第16話 姉を目指して
「…まずいことになったわね」
「そうだな…まあ、とにかく下りるか。制限時間もあることだし」
「そうね。…って、ちょっと待って。ウィルは私と一緒に来るの?」
既にダンジョンの入り口に向かって歩き始めていた俺だったが、リリーの言葉の持つ強大な力によって俺は強引に振り向かされる。
「当たり前だろ?ゴールは同じなんだから、2人で協力した方がいいに決まってるだろ」
「いや、そうなんだけど…ウィルはどうなのかなって、思って…」
リリーの歯切れがやけに悪い。
「どうって、俺はさっき言った通り協力した方がいいと思ってるよ」
「いやでも、前の時みたいにならない?」
「前?」
疑問形にした俺だったが、しかしリリーの言わんとしていることはすぐに分かった。俺とリリーが一緒に行動したことなんて一度しかない。カルロスの時だ。
「あの時はウィルのお陰でミノタウロスから身を守れた。でもそのせいでウィルはダンジョンマスターに怒られたんでしょ?」
「ああ、まあ、マスターに呼び出しはされたけど、そこまできつく怒られなかったから気にしなくていいぞ。罰だってなかったし」
「本当?」
「本当だ。それに、ここは多分ダンジョンとは別のルールが支配してると思う」
フロイディネはここに来た俺達に対してこう言っていた。「この楽園に暴力は存在しません」「楽しむことに心血をお注ぎください。それがこの国に存在する唯一の法」
つまり、ノアズ・クレイドルにおいてはモンスターは勇者達に危害を加える必要はないし、このノアズ・クレイドルには独自の法が存在するということだ。
「そう。なら遠慮なく盾として利用させてもらうわ」
「おう。任せ…いや任されるか。何で俺がお前を身を挺して守らないといけないんだ」
「あんた今の状況分かってるの?お姉ちゃんがいなくなったのよ。捨て身で行く他無いじゃない」
「捨て身で行くならそれで構わないが、さっきの言い方だと身を捨ててるのは俺だけみたいに聞こえるんだよ」
「どうせウィルは不死身でしょ?吸血鬼なんだし」
わざとなのかそれとも忘れているだけか、リリーは俺の傷口をえぐる。
「俺のスキルに[不死]はない。殺されれば他のモンスターと同じ死に方をして復活する」
ある意味では不死身なのかもしれないが、復活にはダンジョンコアを経由する必要があるのでこのゲームにおいてはそれは退場、失格を意味する。
「モンスターって不死身じゃなくても死んだら復活するの?」
「ああ、復活するって言っても痛いし苦しいから、誰も死にたいとは思わないらしいけどな」
「へぇ。私達と同じなのね」
「え?同じ?」
俺達モンスターが死んでも復活することが、「私達」すなわち勇者と同じだと言ってるのか?
「私達勇者もギルドに入っていれば死んでも魂から肉体を復元できるのよ」
「へぇ…」
ゲームみたいな世界だな。
「もちろん復活するのに費用は掛かるし、ダンジョンに入る前に持っていたもの以外は全部無くなるから、私達みたいな貧乏勇者は死に物狂いで生きて帰るけどね」
「リリーもセリアもギルドに入ってるんだよな。ギルドの他の仲間とは一緒に行動したりしないのか?」
「しないわ。うちのギルドのモットーは『節度を守ってダンジョンを楽しみましょう』だから。私達姉妹みたいな金儲け目当ての勇者は認められてないのよ」
認められてない?じゃあ何でリリーとセリアは在籍してるんだ。追放されてもおかしくないんじゃないのか?
「何よ。その顔は」
俺が訝しんでいるのを表情を見て悟ったのか、リリーはやや表情を曇らせて俺に詰め寄る。
「いや、リリー達のためにも他のギルドに移った方がいいんじゃないかと思って」
「…余計なお世話よ。私達は今のダンジョンでやっていくって決めたし」
それに、とリリーは続ける。
「今のギルドのリーダーは半分くらいお姉ちゃんの言いなりだから、ある程度融通は聞くのよ」
「さいですか…」
融通だなんて、物は言いようだな。セリアのことだから脅したりしたんじゃないのか?
いや、それを確かめるためにも早いところゴールを、地下70階を目指そうか。
「とにかく進もう。話してる場合じゃない。話すにしても進みながらにしよう」
「どうしたのよ。急に焦りだして」
「お前は何で焦ってないんだ。制限時間があるのを忘れたのか?」
「…忘れてた」
こいつも大物になりそうだな、という根拠のない予感を抱きつつ、俺はリリーに先立ってダンジョンの入口に向かっての第一歩を踏み出した。
*****
まだ階段は下りていない、だからここはノアズ・クレイドルの入口があった61階の一部、ノアズ・クレイドル1階に違いないんだろうが、俺達は既に地獄の1丁目に踏み込んだようだった。
「……」
「……」
俺もリリーも一言も発せずにいた。とにかく自分達の存在を周りに知らしめたくないのだ。
俺達が今歩いているのはまるで公園のような場所だった。地面は芝で覆われ、所々に木がその根を大地に下ろし、空には青空、そこから日光のような温かい光が射す。どこからか心地いい風さえ吹いてくる。
そんな最高の環境において、俺達はこの上ない居心地の悪さを感じている。
その元凶は物理的な物ではない。心理的なものだ。具体的に言及するとそれは、この階の至る所でいちゃついてるカップルの群れだ。
「どうなってるのよこのダンジョン…」
リリーの漏らした言葉もさもありなん。カップルは人間同士のものからモンスター同士、人間とモンスターの組み合わせさえ存在した。
種族も身なりも千差万別だったが、どのカップルにも共通して言えたのは目のやり場に困るくらい仲睦まじいということだ。
手を繋いで歩いている者、木陰で談笑してる者、所々に設置されてるベンチに並んで腰かけてる者。
「……」
「ちょっと、何か言いなさいよ。独り言言ってる変な人みたいじゃない」
「独り言抜きにしても十分浮いてるだろ…」
何せ男女のペアで俺達は唯一、仲睦まじくないペアなのだから。
「手でも繋ぐか?」
「何でそうなるのよ」
「カムフラージュ…いや、やっぱいい。忘れてくれ」
よくよく考えればこのダンジョンにいる奴らとはもう二度と会うこともない。多少浮いてたって構うもんか。急いで下の階に続く階段を探そう。
「リリー。ダンジョン攻略はお前の方が慣れてるだろ?どの辺りに階段がありそうだ?」
「確かに私の方がダンジョン攻略し始めてから長いけど、私にはお姉ちゃんという最強の道案内がいるから」
「そう言えば、セリアってさっきのフロイディネとも面識あったみたいだけど、あいつって実はすごい奴なのか?」
俺は歩きながら気になったことを聞く。しかしリリーの答えはすぐには帰ってこなかった。やや間を置いてリリーは口を開く。
「お姉ちゃんが勇者になったのは15の時で、普通はそこから2年くらい戦闘訓練とかダンジョンに関する基本的な勉強とかしてダンジョンには潜るものなんだけど、お姉ちゃんはそれを1年で終わらせたから、少なくとも優秀ではあるわ」
学校で言うと飛び級ってやつか。
確かセリアの実年齢は26。フロイディネとは10年前に何かあったらしい。ということはセリアはダンジョン潜りを初めて最初の年にここまで潜って来たってことか?優秀過ぎるだろ。
「本当ならお姉ちゃんはもっと上のギルドに行けるのに、今のギルドに留まり続けてるのよ」
「まあ…セリアにも考えがあるんだろ…?」
話しながらリリーと手を繋ぎもせずにきょろきょろと周囲を見渡してる俺はこの階の住人達にとっては異様だったのだろうか、俺達は次第に遍在するカップルたちの注目を集めていた。
「ねえウィル…」
リリーはその視線に耐えかねたのか俺の元へ駆け寄ってある提案をする。
「手でも繋がない?」
さっき俺がして却下された提案だ。
「そうするか」
俺はその提案を呑んでリリーに右手を差し出す。リリーはそれを左手で握る。
リリーの体温は意外と低かった。俺の手の平の体温が彼女の手に流れていくのが分かる。
「意外と温かいのね。吸血鬼はみんな死体みたいに冷たいのかと思ったわ」
「俺はお前の手が意外と冷たいのに驚いてるところだ。…冷え性なのか?」
「どうかしらね。でも平熱は低い方よ」
初めはそんな風に言葉を交わしていた俺達だったが、次第に交わす言葉も減っていき、沈黙が積み重なるほどに俺達は冷静さを取り戻していき、先ほどとは別の羞恥心が頭にのさばり始める。
「ないな。階段…」
「そうね…」
苦し紛れに絞り出した言葉も一時しのぎにしかならない。
そしてついに俺は決心する。
「仕方ない。最終手段だ」
2人で手を繋いだのはこの階を我が物顔で歩くための手だった。だというのに俺達は込み上げてくる気まずさのせいか、いつの間にか人目を避けてしまうという矛盾を演じていた。
「誰かに道を聞こう」
「道を…え!?道を?誰に?」
「決まってるだろ」
そこらへんにいるカップルにだ。
俺は意を決して目についたカップルに向かって歩き始める。リリーは一瞬抵抗するように手を引いたが、しかしすぐに俺に手を引かれるがままになった。
「あの、すみません」
俺が最初に目についたカップルは横長のベンチに座って談笑しているカップルだった。
会話に割って入るのは申し訳ない気もするが、真剣な話をしているわけではなさそうだったので声を掛けた。
「俺達下の階に行きたいんですけど、下に行くための階段ってどこにあるかご存知ですか?」
「下に?食堂ってことかな?」
最初に俺に口をきいたのは彼氏の方だった。容姿は人間。中肉中背で顔も特にイケメンというわけでもない、平凡な男だった。吸血鬼の癖にスキルのパッとしない俺が言えたことではないか。
「ええと、もし一気に下りられるなら下りられるだけ下りたいです。とにかく下に」
「とにかく下、ということはあなた達勇者ね?」
次に口を開いたのは彼女だった。一見人間に見えたが、特徴的な耳の形からエルフだと分かった。
「いえ、俺は吸血鬼です。こいつは勇者ですけど」
「あら、勇者じゃなかったの?じゃあカップルよね。とにかく下に行きたいなんて、珍しいデートの仕方ね」
「まあまあ。あまり詮索するのも良くないよ。下の階に行くには…」
彼女は利発そうな視線と共に俺達に興味の矛先を向けたが、すぐに彼氏がそれをなだめ、親切に下に通じる階段を教えてくれた。
俺達は2人に礼を言って教えて貰った階段のありかまで向かう。
「階段はこのフロアの中央にあったのか。どうりで見つからなかったわけだ」
しかしそこにあると分かれば向かうのは簡単。俺達は相当数のカップル達とすれ違いながら目当ての階段まで着いた。
「最初から聞けばよかったな」
「目のやり場にすら困ってたくせによく言うわね」
うむ。まったくもってその通り。
俺達は下に降りる。
「ところでウィル。一つ聞きたいんだけど」
十数段下りたところでリリーが唐突に口を開いた。
「どうした」
「さっきカップルって言われて何で否定しなかったの?」