第五節 乙女と狩人
スカシブに向けて、ひたすら野原を歩く。
セイリルを出て、一週間が経とうとしていた。
「まだ、つかないのか……」
もう腰が痛い。
折り曲げないと痛くて歩いていられない。
「さながら、老人ね」
さすがリオ、イラッと来た。
「あともう少しよ、少しはしっかりしなさいよね」
「そんなこと言ったって、もう二日くらい水しか口にしてないんだぞ」
セイリルから食料を持ってきたものの五日目で食料は底をつき、途中で狩っていた猪の肉も食べ終えてしまった。
「あんたが後先考えずバクバク食べるからでしょ」
「そ、それは……」
腹が減っていたのだから、仕方がないだろう。
「ほら、見えてきたわよ」
リオが指し示す先には、確かに街らしきものが見えた。
やっとご飯にありつける……。
「街だ、街だ。腹減ったぁぁあ‼」
自分の身体は無意識のうちに、街へ向け走り出していた。
「ちょっと待ちなさいよ‼」
飛んでいたリオは、急いで自分の後を追ってきた。
***
たどり着いた街はやけに静かだった。
これほどの大きさならもっと賑やかだと予想していたが、見事に裏切られた。
時折、何かが破壊される音が聞こえる。
街中をよくよく見ると、魔物が家を襲っていた。
その魔物の肌は青く、一つ目で、身体の筋肉は隆々とし棍棒をぶんぶんと音を立てながら、振り回していた。
ご飯を食べたいのに、食べられないじゃないか……。
「サイクロプスが暴れているわね。でも誰かが戦ってるみたいね」
リオの言う通り、サイクロプスと呼ばれた魔物と対峙する人がいるみたいだ。
水色の髪の少女は、両手に氷に持ったナイフで戦っている。
――なんかかっこいいぞ、あれ。
戦っている少女は、どうも苦戦しているようだ。
「セリカ‼ こいつは普通に攻撃しても効かないわ‼」
「じゃあ、どうすればいい⁉」
セリカと呼ばれた少女が声を荒げると、どこからか返事が返ってくる。
「こいつは目が弱点なの。目に攻撃を当てて‼」
その声に、セリカは苦笑いをする。
「それはちょっと難しいよ……」
ここまで話を聞いていた自分には、とても簡単な話だった。
落ち着いて弓に矢をつがえる。
セリカ達は自分達に気づいていないようだ。
「こうすりゃ万事解決だろっ」
サイクロプスの目に向けて矢を放つ。
「ウガァアァアぁ⁉」
サクッという音と共にサイクロプスは悲鳴を上げる。
――よっしゃ、命中‼
「えっ?」
セリカたちは何者かの攻撃がサイクロプスの目に当たったことに気づいたようだ。
影からの支援っていうのも、格好良くていいと思う。
「だ、誰?」
セリカはそう言いながらきょろきょろと辺りを見回し、こちらに気づいた。
少女はよく見るとすごく可愛かった。
そしてセリカが自分に近づこうとした刹那、サイクロプスが起き上がり闇雲に棍棒を振り回し始めた。
「危ない‼」
セリカに向け声を荒げるが、一歩遅くサイクロプスの棍棒がセリカに直撃した。
セリカの身体は力任せに飛ばされ、建物の壁にあたって止まる。
「大丈夫か⁉」
――助けてやらないと。
「うぅ……」
セリカは立ち上がろうとするが、うまく立ち上がれないようだ。
倒れたセリカに急いで駆け寄る。
回復を……。
「ウィンド・ヒール‼」
即座に回復の魔法をセリカに向け詠唱する。
次第にセリカの傷は癒されていく。
――よかった、間に合った。
サイクロプスがそれを許す訳がなく、音を頼りにこっちに向かって来ていた。
「なんも見えねぇ……だが、ここにいるんだろ‼」
サイクロプスの声に気づき振り返ると、棍棒が振り下ろされていた。
とっさにセリカを遠くへと突き飛ばす。
ものすごい轟音が聞こえたと思った。
「ハル‼」
リオがそう叫んでいるが、間に合わない。
自分の身体に棍棒がめり込む。
「うぁ……」
棍棒と共に身体が地面にめり込む。
――これは、もうダメだ。
そこで自分の周りが一気に暗転した。
***
一瞬気を抜いた隙に叩き飛ばされた私は、見知らぬ少年の治療によって目を覚ました。
守ってくれた少年は私を突き飛ばした後、地面へと打ち付けられた。
彼の横では、メルと同じような妖精が懸命に声をかけている。
「ハル‼ ハル‼」
しかし、そんな声にも反応はない。
サイクロプスはそんな彼等に向けて、また棍棒を振り下ろそうとしていた。
――これ以上はやらせない‼
「フレイム・ウェポン・アロー・ツイン・シュート‼」
私は咄嗟に詠唱した。
目の前に炎の矢が二本出現し、サイクロプスへと放たれた。
詠唱文を間違えてなくて良かった……。
矢はサイクロプスの目に命中し、サイクロプスの頭を燃やし、焦がしていく。
「ウガァアァア、目が、頭がぁあ……」
そしてサイクロプスの身体はずしりと倒れ、金貨と化した。
「お、終わった……」
私のつぶやきの横で、妖精が必死に少年に呼びかけている。
息をしているところからして、どうやら死んではいないようだ。
「ハル‼ 起きなさいよ‼ 起きなさいってば‼」
金貨を回収し、少年に近づき魔法を唱える。
「ウィンド・ヒール‼」
しかし、少年の意識は戻らない。
――あれ?
「あんた、どういうつもり⁉ そんな魔法で治る訳ないでしょ‼」
怒られた。
治るわけがないといわれても、これ以外に方法が……。
すると、服に忍んでいたメルが顔を出す。
「セリカ、その子の中から痛み自体が出てくるイメージで、『ウィンド・リムーブ・ダメージ』と唱えなさい」
回復の魔法って一つじゃないんだ……。
メル、さては隠してたな?
私はメルの指示通り詠唱した。
「ウィンド・リムーブ・ダメージ‼」
しかし、少年の傷は癒えない。
「ただ傷が治れって思うだけじゃダメ‼ ちゃんと痛みの元が、身体から出てくるようにイメージして‼」
メルにまで怒られた。
「そうだよね。イメージ、イメージ……」
私は再び詠唱する。
「ウィンド・リムーブ・ダメージ‼」
すると、少年の身体から何か黒い液体のようなものが出てきた。
――き、気持ち悪っ。
そしてソレをゆっくりと少年から離していく。
意識が途切れないように慎重に動かす。
気持ちの悪いソレが少年の身体から完全に離れたのを確認し、意識の糸を切る。
ソレはビシャと音をたて、地面に散っていった。
――あぁ、気持ち悪かった。
両手を服にこすりつけながら、少年が意識を取り戻すのを待った。
***
「う、ん?」
目を覚ますと、突然リオに身体を揺さぶられた。
「あんた、バカじゃないの⁉ 敵の真ん前で回復魔法打つなんて、死にたいの⁉」
リオに思いっきり怒鳴りつけられた。
今の自分には、寝転がったまま苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
そしてリオは振り返り、セリカの方を向いた。
「あんた、ありがとね」
そう言うと、リオはセリカに頭を下げた。
リオがあんな風に頭を下げるとは珍しい。
やはり何度見ても、可愛い。
あまりの可愛さに、一発で名前を覚えた。
寝ながらそんなことを考えていた。
「そ、そんなすごいことはして無いですよ」
セリカがそう言うと、妖精が顔を出した。
「リオお姉様、すごいでしょ?」
「メルじゃないの‼ すごいも何も、第四段階の詠唱ができるなんて、この子何者なの?」
メルと呼ばれているということは、この子がリオの妹だろう。
この子もリオより可愛く感じる。
もしかしたら、普段の姿を見ている分、リオは可愛く見えないのかもしれない。
リオの問いに、メルは胸を張って答えた。
「私の力を与えてるセリカです。やっと私の力を存分に使える人間に出会えたんです‼」
メルは顔を輝かせてリオに告げる。
そろそろ身体も慣れてきたうえ、聞いてばかりではつまらないので起きることにした。
気分任せに思いっきり立ち上がる。
「よぉし、やっと身体が楽になった‼」
大声でそう言うと、セリカを驚かせてしまった。
「うわぁ、びっくりした……。いきなり立ち上がって大声出さないでくださいよ」
セリカにそう言われたので、とりあえず謝る。
「いやぁ、ごめんごめん。死ぬかと思ったからさ」
本当に意識飛んでたからな……。
案外、死ぬ時はあんな風に突然なのかもしれない。
そんなことよりも、どうやってセリカと仲良くなろうか。
「それにしても、さっきの氷の剣ってどうやってやったの?」
手の平を返すような態度にリオが口を開く。
「女の子相手だからって何? あんた、変よ」
リオが寒々しいといわんばかりに身体を震わせながら、引き気味に言った。
そこまで引くか?
そこまで引くと、セリカに嫌われてしまうかもしれない。
「マジか……」
その態度にセリカが笑い出した。
「あはは、そんなに気を使わなくてもいいですよ」
「セリカこそ気を使いすぎよ」
今度はメルが口を出した。
向こうも同じことを考えてたのか?
――いや、まさか。
自分とセリカは、そろって黙り込んでしまった。
「とりあえず、神殿まで戻りましょうか」
メルの提案にリオが頷いた。
「そうね。とりあえず、そうしましょう。」
そう言うと、リオとメルは神殿へ向かいだし、自分とセリカは無言のままついていった。
この気まずい雰囲気どうすればいいんだ……。
***
神殿につくと、奥にある少し大きな部屋に入った。
「さて、どこから話しましょうか」
「それなら、改めて自己紹介からね。私はリオ、そしてこのどうしようもないのがハル」
リオにはいい加減、きちんと紹介できるようになってほしい。
「私はメルと申します。こっちはセリカです」
メルに紹介されると、セリカは小さく会釈をした。
――可愛い。
「まず、セリカとはいつ出会ったの?」
「ついこないだですよ」
メルはにこにこしながらそう答えた。
リオは首を傾げながら話す。
「それにしては、仲がいいわよね……」
「えぇ、セリカとはちょっと出会い方が特殊だったもので……」
そう言うとメルはセリカに視線を送る。
そんなメルにセリカは首を傾げた。
本当に仲がよさそうだ……。
「ちょっと具体的に説明して」
リオがそう言うと、セリカが口を開いた。
「それなら、私が説明します」
――やっぱり声も可愛いな。
そして、セリカは自分が薬草摘みをしていたら、突然見知らぬ土地に来ていたことをリオに話した。
「なるほど、こいつと同じって訳か……」
リオがそう告げると、メルが声を上げた。
「リオお姉様は何かご存じなんですか⁉」
「ま、まぁね」
リオは胸を張るが、どこか頼りない。
「それでは、セリカはどうすれば元のところに戻れるのですか?」
それは自分も聞きたい。
メルがそう尋ねると、リオは気まずそうな顔をした。
「えぇと、それは、分からない……」
「え?」
リオの言葉に、メルは少し腑抜けた声で返す。
リオはいつも肝心なところで頼りにならない。
「私もそれがわからなくてね。実はこのハルも、セリカと同じでいきなりこの人間界に現れたの」
自分の紹介を他人にされて、少し照れる。
照れ隠しに軽く頭を掻いた。
そして、リオは続けて話しだした。
「それで、途中ウテルとも話したんだけどさ。多分、神界の者が関わってると思うの。だからお母様に相談するために、九人姉妹全員のもとを巡ろうと思ってるの」
――すごい面倒くさいけどな。
「なるほど……」
そう言ってメルは悩みこんでしまった。
そんなメルにリオは続けて話す。
「そういう訳だから、鍵開けの力を私たちに託してほしいの」
リオが言い終わっても、メルはまだ悩んでいた。
「何か気に入らないの?」
リオはメルに少し怒り気味で聞いた。
これはさすがに短気すぎる。
「いえ、そういうことではないんです。ですが……」
「ですが?」
メルの言葉にリオは挑発的に聞いた。
そしてメルは黙り込んでしまった。
やっぱり、リオってバカなんだな……。
しばらくした後、リオも気まずく感じたようで、そわそわしている。
そして、メルが口を開いた。
「セリカも連れていってもらえませんか?」
「え?」
驚きの声を上げたのはセリカだった。
「えっ…えっ?」
セリカは突然の出来事に戸惑っているみたいだ。
セリカと一緒にいられるなら願ったり叶ったりだ。
セリカは息を整え、メルに尋ねた。
「どういうこと?」
「あなたもハル君と同じなのよ。どうやってこの人間界に出現したかも不明。以前、自分がいた場所の位置も特定できない。そしてあなたが帰るために残された可能性は、ハル君達についていくことだけよ」
メルはセリカにそう語りかけると、セリカが加えて訊いた。
「メルは一緒に来るの?」
来たら来たで楽しそうだな……。
「私はこの街を守らなきゃいけないから、離れるわけにいかないの。リオお姉様は守る街がないから自由に動けるの」
リオってもしかしたら、可哀想なやつなのかもしれない。
メルがそう説明するとリオが口をはさんだ。
「守る街がなくて悪かったわね。私の像の周りに住んでいる人間は、神への信仰の欠片もなかったのよ。おかげで私の像の周りは完全に森の中で、どうしようかと思ったわよ」
間違いなく、可哀想なやつだった。
メルはリオが言い終わるのを待って話しだした。
「話を戻しますね。セリカも連れていってもらえませんか?」
「私はメルも一緒に行かないなら行かない」
そう言うと、セリカはそっぽを向いてしまった。
そっぽを向いたところも可愛いな。
その態度を見かねて、メルは申し訳なさそうにリオに話しかけた。
「すみません、少し時間をいただけませんか?」
「分かったわよ」
リオは仕方がないといわんばかりの表情を浮かべた。
セリカが一緒に来るのであれば、いくらでも待っていよう。
しかし、それならここにいても仕方がない。
「ここにいてもなんだし、少し街を見て回るか」
試しにリオに提案してみる。
たぶんこれが最善だと思う。
「わかったわ。メル、またあとでね」
そして自分達は神殿を出てスカシブの街に出向いた。