に俺達は階段を降り始めているんだが、気のせいだろうか、階段に響くリリーの足音が今までより大きく聞こえるのは。
「ウィル。騙されちゃ駄目よ。所詮あの胸はまやかし。水着を外したら大したことなんだから」
「そうなのか?小さい水着ってことは、あの水着を外したら締め付けられてた胸が解放されてよりいっそ…」
俺が途中で言葉を切ったのは自分の言ってることが失言だと気付かされたからだ。リリーの俺に向けた鋭い、射貫くような視線によって。
「ウィル。例えあの夢魔の胸が大きかったとしても、それで私達があのフロアに足を止める理由にはならないでしょ?」
「まあ、確かに…」
それをいうならおいしそうという理由だけでデザートのフロアに足を止める必要もなかった気もするが、それは言わないでおこう。デザートの誘惑に負けたのは俺も同じなんだから。
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無事に、リリーの機嫌が直っていないことを除けば無事に、俺達は68階に辿り着いた。
横に目をやるとすぐそこに下りの階段が見える。ここで俺は迷った。なぜなら目の前に広がる68階は、今までの階とは明らかに違う、飾り気のないフロアだったからだ。
「どうしたの?ウィル。下の階にはすぐに行けそうよ」
「ああ、でも…ここは今までとは全然違うよな」
地面も、壁も、天井も、飾り気どころか整形さえされていない岩のままのフロア。ダンジョンとしては本来あるべき姿なのだが、それだけにこの「ノアズ・クレイドル」には異様だ。
「物置きって感じだな」
「物置き?じゃあここに宝があるかもしれないってこと?」
「そんな気が、しなくもない」
「じゃあここで宝探ししてから下に行く?」
ゴールの70階は69階を挟んですぐ目と鼻の先にある。ここで時間を使ってもいい。時間は多分あと1時間半は残ってる。
「ちょっと迷うな…。見たところこのフロアはどこもいじられてない」
「ダンジョンのままってこと?」
「そうだ。まあ、お前から貰った魔道具のお陰で道に迷うことは無いだろうけど、骨折り損に終わるかもしれない」
「そう。骨折りゾーンね…」
リリーがしょうもないことを言った。何だその危険地帯。俺に聞こえてないつもりだったのかもしれないが、ちゃんと聞こえてるぞ。
「とりあえずここはスルーして、先に下の階を見よう」
「分かった。じゃあそうしましょ」
「……」
「どうしたの?」
「あ、いや、何でもない」
俺はリリーに「そう。スルーするのね」というのを期待してしまっていたのに気付く。俺がしょうもないことを言ったみたいで恥ずかしくなる。
「さ、急いで下りるぞ」
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「下りたわよね?」
「ああ、間違いなく下りた」
目の前の光景に既視感を覚えた。先ほどと全く同じ地面、壁、天井。まさか何らかの仕掛けを解かないとループさせられる罠か?
「リリー。ここにいてくれ」
俺はそう言って踵を返す。
「どこ行くの?」
「上に戻る。まさかとは思うけど、罠の可能性があるから」
「罠?それってこっちが?それとも上が?」
「えーと…両方?」
要領を得ない返答になってしまったが、俺達が上だと思ってる階とこの階が同じかもしれないので無理もない。
「罠って言っても危険のある罠じゃないから。ここで待っててくれ」
俺は階段の一段目に足を掛け、一気に駆け上がる。階段ダッシュでも全然疲れない。吸血鬼体質はこういう時便利だ。
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「…ただいま」
俺は上に続く階段を見つめるリリーの背中に話し掛ける。
「え?ウィル?…何で」
リリーは俺と、先ほど俺が登って行った階段との間で忙しなく視線を行ったり来たりさせる。
「思った通り、罠だ。閉じ込められた」
「いや、ちょっと待って。話を勝手に進めないで。私はまだどうして上に行ったウィルが下から現れたか納得いってないんだけど」
「だから罠だ。ループしてるんだよ。この階が」
「ループ…ちょっと何言ってるのか分からないわね。それよりあんた本当にウィルなの?」
しまった。俺の存在を根本から疑われた。こんなことならせめて合言葉でも決めておけばよかったな。