第四節 清廉なる乙女セリカ
「もう、だめ……」
とうとう足が止まってしまった。
この三日間何も食べずに、ただただ野原を歩いていた。
水は途中の小川でどうにかなったが、何も食べずに過ごすのはさすがに辛い。
「ここはどこなの……」
***
――三日前。
私はいつものように村で暮らしていた。
「薬草摘んできます‼」
家を出ようとして、母さんに呼び止められた。
「セリカ、日が暮れる前までに帰ってくるのよ」
薬草を摘むぐらいなら、日が暮れる前には終わるはず。
「行ってきます‼」
そう言い残して、私は家を出た。
村の人達に挨拶をしながら村を出る。
薬草は村で売れば、それなりの金額になる。
お小遣いの少ない私にとっては、良いお小遣い稼ぎになっていた。
村から少し離れたところに生えている薬草を摘みに行く。
薬草を摘んでいると、急激に辺りが暗くなった。
何事かと思い、空を見上げてみる。
「なんだろう、あれ……」
空を飛んでいたものは、犬のような形をしていた。
しかしその背には翼が生え、首が三つもついている。
――私の方を見てる?
そう思ったと同時に、それは飛び去っていった。
次の瞬間、自分の見ている光景が信じられなかった。
「あ、あれ? ここ、どこ?」
周りを見ると、一面に野原が広がっていた。
いや、もとから野原だったけど……。
生えているはずの薬草が生えていなかった。
「ど、どういうこと?」
近くにあったはずの村も、忽然と消えていた。
本当に、ただただ広い野原だ。
「と、とりあえず村を探さなきゃ……」
住んでいた村を探して、私は歩き始めた。
***
そして、現在に至る。
――もう無理だよ。
この三日間、何も食べずに川の水だけで飲んで耐えてきた。
もう限界だ。
「村は一体どこに行ったの……」
ふと頭を上げると、遠くに何かが見えた。
目を凝らすと遠くに村が見えた。
「やっと、見つけた……」
これで、助かる……。
やっと見つけた村に向けてゆっくりと歩く。
――あと少し、あと少し。
村との距離が少しずつ短くなっていく。
身も心も限界を超え、気力だけで前に進む。
やっとの思いで村へとたどり着き、目の前に広がっていたのは――。
「あれ?」
住んでいた村とは、全く別の場所だった。
「そんな……」
もう、自分の全てが限界だった。
そこで私は意識を失った。
***
目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。
「あれ?」
――どこだろ、ここ?
「やっと起きた」
どこからか声が聞こえた。
辺りを見回しても誰もいない。
「こっちよ」
声のする方を向くと、窓枠に小さな人型のものが座っていた。
「人形?」
「人形じゃないわよ」
「人形が喋った⁉」
人形みたいなソレは、ベッドの上に移動して話し始めた。
「気分はどう?」
「えぇと……」
いきなり気分はどうって言われても、うまく言えない。
答えに困っていると、ぐぅとお腹が鳴ってしまった。
ものすごい恥ずかしい。
「お腹がすいたのね、ちょっと待ってて」
そう言って、ソレは部屋から出ていった。
凄まじい勢いでいろいろなことが進み、頭が混乱する。
「何がどうなったの……」
私は状況が呑み込めずに茫然としてしまった。
しばらくして、小さな少女が部屋に入ってきた。
――誰だろ、この子?
「お待たせ」
その少女はパンと野菜スープをトレイに乗せて運び、ベッドの横にある小さな机の上に置いた。
驚くことに、少女の声は先程のソレの声と同じだった。
「あ、あなたは?」
「あぁ、ごめんごめん」
少女がそういうと、元の小さな人型の形になった。
「私はメル。よろしくね」
自己紹介をされたからには、私も自己紹介しないと……。
「わ、私はセリカ。私はどうしてここに?」
「街の入り口に倒れてたところを、街の人がここまで運んできてくれたのよ」
そこまで言って、メルは笑い出した。
「ずっと寝言を言っていたらしいよ。『村が、村が……』ってね」
「そんな寝言を⁉」
――恥ずかしすぎる。
自分の顔が真っ赤になっているのが、鏡を見なくても分かった。
「恥ずかしい……」
恥ずかしさで死んでしまいそう……。
「それで、なんで貴女は街の入り口で倒れてたの?」
「あ、それは……」
私はメルに事の全てを話した。
なぜかメルとは気が合い、話しやすかった。
「なるほどね。気づいたら知らないところにいた、と」
確かに気が付いたら知らないところにいた。
メルの言葉に私はうなずいた。
「分かった、こっちで調べておくね。あなたはここでしっかり休んでなさい」
そう言うと、メルは部屋を出ていった。
一人になり、ため息を大きく一つ。
「どうしちゃったんだろ、私……」
食事しながら、少し記憶を整理しよう。
まず母さんに見送られて、家を出た。
街の外に出て、薬草を取りに行った。
そこで、犬のようなものを見た。
そして気が付いたら知らないところにいた。
その後、三日間何も食べずに歩いて、この街にたどり着いた直後に倒れた。
街で寝言を言っちゃって……。
恥ずかしくなってきた。
誰も見ていないのが分かっていても、どうしても顔を隠してしまう。
分からない事ばかりなのに加えて、喋り疲れたせいで段々と眠くなってきた。
食事を食べきった私は眠さに負け、再びベッドに潜った。
***
翌朝、目を覚ますとメルが部屋に入ってきていた。
「おはよう、セリカ」
「お、おはよう、メル」
近づいてきたかと思うと、メルは私の身体の様子を眺めだした。
「もう、起きても大丈夫そうね」
メルはそう言って、ベッドの隣に置いてある椅子に腰かけた。
「ごめんなさい。セリカのこと調べてみたけど何もわからなかったわ」
「そっか……」
あわよくばと思っていたけど、やっぱりダメだったか。
まぁ何もわからないし、仕方がないよね。
「分からないものは仕方がないもんね。それより、今日はメルと色々と話したいな」
今日はメルの話も聞いてみよう。
「そうね、そうしましょうか」
そして、メルは自分が女神であることや神界での出来事など、今起きていることや魔法についてなどを話してくれた。
特に魔法の話はすごく面白かった。
手から水が出たり、風が出たりして面白かった。
メルがいない時に、もっと上の段階の試してみよう。
さて、そんなことよりもこれからのことを考えないと……。
「メル、私これからどうするべきなんだろう」
このまま街にいてもどうしようもない。
しかし、街を出ても何をすればいいかわからない。
どうするのが一番いいのか、分からなくなる。
「そうね、とりあえずこの街での生活に慣れることかしら。明日この街を案内してあげるわね」
窓の外を見ると、空には星が輝いていた。
――明日か。
「んじゃ、私は像に戻るわね。後で他の人に夕食を持ってこさせるから、ちゃんと食べてね」
もちろん食べさせてもらえるなら、食べておきたい。
「ありがとう、メル」
「じゃ、また明日会いましょう」
メルはそういうと部屋を出ていった。
……よし、魔法使うぞぉ‼
第一段階は普通の人も使えるはずだから、まずは第二段階からかな……。
「グランド・ボール」
目の前に石で出来た球体が出現した。
第二段階はクリアかな。
これでとりあえず回復に関しては大丈夫ね。
次は……。
「ウォータ・フリーズ・シールド」
今度は氷の盾が出現した。
第三段階もクリア。
これで、五属性の大体の魔法は使うことができる。
特に、武器を作りだすことができるのは大きい。
もし魔物と戦うことになっても何とかなりそうだ。
つづきをやろうかと思った瞬間、誰かがドアをノックした。
誰かと思えば、メイドが食事を運んできた。
もう晩ご飯か、と思いつつ続きは後でやることにした。
そして私は運ばれてきた夕食を食べ始めた。
魔法が楽しみで仕方がないからか、すぐに食べ終わってしまった。
私は再び、魔法の練習を始めた。
「ウォータ・フリーズ・ウェポン・ソード」
差し出した右手に氷の剣が現れた。
第四段階もクリア。
これで武器を作りだした後に攻撃もできるようになった。
試してみたかったけど、実際に攻撃したら部屋が大変なことになる。
さて次は……。
「ウォータ・フリーズ・ウェポン・ナイフ・ツイン」
氷でできた短剣を、両手に一本ずつ握る。
第五段階もクリア。
まさか第五段階まで出来るとは思ってもいなかった。
メルも第五段階まで使う魔法は、これ一つしか教えてくれなかった。
未知の第六段階も試してみたいけど、魔法を知らないので諦めた。
一通り自分の使える魔法を確かめると、急にどっと疲れを感じた。
――今日はもう寝よう。
ベッドに潜ると、思ったより早く睡魔に襲われた。
***
翌朝、目を覚ますと鳥のさえずりが聞こえた。
窓の外を見ると、澄み渡る青空を鳥が優雅に飛んでいた。
風景に見とれていると、ノックなしで部屋の扉が開いた。
「あ、起きてた」
「おはよう、メル」
「さあ、今日はいっぱい街を案内してあげる」
そう言って、メルは私をベッドから引っ張り出そうとする。
「あはは、そんなに引っ張らないでよ」
仕方がないので、ベッドから身を起こして服を少し整える。
村を出た服装のままだったことに、今頃気づいた。
――新しい服が欲しいな。
そんなことを考えながら、軽く身支度を済ませた。
メルに連れられ、私は部屋を出て街へと繰り出した。
***
街は多くの人で賑わっていた。
鬼ごっこをしているのか、駆けまわる子供達。
女性に野菜を持ってグイグイと近づいていく八百屋さん。
路地裏でイチャイチャしている人たちは見なかったことにしよう。
「すごい……」
私がそう言うと、メルは得意げな顔をした。
「でしょ‼ 村じゃないもんね‼」
村と間違えていたことを今更いじられた。
いきなり恥ずかしいこと言わないでほしい。
「あの時は、お腹が空きすぎてちゃんと見てなかっただけよ‼」
私がそう言うと、メルは笑い出した。
まったくもう……。
そして私達は街を見て回った。
途中で新しい服も買った。
正しく言うと、メルにプレゼントしてもらった。
……嬉しかった。
そして私達はもともといた建物に戻ってきた。
「そういえば、まだこの建物の説明をしてなかったね。ここは神殿、私を祀るために作られた建物。まあ、私の家ね」
「なるほど……」
神殿は街の中でも一際大きな建物で、中に入ると様々な色に輝いている。
私達は神殿に入ったところにある長椅子に座った。
「綺麗でしょ……」
メルにそう言われ、頷く。
――すごく綺麗だ。
そう思っていると、自慢したメルの顔がすこし翳る。
「私のためにここまでしてくれた人を守りたいけど、私にはどうすることもできないから」
どういうことだろう?
昨日、メル自身から女神は人間に力を貸すことが出来るという話を聞いた。
それは間接的に、街を守っているという事ではないのかな……。
考えれば考える程分からなくなり、私は首を傾げた。
「女神は人間に力を与えることができるんじゃないの?」
私がそう聞くと、メルは辛そうに答えた。
「普通はそうなんだけどね。私は力を与えても、多くの人はうまく使えないの」
「うまく使えないってどういうこと?」
そう尋ねるとメルは困った顔で答えた。
「よくわからないの。武器での攻撃も効いているみたいなんだけど、力が弱いみたいで……。攻撃しても魔物にはびくともしないの。魔法なら自信があるんだけど……」
――魔法?
魔法が使えればいいのか……。
メルは俯き、話を続けた。
「でも魔法をうまく使える人は少なくて……」
守れていないにしては、この街は今も平和なような気がする。
「それならこの街は魔物からどうやって守ってるの?」
メルは俯いたまま答えた。
「その時はみんな神殿の中に逃げ込むのよ。神殿ほどの建物なら、魔物も壊せないから」
「なるほど……」
確かにそうすれば誰かが街のために戦わなくてはいけないという事はなくなる。
それでも、誰かが守った方が絶対に良い。
それにしても、魔法が使えればいいのか……。
「ねえ、私はどう? 私は力になれない?」
メルはまだ俯いたままだった。
「セリカには悪いけど、どうせ無理よ。私の力を使いこなすには少なくとも第四段階まで使えないとだめなの」
それなら心配しなくてもいいのに……。
「それでも見るだけ見てみて‼」
しばらくメルの目を見つめていると、メルは頷いてくれた。
「分かった……」
メルがそう言うと、私は光に包まれた。
少し眩しい。
しばらく経つと光が消えた。
「どうだった?」
そう聞くとメルが答えた。
「どうして……」
「え?」
「第五段階まで詠唱可能って……」
――昨日試しているから、私はわかってるもんね。
そう思いつつ、第六段階はできないことに少しがっかりした。
それでも、これでメルの役に立てる。
「っていうことは‼」
メルは顔を上げ、にこっと笑った。
「セリカとなら戦える‼」
私達は顔を合わせ喜んだ。
そして、まるで見計らったように街から叫び声が聞こえた。
「魔物だ‼ みんな神殿に逃げろ‼」
腕試し代わりに魔物を倒してみよう。
そんな思いで私の胸はいっぱいになっていた。
私達は部屋を出た。
この街を守るために。
***
魔物のもとに向かいながら、メルは話しだした。
「魔法の使い方は、昨日教えた通りよ。ちゃんと覚えてる?」
「大丈夫‼ 覚えることは得意だから‼」
一通り練習していたので、ばっちり覚えている。
ゴブリンと戦うには……。
そう考えながら、私は胸に手を当て詠唱した。
「グランド・プロテクト」
「ウィンド・スピード」
詠唱すると、身体が淡い茶色の光と淡い緑色の光に包まれた。
走りながらも、イメージが途切れないように集中する。
イメージが途絶えると魔法は消えてしまうため、注意しないといけない。
次は攻撃用の魔法を詠唱する。
「ウォータ・フリーズ・ウェポン・ナイフ・ツイン」
二本の氷のナイフが空中に出現し、私はそれを握った。
ナイフは意識しなくてもいいけど、残り二つはイメージしないといけないのよね。
二つ同時にイメージしてるのは結構つらい。
その様子を見てメルは驚いたみたい。
「す、すごいわね……」
「でしょ。昨日あれからいろいろと試してみたの」
「だからさっき自信満々に『いいから見てみて』って言ったのね」
メルにそう聞かれたので、私はにこっと笑った。
「ま、戦うのは初めてだから、ちゃんと教えてね?」
意識が切れると魔法も切れちゃうから気をつけないと……。
「任せなさい‼」
メルも自信満々にそう答えた。
ここまで信用してくれると、すごい嬉しい。
私達が入り口付近に近づくと、緑色の何かが暴れていた。
「あれはゴブリン。あのこん棒に気をつけて」
メルにそう言われ、軽くうなずく。
「あぁ? なんだ?」
ゴブリンも私達に気づいたようだ。
そんなゴブリンに向け、走る。
「ゴブリンのこん棒をきちんと見て、その隙を狙って」
メルの注意に頷く。
あいつの後ろに回り込めば、盲点になり戦いやすくなりそうだ。
ゴブリンの目の前に迫ると、ゴブリンが声を荒げた。
「これでもくらえ‼」
ゴブリンが棍棒を振り下ろす。
しかし、残念ながら棍棒が振り下ろされた先に私はいない。
それどころか、サイドステップを二回踏んだ私は、ゴブリンの背後にいる。
「はぁ‼」
声でゴブリンも気づいたようだが、一歩遅い。
ゴブリンの身体を一気に切り付ける。
イメージが途切れるよりも早く‼
「うぐぅ……」
ゴブリンが唸っても、さらに攻撃を重ねる。
ゴブリンの身体には、数え切れないほどの傷が生まれていた。
「うぅ……」
ゴブリンは呻き声と共に倒れ、金貨と化した。
私はそれを見届けると、ふぅと息を吐いた。
魔法に向けていた意識を解くと、包んでいた二つの光は消えた。
氷のナイフは手放すと空中に消えた。
そして、軽いめまいに襲われて倒れそうになった。
「もう、一気に唱えすぎよ……」
メルにそう言われ、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「さすがに張り切りすぎたかな」
私達は金貨を回収し、部屋に戻った。
今日は疲れがたまりにたまった。
ベッドに寝転がるとすぐに寝てしまった。
その晩、街では私達の話題で持ちきりになった。
翌朝、起きると同時にメルが部屋に駆け込んできた。
「おはよう‼ セリカ‼」
そして私達は顔を見合わせ笑いあった。