第六節 乙女の決意
私はあの話をしてすぐ、部屋に引きこもっていた。
ベッドに座り、少し考える。
どうして私がこの街を出ていかないといけないのか分からない。
せめてメルもついてきてくれれば、気が楽なんだけど……。
「はぁ……」
ため息が部屋にむなしく響く。
しばらくの静寂の後、ガチャという音が響いた。
どうして放っておいてくれないのかと思いつつ、扉の方を見やる。
開いた扉から入ってきたのは、少女姿のメルだった。
メルは当たり前のように、ベッドの横にある椅子に座った。
なんか、この立ち位置も慣れちゃったな……。
「セリカ、どうしてもダメ?」
「嫌だ」
――嫌なものは嫌だ。
どうしていきなりこの街を出なければいけないのか分からない。
それも、ハルっていう男の子と一緒に行かなくてはいけない。
もしも、ハルと一緒に旅をすることになったら……。
考えていると、顔が少し熱くなったのを感じた。
もしかしたら赤くなっているかもしれない。
「まさかセリカ、そういうこと?」
どうやら、本当に赤くなっているみたいだ。
――さて、どう言い訳しようかな。
「いやぁ、セリカも女の子ね」
本当にほっといて欲しい。
「仕方がないわね。そういうことなら、セリカが自信を持てるようにしてあげないとね」
心から余計なお世話だと思う。
一体、メルは何をする気なんだろうか。
「とりあえず、もう少し可愛い服に変えないとね」
メルに引っ張られて、部屋の大鏡の前へと立たされる。
半袖で膝上丈の浅葱色のワンピース。
私はこれでも十分可愛いと思う。
しかし、メルはあまり気に入っていないようで、袖や裾を整えてくる。
「第一、街に来た時から着ている服と、この前買ってあげたその服しか持ってないでしょ?」
私は二着もあれば、問題ないと思う。
「新しい服を買いに行くわよ」
そんなお金がどこにあるのだろうかと思ったけど、魔物を倒した時に金貨を手に入れたんだっけ……。
そんなことを考えていると、外に連れ出そうとメルが服をぐいぐい引っ張ってくる。
仕方がないので、私は部屋を出た。
それから服屋へと向かった。
ハルと出くわさないように、慎重に行動しよう。
***
一般的に服屋は普通の服以外に、防具も取り扱っている。
危険だが、街から街へ移動したい商人や旅人のために防具も売られているらしい。
店に入ると、男性用女性用問わず様々な服が売られていた。
片隅には鎧やローブなどの防具が売られている。
私は思わず声を漏らしてしまった。
「何回来ても、すごいなぁ……」
「さて、今いくら持ってる?」
そう言われて、袋から金貨を取り出す。
金貨はゴブリンを倒した時の五枚と、サイクロプスを倒した時の十枚。
合わせて十五枚。
そこでふと、ハル達に金貨を渡してないことを思い出した。
――ま、いっか。
それにしても、これでどれくらい買えるのだろうか。
「ねぇ、メル?」
「なに?」
「これでどれくらい買えるの?」
「あぁ、そういえばお金の話してなかったわね。金貨一枚で100ソトラよ」
そとら?
……そとらって何だろう。
「そとらって何?」
「ソトラもわからないかぁ……。ソトラっていうのは、お金の単位」
「あぁ、なるほど」
そういえば、今まで使ってたお金の単位ってなんだっただろう。
ソトラじゃないと思うんだけど……。
突如、頭痛が私を襲った。
あまりの痛みに思わず顔をゆがめてしまった。
「大丈夫?」
メルが心配そうにこちらを見てくる。
「だ、大丈夫……」
まだちょっと頭が痛いけどね……。
「それよりもここに来たってことは、今日は服を買いにきたんでしょ?」
「まぁ、そうね。でも今日行くのはあっち」
メルに引っ張られ、着いた先は防具売り場だった。
「メル、ここって……」
「今日は防具を買うわよ」
「どうして?」
「セリカがいつここを出てもいいようにね」
ここを出る?
多分、ハル達についていく時のためにという事なんだろう。
例え、出ていったとしてもどうすればいいのか分からない。
「出ていかないから」
「そうやって、強がっていても何も始まらないわよ」
「強がってなんかないわよ‼」
ただ不安なだけ…って、これを強がりっていうのかな……。
「とりあえず、街にいるにしろ外に出るにしろ防具は必要よ。今日はその中でも可愛いのを選ぶわよ?」
まぁ、そっか……。
街に残るにしても、魔物と戦うことになる。
ついさっきは散々な目にあったし、防具くらいはちゃんと装備しとかないとダメだとは思う。
メルと一緒に鉄鎧やローブ、胸当てなど様々な防具を見て回る。
鎧は嫌だな……。
「これなんて良いんじゃない?」
そうやってメルが取り出したのは、白銀の胸当てと水色に着色された鉄の腰当て。
「そのワンピースの上から着てみて?」
メルに言われた通り、試着してみる。
「うん‼ 可愛い‼」
「ありがとう」
褒められて少し恥ずかしく感じた。
ただ、元の服の上に着ただけで変わってないよね……。
「さて、これでその服に合う防具はあったわね。それじゃ次いくわよ‼」
「ちょ、ちょっと待って‼」
嫌な予感がする……。
防具屋の店主に尋ねてみる。
「これ二つでおいくらですか?」
店主はにっこりとしながら口を開く。
「胸当てが九百ソトラ、腰当てが六百ソトラ。合計で千五百ソトラです」
店主はにんまりとしている。
二つの合計が千五百ソトラ。
手持ちの合計は千五百ソトラ。
つまり手持ちの金貨、全てを使わなければならないということだ。
「メル、もう買えないよ?」
メルは私の持つ袋の中身を覗く。
「そうね。今日はこれだけにしましょうか」
結局、新しい服買ってないじゃない……。
段々、憂鬱な気分になってくる。
気付くと、メルの顔も下を向いていた。
メルの背中がいつもより小さく感じた。
胸当てと腰当てを購入し、防具屋を出る。
防具屋の扉をくぐった瞬間、誰かとぶつかってしまった。
「ごっ、ごめんなさい‼」
顔を上げると、そこにいたのは先程の黒髪の少年、ハルだった。
「おっと……。誰かと思ったら、さっきの……」
「あ……」
――どうしよう。
瞬時に頭をフル回転させる。
今、どうするべきか……。
とりあえず、荷物を部屋に運ばないと……。
思考を巡らせる中、ハルが口を開いた。
「そっちも防具を買いに来たの?」
「うん……」
思考が停止し、雲がゆっくりと空を流れる。
――気まずい。
「俺は一緒に来なくてもいいと思うよ。そっちが一緒に来たいなら別だけどさ。…じゃ、また後でね」
ハルはそう言うと、店の中に入っていった。
……来なくてもいい、か。
心の中にざわめきが広がる。
心のざわめきは、次第に大きくなっていく。
本当にここに残っていいのだろうか。
このまま周りに優しくされ、自分の弱さに負けたままでいいのだろうか。
気付くと、私は店の前で立ち尽くしていた。
空を流れていた雲はいつの間にか、どんよりとしていた。
「セリカ? 大丈夫?」
メルが心配そうに声をかけてきた。
「だ、大丈夫よ」
店を後にし、神殿へ向けて歩く。
口では大丈夫と言いつつも、心の中では二つの不安がせめぎあっている。
ハルについていって、先に進むのは怖い。
でも、このまま何もしないのも怖い。
私の心はパンク寸前だった。
「本当に大丈夫?」
メルに顔をまじまじと見つめられる。
「大丈夫だって」
メルに気を遣わせないように、何とか言葉を紡ぐ。
「大丈夫じゃないわよ、どう見ても」
メルの言う通りだった。
民家の窓に映る私の目は、どこか虚ろになっていた。
「仕方がないわね。ちょっとついてきて」
そう言い、メルが服をぐいぐい引っ張ってくる。
街中をどんどん進み、神殿へたどり着いた。
部屋に戻るのかと思ったが、たどり着いたのは神殿の屋上だった。
曇りかける中、沈みかける太陽の近くには雲が無く、スカシブの街をきらきらと輝かせていた。
「……綺麗」
家の一つ一つが宝石のようで、街の人々の笑顔はもっと眩しかった。
「セリカ、よく聞いて」
そう言い、メルは再びこちらをまじまじと見つめる。
「あなたの守ってくれてるこの街はこんなにも綺麗。だけど、この街が綺麗なのはこの街の人々が笑顔だから。世界には魔物によって人々の笑顔が失われてしまった、綺麗なところがいっぱいあるの。貴女はそれを守ることができる」
―守る、私が私以外のものを。
そんなの簡単にできないよ……。
「ここに残るって言っても、もう止めない。だけど、あなたが助けられる場所がいくつもあって、そこに住む人達が助けを求めているということを忘れないで」
メルはそう言うと、私の手を握った。
「最後にもう一回だけ。この街を出て、ハル君達と一緒に多くの人を助けてあげて」
どんよりしていた雲は、夕日に照らされ晴れていった。
***
部屋に戻ると、ハルとリオが待っていた。
辺りはすっかり暗くなって、月が輝き始めていた。
「遅いわよ」
「ごめんなさい、リオお姉様」
「お待たせして、ごめんなさい」
「それで、決まったの?」
思わず喉がゴクリと鳴る。
「決まりました」
「それで、答えは?」
私は両手をきつく握った。
「私も連れていってください」
「いいのね?」
リオの言葉に甘えてしまいそうになる。
でも、私にしかできないことがある。
「はい‼ 連れていってください‼」
「メルも、それでいいのね?」
「もちろんです」
「分かったわ。明日の朝、出発するから」
明日の朝、か……。
その日、私はハル達と夕食を共にし、ウテルとカイツのこと、ハルがスライムに殺されかけたことなど様々な話で盛り上がった。
***
そして、翌日の朝。
神殿に朝日が降り注ぐ。
小鳥は空を舞い、木々はまるで歌っているかのように風に吹かれている。
「さて、と……」
身支度を済ませ、部屋を出る。
何気なく振り返り、部屋を見渡す。
もう、この部屋ともお別れなんだね……。
数日間だけ過ごした部屋。
しかし、それでも私にとっては大切な場所になっていた。
「さようなら」
部屋に別れを告げ、ハル達の元へと急ぐ。
神殿の外に出ると、リオとハル、それにメルも集まっていた。
「やっとそろったわね」
「はい、お待たせしました」
「旅立つ前に、セリカこっちに来て」
メルにそう言われ、私はメルの前に立った。
すると、私の身体は光に包まれた。
その光の中でメルは私に語り掛けた。
「セリカ、短い間だったけどありがとう。とても楽しかったわ。鍵開けの力と私の力を貴女に託すわ」
メルがそう言い終えると、私を包んでいた光は消えた。
「んじゃ、私達は行くわね」
「リオお姉様、それにハル君、セリカ。お元気で」
「またね、リオ」
そう言うと、リオは街の外へと向かっていく。
「あっ、また一人で行きやがって……。ありがとうございました。んじゃ、行こうか」
「また、会おうね。メル」
「もちろんよ」
「それじゃ、行ってきます」
私とハルも街の外へと向かった。
残されたメルは、少し寂しそうな顔を浮かべたが、無理やり笑顔を作っていた。
「行ってらっしゃい」
私達の姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。