1 とある男子高校生の秘密
新学年に上がって1ヵ月もすると、そろそろクラス中の男子の間で誰々がかわいい、誰々が良いだのとそんなそわそわした議題が俎上に上る。
休み時間。学校という狭い箱の中の、その中でも教室という狭い仕切りの中で、鳥かごの中の姫君をみんなで愛でる一時である。
……とはいえ、このクラスには鳥かごの中から漏れ出すほどのオーラを纏った、紛れもない美人がいる。
「おいおい、見たか今!織薔薇さんがこっち振り向いたぞ!」
「、、、見間違いだろ」
「ぜってー違うって!なー、これってやっぱ運命だよなあ、やっぱ運命だよなあ!あー!やっぱ織薔薇さんと俺って、運命の赤い糸で結ばれてるんだあああああ!」
「興奮すんなよ暑苦しい……そう思うんなら、今から確かめに行けよ」
「確かめに?」
「その愛ってヤツを伝えに行けばいいじゃん」
「ふ、甘いな相棒。目と目を合わせるだけで通じるこの関係。俺と織薔薇さんの愛に、言葉なんかいらない」
「もう病院行け……」
……そんなクラスの平均的な男子2人の会話を傍で盗み聞きしながら、僕は1人で手にしていた小説のページをめくった。
クラス中あらゆる所あらゆるカーストで鳥籠の姫君たちの話題に華やいでいたが、僕はそのどれとも交わらず黙々と読書に耽っていた。
そう、僕はクラス中どこのカーストにも交わらない、傍観者の位置にいるのだ。
クラス中のありとあらゆる事情に中立の立場から俯瞰し、そしてクラス中ありとあらゆる事情に特段の関心も示さない。
人はこの状態を“ぼっち”と呼び悪と断ずるのであろうが、決して他人に心かき乱されることのない日常が送れるため、やや高校生として毎日に精彩を欠くことは否めないものの、むしろ戦後70年の平和をうたうこの国の理想が反映された生活なのではないかと胸を張ってよいことではないかと思う。
そう。他人に無関心でもなければ、不要に気にすることもなく。
それが何よりも尊く穏やかな日常を築いてくれる……。
「いやー、このクラス最高だぜ!俺もはや喜びというより誇りに思うな、なんてったって学年二大かわウィィコちゃんがこのクラスにいるんだもんな!」
この男子生徒の言う学年二大かわウィィコ……ちゃん、うわ、なんかコピペするとバカっぽいな、学年二大マドンナくらいにしておこう、すなわち、このクラスには学年でトップクラスにかわいい、とされる女子が二人いる。
一人はこの学年で一番の美人。
先ほどの会話の中に出ていた織薔薇繭美だ。
正に正統派美人という呼び名が似合う、目鼻立ちの整いようだ。
纏うオーラも気品漂う。
モデルや芸能人も目じゃないくらいの美人なのだが、しかし、正直言って話しかけづらいオーラを全身に纏っており、彼女の周りには、ごく少数の人間しかいない。
本当の意味で高嶺の華、なのだ。
もう一人は、学年で正直一番人気の女子。
黒髪ロング、少しプリンとしたアクセント。スフレのように白く暖かい肌。美しさと同時に柔和さも忘れない顔立ち。
「ゆるふわ系美人」というコンセプトがあるのならここまで体現できていると思われる女の子はいない、と言い切れるくらい、男が好きそうな美人そのものの女子だ。
花多葉あかり。
「……普段のスカした表情の裏でちょくちょくあかりちゃんをチラ見してんじゃねえよこの変態!」
ハッッッッッッッッッ!
とした。
自分のことを言われたのかと思ったからだ。
「ち、ちげーよ、てか変態っていうな!」
「わー、ムキになるってことはそうなんだな?なーるほど、俺は織薔薇さん派閥でお前はあかりちゃん派閥なのね」
「勝手に決めんな、ていうかあかりちゃんとか気安く呼ぶなよ!」
「ハハハハ嫉妬だな!苦しゅうない苦しゅうない!」
「……いや待てなんで俺がお前に嫉妬しなきゃいけないんだ!」
「だって俺、あかりちゃんと小学校の時クラス一緒だったし」
「そんだけだろ!別に口はきいてないんだろ?」
「いや、何度か話したよ」
「……そんなあああああ!」
「やーい!悔しかったらお前もあかりちゃんに喋りかけてみるんだなー!」
「……それを言うなら!それを言うなら!俺だってこの間、織薔薇さんの落とした消しゴム拾ったぞ!」
「な、なぬ?!てめえ勇気ありすぎんだろ……」
「フフ、ボソッと『……ありがとう』って言われちまったんだぜ俺!」
「なぬうううううううう貴様ァァァァァァァ!」
幸いにも、さっきの言葉は僕に向けられたものではない。
隣で、このクラスの平均的な男子生徒二人の会話が延々と続く。
……当たり前か、僕はこの教室じゃ空気に近い。僕に向けてプリント回しなどの事務的に必要な会話が送られることはあっても、僕に向けて雑談の類の軽口が飛ぶことなんてない。
それにしてもよくこんなどうでも良い話題で延々と会話を続けられるものだ。クラスの誰それがかわいいだのと、冷静になってしまえばどうでも良いことのはずだ。
……そう淡々と隣の会話を流しながら小説のページをめくると、ページとページの隙間からポロリと零れるものがあった。
本に挟んであったしおり。
ではない。
ヒラヒラと舞い落ちるソレを、僕は瞬時に、刹那のうちに、バッと拾い上げた。
普通クラスのぼっちが急にドタバタ動いたらみんな不思議がるだろうが、軍隊仕込みかというくらい機敏な動きで逆に周囲に違和感を与えることなく、それを回収した。
――――本当に軍隊仕込みだが。
まあとにかく、僕は回収したそれを見て、安堵した。
……花多葉あかりの写真。
体育の授業で撮影されたものだ。
純白のテニスウェアが彼女の体のラインを際立たたせ、束ねた綺麗な黒髪は静止画でも躍動感を帯びている。
そして振り向き様の、何もかもが愛しく思える彼女の表情。
僕は校内の裏取引市場でこの写真を手に入れて以来持ち歩き、本に挟んだりなどしている。
というか、本を読むふりをしてこの写真を眺めていることもあるくらいだ。
本当に奇跡の一枚だ。撮影者は永遠に讃えられるべき一枚だ。
僕は本気で、そう思っていた。
…………一番冷静じゃないのはオレだよちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!