第17話 問
「え?何でって…」
単に会話が脱線するのを防ぐために突っ込まなかっただけなんだが、まさかリリーの気分を害したか?
「別に、特別な意味もそういうつもりも無いんだったらそう言ってくれればいいわ」
よかった。なら遠慮なくそう言わせてもらおう。
「なら答えは簡単だ。別に俺は…」
「でも」
リリーは俺の言葉に重ねて言った。
言って彼女は立ち止まり、未だに繋いだままだった手に引かれて俺も立ち止まる。
「でもその代わり、今ここでする否定は一生有効だから」
「……一生」
俺は色々考えるくせに頭の回転は遅い。だからリリーの言葉の真意を測りかねた。測りかねたからこそ俺は一瞬回答を躊躇したんだが、結果的にそれは正解だった。
なぜ今なのかは分からない。しかしリリーは俺に回答を求めてる。リリーが俺にとって恋愛対象であるか否かという問の回答を。
「どうしたの?難しい問題じゃないでしょ?」
いや、難しい問題だ。どう考えても難しいだろ。
「別に俺にそんな気はなかった」と言えば、リリーをフってるみたいに聞こえるし、リリーの女性としての魅力を否定してることになる。
かといってそういう気があったと言えば、それはもはや告白に等しい。
「えーと、だな、俺は…」
考えろ。何て言うのが正解だ?いや、この際満点じゃなくてもいい。お互いに納得のいく及第点を…いや、待てよ。落ち着いてよく思い出せば俺が今聞かれているのは「何故あの時カップルと言われて否定しなかったか」だ。
リリーが最後に口にした「そういうつもり無いんだったら」に惑わされたが、この問いは俺の心そのものにではなく、否定しなかったことに関して「そういうつもり」があったかどうかだ。
よし。そうと決まれば答えは簡単だ。
「あの時俺が否定しなかったのは話を早く終わらせたかったからで、とっさのものだったんだ。だからあの行動そのものに意味もつもりもない」
「…あっそ」
リリーは俺と繋いでいた手をほどいて一人階段を降り始める。
俺は手が離れた時に掌に触れた冷たい空気の感触に、ひどく動揺してしまった。
「あ、おい。リリー」
俺は言葉ばかりでリリーを追うことはできなかった。俺が出した答えがリリーを怒らせたのではないかと不安になったからだ。
しかし着々と小さくなっていくリリーの背中が俺に新たな不安の鎌首をもたげさせた。
まだ間に合うと根拠のない目算をして、俺は階段を駆け降りる。急いだにも拘らず追いつけないままに2階に到達してしまう。
2階について、特筆すべき点はない。どうやら機能としては1階と同様なようだ。すぐ隣に3階に続く階段があったのを幸いに俺はそそくさとそっちの方へ足を向けた。
「リリーのやつ、意外と階段下りるの早いな…」
さっきまではリリーの背中が見えていたのにもう見えなくなっていた。俺は階段を下りる足を速める。速めて下りるうちに3階にも到達してしまった。
追い越してしまったのではないかと不安になったが、下へ続く階段から近づいてくる足音を耳にして思わずそちらを向いてしまう。
「ん?あれ、リリーか…?」
近付いてくるにつれてはっきりしてくるそれは間違いなくリリーだった。
リリーは俺の目の前に来ると立ち止まり、俺を見上げながらこう言った。
「次の階でちょっと自由時間取らない?」
「自由時間?」
「とにかく来て」
リリーは先ほど離した俺の手を事も無げに掴んで階段を降り始める。先ほど沈んだ俺の心は何だったんだ。
鎌首をもたげた不安が気まずそうにしぼんでいくのが目に見えるようだ。
*****
「ね、いいでしょ?10分、いえ、30分でいいから」
「何で増えてるんだよ」
4階は食堂だった。前世で言うところのフードコートみたいなレイアウトだった。あちこちに椅子とテーブルが設置され、その奥に店が横並びに配置されていた。
「いいでしょ?何ならウィルにも何か奢ってあげるから」
「いや、そうは言っても制限時間がな…」
制限時間は3時間。俺達は1階をうろうろしてしまったため今で大体1時間ほど費やしてしまった。階段の場所を突き止められたとはいえ、これ以降の階でも下りたすぐ隣に下りの階段があるとは限らない。高を括っていると痛い目に合うかもしれない。
とはいえ、並んでる店のラインナップもなかなか魅力的だ。うどんやラーメン、たこ焼き、フライドチキン、ハンバーガー、ステーキに加え、ドーナツやアイスクリームの店もある。
吸血鬼になって食欲というものを持たなくなったとはいえ、前世の記憶はある。うまそうなものを見ると条件反射的に食欲に似たものがこみ上げてくる。
「…10分だけなら」
店の前に行列はできていない。本格的な食事をするわけではないので注文してから食べ終わるまで10分あれば十分だろうと考えての判断だ。
「10分…一品しか食べられないじゃない」
「不満なんだったら終わってからまた来ればいいだろ」
「私は今お腹が空いてるのよ」
「だから10分だけいいって言っただろ。これ以上は譲れないからな」
リリーは一瞬躊躇するような素振りを見せたが、その躊躇が時間の無駄と悟ったのかリリーは踵を返して店のある方へと向かった。
「さて、折角だし俺も何か買おうか…あ、いや。俺今借金中だった」
出費は抑えないといけないんだ。残念だが今回は諦めよう。
「リリーのやつ、かなり迷ってるな。早くしないと時間無くなるぞ」
リリーは店の前を行ったり来たりしてるだけで中々買おうとしない。たくさんの店の中の、さらにたくさんあるメニューの中から一品というのは難しいのは分かるが、後でまた来られるんだから早く決めればいいのに。
かと思えばリリーは何も買わずに戻ってきた。
「どうした?やっぱりいいのか?」
「…うん」
「え?本当にいいのか?」
あっさりと階段まで戻って下の階に降り始める。俺もその後を追って4階を目指す。
「どうしたんだ?あんなに食べたがってたのに」
「食べることを諦めたわけじゃないわよ。ここで売ってるのはカップル用のメニューばっかりだったから。下の階には私でも注文できるメニューがあるらしいわ」
「さっきは無かったのか?」
「ええ、なるべくたくさん食べたかったんだけど、それなら下の階の方がいいって店の人が」
なんだそういうことか。
「だからさっきの10分、下の階で使っていいでしょ?」
「まあ…いいか」
リリーが店を物色している間に過ぎた時間はせいぜい3分というったところだ。なかったことにしても問題ない。
「その代わり、何を食べるかもう決めとけよ。下の階に付いたらすぐに店に入るんだ」
「分かった。そうするわ」
リリーは頷き、階段を下り続ける。何を食べるつもりなのかと思ったが、ここで俺の頭にある疑問が浮上する。
リリーの食文化はどういったものなのだろうか。上の階にあった店が俺の見覚えのあった店だったのは店員がモンスター、すなわち俺と前世を同じくする転生者だからだろう。その店を何ら抵抗なく受け入れているということは、リリーの食文化は俺達と相容れるものだということだろうか。
ダンジョンに転生してからずっとダンジョンに慣れることにしか関心の無かった俺はが、ダンジョンの外の世界に興味を持った瞬間だった。
*****
「着いたわね」
「だな。…それにしてもすごい所だなここは」
そこはレストランのような場所だった。レストランのように床は絨毯、天井にはシャンデリア。真っ白なテーブルクロスの掛かったテーブルと肘置きのある高級そうな椅子。見渡す限りフロア一面がそれで埋め尽くされてる。
「どこの三ツ星レストランだよここ」
料理の匂いとは違ういい匂いのする場所だった。それで気付いたのだがここは上とは違って食べ物の匂いがしない。見ようによっては劇場のようにも見える場所だった。料理は別の場所で作られてるんだろうか。
「店員もいないのね」
「本当だな。ここで合ってるのか?」
「ええ、そう教えてもらったわ」
俺達が首をひねっていると突如空間に穴が開いたように渦が発生し、中からスーツを着た男が現れた。
俺達は思わず身構えるが、スーツの男は鷹揚にお辞儀をし、落ち着いた口調で話し始める。
「いらっしゃいませ。2名様ですね?」
「あ、はい…」
「このフロアではあらゆる料理をお出しすることができますので、ご注文は何なりと」
「お金はいらないのよね?」
「はい。もちろんでございます」
「へー…って、ええ!?」
俺は思わず叫んでしまう。リリーは何事だと言った顔でこちらを見る。
「無料なのか?」
「ここノアズ・クレイドルでは一切の見返りを求めませんので」
「さっき私も上で同じことを聞いたわ」
そういう大事な情報は共有してくれ。あの時俺は我慢しなくてよかったんじゃないか。
「とにかく食べるぞ。リリー。食べるものは決めてるんだよな?」
「ええ」
「ではまずお席にご案内します。こちらへどうぞ」
俺達は整然と並べられたテーブルの一つに案内され、そこへ腰を下ろす。
「では、ご注文をどうぞ」
「鶏肉のステーキ、味付けは塩コショウで。それとコーンポタージュ、サラダ、ライス、デザートは…」
「ちょっと待てリリー。お前それ10分で食べきれるのか?」
「10分?…ああ、そうだったわね」
どうやら悪気はなかったようだ。リリーは少し考えて再び口を開く。
「デザートはいらないわ。スープとサラダも無しで」
「ステーキとライスだけでよろしいですか?」
「ええ。私の注文は以上よ。次、ウィルどうぞ」
「俺も彼女と同じもので」
「かしこまりました」
男は手に持っていたメモを、登場した時に通ってきたのと同じ渦を空間に起こしてそこへ入れた。すると10秒と経たずに同じ渦からステーキとライスが2セット現れる。
「え?早すぎないか?」
「ご安心ください。作り置きをしているわけではございませんので」
じゃあ何でこんなに早いんだ。逆に安心できないぞ。
とはいえ料理自体は今焼き上げられたばかりのように肉汁が表面で踊っている。脇に並べられたフォークで表面を突いてみると皮までしっかり焼き上げられているのが分かる。
「何してるのよ。早く食べないと10分で終わらないわよ」
「ああ、そうだな」
俺は自ら課した10分というタイムリミットのために恐る恐るフォークとナイフでステーキを切り取り、口に運ぶ。
塩コショウに彩られた肉の味が肉汁に乗って口内に広がる。鼻から抜けるコショウの香りがいいアクセントになっている。
「うまいな」
「はうね」
リリーは俺より大きく切り取った肉片を頬張りながら、さらにご飯も口に運ぶ。髪と目の色もあいまってウサギみたいだ。
いや、ウサギなら肉は食わないか。
*****
15分ほどかかってしまったが完食した。
「うまかったな」
「ええ、勝負が終わったらまた来ましょうね」
そんな言葉を交わしながら俺達は席を立ち、対応してくれた男に礼を言って下の階を目指す。
残り6階。多分もう足止めを食らうことは無いだろう。リリーの食欲は満たされたことだし、恐らく階段はこの先ずっと続いてるだろうし。
「まあ、階段に関してはその保証はないんだけどな。ま、とにかく55階…っと…」
繰り返してきたのと同じ手順で階段を下りて階下に到達した。そして俺は、俺達は言葉を失った。突如現れた「それ」は瞬時に俺達を取り囲む、というか包み込む。
「それ」は誘惑という名の牙をむいて俺達に襲い掛かってきた。