第10話 パニックインザマーケット
「まあ音響爆弾の件に関しては後で考えよ。うまくいけば使わんでいいわけやし」
「…そうですね」
「そんなことより今はゲン…じゃなくて、カルロスや。ディーセルと面識はなくても居場所は分かってるはずや」
そう言ってチャージャーはマーケット内で最も目を引く建物、つまり最も高い建造物へと走り出していた。
「逃げろー!」
「本棟から離れろー!」
目的地に近付くにつれてそんな声と言うか悲鳴というかが聞こえてくるようになった。
「カルロスさんですかね?」
「やろうな。タイミング的に」
チャージャーは下半身が山羊のためか、かなりのスピードで俺の先を疾走している。俺は吸血鬼で疲労しないため常に全力で走り続けられるがそれでも追いつけない。どんどん距離は開いていく。
目的地と自分の位置関係はちょっと上を向けばすぐに分かる。一番高い建物だ。
俺は少し遅れて目的地に辿り着く。
「思ったよりもひどいな…」
マーケットの、いわゆる本部に辿り着いた俺が抱いた感想はそれだった。
本部は一面ガラス張りの、前世で言うところの高層ビルだった。近くで見るとやはり大きい。周りの他の店の大きさと比べて不自然なほどに大きい。
いや、大きさだけじゃない。外観と言うか、デザインも周りに馴染んでない。他の店は中世というかファンタジーっぽい木造なのに対して、このビルは近代的というか、SFっぽいデザインだ。
「つってもそれももう、見る影も無いけどな」
自動ドアと思われるガラスのドアは破られ、ガラスも金属のフレームも一緒くたになって砕かれていた。
俺は入り口だったものをくぐってビル内に侵入する。中にいたモンスターは俺を含めて4種類。吸血鬼、ミノタウロス、サテュロス、そしてグレムリン。
状況を整理すると、カルロスが何らかを叫びながら手あたり次第に突進し、グレムリン達は逃げてる者とカルロスを取り押さえようとしている者がいる。
「遅かったなあ!見ての通りやで!」
「ええ、どうします!?」
「それ、あっしが今聞こうとしてた」
チャージャーがいるにも関わらず止まらないところを見るとカルロスはもうスキルを発動してる。事態を収めるためにはカルロスの意識を奪うか、あるいはカルロスの目標を達成させるかしかない。
カルロスは出て行く時に「話し合ってくる」って言って出て行った。それにしてはカルロスが暴力に訴えるのが早すぎる。単にカルロスの気が短かっただけという考え方もあるが、そうでなかった場合、つまり話し合う間もなく門前払い受けた場合、カルロスの目的は自分の話をディーセルに聞かせることだろう。
「チャージャーさん!俺に考えがあります。カルロスさんを気絶させないで彼を止める方法!」
「そんな方法があるんか?俺は今すぐにでも音響爆弾ぶん投げようと思ってたところやけどなあ」
「意外と容赦ないんですね…」
しかし適切な判断かもしれない。この巨大なビルの中からディーゼルを探し出してカルロスの前に突き出すという俺の考えよりはましと言える。
俺が迷い、行動しあぐねていると俺の耳に「ポーン」という、この世界では聞きなれない、しかし前世では幾度となく聞いた音が飛び込んできた。
音のした方を振り向いた俺の目が捕らえたのは、エレベーターとその中から現れた2体のグレムリンだった。
1体は高級そうなスーツに身を包み、袖の辺りにこれまた高級そうな時計を見え隠れさせている。そしてもう1体は先ほどのグレムリンほどではないが高そうなスーツを身にまとって、片手に万年筆、もう片方の手に手帳を持って先ほどの1体の1歩後ろに控えていた。
「やれやれ。やけに活きのいいお客さんだな。まるでロスの闘牛だ」
前の方にいたグレムリンは気取ったように肩をすくめる。口調といい表情といい仕草といい、ハリウッド映画みたいなやつだ。少なくともそんな悠長に格好つけてる場合ではないというのに。
「さてと、アルフ。早いところあのお客様にはお引き取り願おうか。エスプレッソでもサービスしてやれ」
「ディーゼル様。それには目下の所警備員達がとり組んでいるところでございま…」
「ああ、ああ、待てアルフ。そうじゃない」
前の方にいたグレムリン、どうやら奴がディーゼルだったようだ。
ディーゼルは人差し指を立てて大仰にそれをアルフと呼ばれたグレムリンの前で振る。
「うちの警備員が何をしているかは問題じゃない。問題は俺の会社が…いや、ここはハニーと言った方がいいか…俺のハニーがどこぞの馬の骨に好き勝手されてることだ」
「それにはわたくしも胸を痛めております」
「ああ、言えてるな。…いや、よく見たらあれは馬じゃないな。……牛だ」
そんな芝居がかったやり取りをしながらディーゼルはまるでレッドカーペットの上を歩くかのように悠々とカルロスの方へ向かう。
「やあ従業員諸君。今日の仕事はもう終わりだ。バーで一杯やっていきたまえ」
「社長!危険です。ここは我々が!」
警備員と思われるグレムリンの一人がディーゼルの傍らに飛んできてそう告げる。
「いやいや。君達はよくやった。ここは俺たちに任せて君は帰るんだマイケル」
「あの、僕はマイケルじゃありません」
「…じゃあこうしよう。君達警備員は従業員たちをビルの外に避難させてくれ。中のことはこの俺と、アルフに任せて」
一瞬ためらったように見えた警備員だったが、分かりましたと答えて飛んでいった。
警備員達を含め、他の従業員が外に避難し始めたのを見てディーゼルは満足そうに頷き、カルロスに語り掛ける。
「ハイ。ちょっとそこの、怒りんぼさん?」
グオォーーー!!!!!
カルロスは俺と初めて会った時と同じ咆哮を上げる。間違いない。スキルは発動されている。しかし今回は物理的に近いからだろうか、あの時よりも音量と言うか迫力というかが増してる気がする。
「ああ、待て落ち着くんだ。話し合おうじゃないか」
ディーゼルは両手を前に突き出し、眉根を寄せてゆっくりとカルロスに近付く。その仕草がより一層演技がかっていて折角の下手に出たような物言いが台無しだ。
グワァーーー!!!
カルロスは話し合いに応じることもなくディーゼル向かって突進する。
どうやら[猪突猛進]の目的はディーゼルに会うだけでは果たされないものだったようだ。
「やる気みたいだな。アルフ!」
「かしこまりました」
カルロスは静止していたにも関わらず一歩目から物凄い速さで走り出す。
しかし彼がディーゼルの立っている場所に到達するより早く、具体的にはディーゼルの5メートル程手前でカルロスの行く手は遮られる。カルロスとディーゼルの間に現れた鉄板によって。
鉄板の大きさはドアくらい。ハリウッド映画に出て来る、類人猿に知能を与えそうな大きさのものだった。
「さあ、お昼寝の時間だ」
そう言ったのはディーゼルだったが、しかし前方に手をかざしていたのはその後ろのアルフの方だったので多分何かをしたのはアルフの方だったのだろう。
鉄板は厚さもサイズも申し分ない。十分にカルロスの突進の勢いを打ち消して余りあるくらいのものに見えた。ただ懸念はカルロスの[破砕]。カルロスの角が鉄よりも硬ければ厚みもサイズも何の意味もない。
そしてここだけの話、歯に含まれるエナメル質は水晶くらいの硬度で、鉄より硬い。歯と同じく露出した骨格と考えるとカルロスの角もエナメル質で覆われてる可能性は高いが、果たしてどうなる?
ガラッシャン!
ボーリングでストライクを取ったような一種痛快とも言えるような音を上げて鉄板は「破砕」された。正直言って、薄々分かっていた。
しかしディーゼルにとっては予想だにしてなかった展開だったのだろう。カルロスの突進をもろに受けてふっとび、床で後頭部をしたたかに打って気絶した。気絶する間際に
「まったく…ついてないぜ」
と呟いた辺り徹底してるなと俺は感心した。ディーゼルの秘書のアルフはと言うと、少し後ろにいたためかうまく躱せた様子だ。
「おいゲンいい加減にせえ!話し合うんちゃうんか!?今フッ飛ばしたのがディーゼルやぞ!」
チャージャーの声が届いたのか、カルロスは減速し、ゆっくりと倒れているディーゼルに近付き、その顔を覗くように膝を折った。そして口を開き
「カネヲ、ハラエ」
機械のような口調でそう言った。
「カネヲ、ハラエ!ゴンニ、カネヲ!ハラエ!」
最悪だ。[猪突猛進]の目的はチャージャーに金を払わせることだった。
ディーゼルが死んでない今、スキル自体はそれを物理的に不可能な目的と判定していない。ディーゼルが気を失ってるというにもかかわらず。
「おいケダモノめ!今すぐ社長から離れるのだ!」
カルロスの突進を躱したアルフは再びカルロスと対峙し、2枚目の鉄板を出現させてカルロスにぶつける。もちろんあっけなく砕かれるわけだが。
「スキルか?技か?何にせよ効いてないはずは無い!食らえ」
「いや待て!無駄だから止めとけ!」
俺は思わず駆け寄り、アルフを羽交い絞めにしてカルロスから遠ざける。
「やめないか!そもそも誰だお前は!」
「あのミノタウロスの…」
知り合いと言いかけて俺は思い留まる。
「いや、何でもないただの通りすがりだ」
今回の騒ぎの張本人と繋がりがあると思われると厄介だ。発端はマーケット側にあるとはいえ、何の関係もない俺が登場人物に数えられてしまっては話がこじれてしまう。目を覚ましたディーゼルが把握する事情というのはシンプルな方がいい。
「何でもないただの通りすがりなら手出しはご遠慮願頂きたいものですな」
羽交い絞めにされてすぐは抵抗しようともがいていたアルフだったがすぐに大人しくなったので俺は放してやる。
「いや、あのミノタウロスのスキルは知ってるんだ。だから無駄だと進言してるんだよ」
「…ただの通りすがりとおっしゃってましたね。あちらの方もですか?」
乱れた襟を正しながらアルフは、向こうで懸命にカルロスを説得せんと叫び続けてるチャージャーを指差す。
「ええと…彼と俺は確かに知り合いだけど…彼とあのミノタウロスも知り合いみたいだな。偶然」
「まあ何でも構いません。わたくしは今あのモンスターが社長に危害を加えるのではないかと気が気でないのですが、その心配はないからこそわたくしをアレから遠ざけたのですね?」
「ああ、もちろん」
100%保証するとは言えないが、ディーゼルに金を払わせることが目的で発動したスキルなら、スキルによってディーゼルが殺されることは無いはずだ。
「あのミノタウロスを止めるには意識を奪うしかない。今現在有効そうなのはこれしかないけど…」
俺はチャージャーから渡された音響爆弾をポケットから取り出して見せる。
「これを使うと起動させた奴が真っ先に気絶する」
「それは果たして有効と言えるのでしょうか?」
もちろん使いようによっては有効だ。だから使い方を考えなければ。
「とはいえ、わたくしのスキルと併用すればある程度有効でしょう」
「マジか!」
「マジでございます。わたくしのスキルの一つは[保管]。静止した無生物に触れることでそれを亜空間に転送し、また任意の場所とタイミングでこちらに呼び戻すことができます」
よかった。最高の展開だ。もしかしたら今回は俺がくる必要はなかったかもしれない。チャージャーの音響爆弾とアルフさえいれば解決できるようだ。