第二節 八つ足の怪物
「なんだよ…あのバカでかい足は!!」
ガイスの怒号が飛ぶ。
衝撃の原因はヌメヌメと怪しく光る、タコの足のような大きな触手だった。
一本の触手が船に張り付き、海へと引きずり込もうとしている。
引きはがすために、急いで詠唱する。
「サンダー!!」
触手を雷が打ち据えるが、表面が軽く黒くなっただけだった。
――魔法が効かない!!
「サンダー・ウェポン・アロー!!」
セリカは雷の弓矢を手に取り、触手に向けて放った。
矢は深々と刺さり、雷が触手を包む。
さすがにこれは効いたようで、触手が船から剥がれ海へと戻っていく。
安心するのも束の間、海からさらに触手が飛び出してきた。
それも船の左右から二本。
今度は船に張り付かずに、獲物を狙っているかのようにウネウネとしている。
触手が動きを止め、まるで狙いを定めるかのようにこちらに先端を向けた。
瞬間、貫き葬らんとばかりに勢いよく触手が迫ってきた。
「くっ!!」
何とか剣で受け止める。
鉄でできた剣にぶつかっているにもかかわらず、触手が切れることは無かった。
触手の予想以上の重量に、身体が徐々に押しやられていく。
このままだと、海に落ちてしまう。
何か方法は……。
雷の魔法だけだと効かず、雷の矢なら効く。
もしかして――。
触手を力の限り切り下げ、自分は空中を舞う。
身体が一回転する前に何とか詠唱を……。
「サンダー!!」
力を込めた剣に雷が宿り、空中で一回転した勢いで思いきり振り下ろす。
確かな手ごたえと共に、触手の横に着地した。
ウネウネと動いていた触手がぴたりと動きを止めた。
触手が途中からズルリと落下した。
切り落とされた触手が船の上でピクピクと痙攣している。
一方、触手の根元は切り口から先を失い、急いで海へと戻っていった。
隣を見ると、セリカを襲っていた触手には幾本もの矢が刺さり、海へと戻っていった。
「なるほど。各地で私達の仲間が無差別に倒されているという話はお前達の仕業か……」
さらに新手の触手が海からゆっくりと伸びてくる。
しかも一本や二本ではない。
六本。
そのうち一本の足にはセリカの放った矢が刺さっている。
その足を除いても五本。
つまり、二本同時に相手することが必須条件という事になる。
「その罪、その身で償ってもらう!!」
触手がまるで連携するかのように攻めてくる。
右から左からと連撃が止まらない。
何とか剣で防ぐものの、先程のように考えている余裕はない。
触手がこちらの動きに合わせて微妙に軌道をずらしてくる。
「ま、まずい……」
ついに受けきれなかった触手が身体にめり込む。
口の中が一気に鉄臭くなり、赤黒い雫が漏れる。
勢いよく飛ばされ、はぎつけに身体を打ち付けられた。
はぎつけに身体を打ち付け、体の中の何かが爆発した。
それでも、やっと周りを見る隙が出来た。
セリカも両手に雷と土の短剣を携えて肉薄しているが、かなり消耗しているようだ。
ガイスもさすがに素手ではつらいようで、魔法で出来た斧を携えている。
そこまで確認したところで、触手が再びこちらに狙いを定めた。
「クッソ……」
身体をギチギチと無理やり動かし、二人の元へと駆ける。
背後に触手の攻撃が降り注ぐ。
何とか二人の元へとたどり着くと、セリカとガイスがこちらへと近づいていきた。
「このまま別々に戦っていたらダメだ。ガイスさんは俺と一緒に触手を引き付けてください。セリカは弓矢で援護をしてくれ」
「分かった」
「おうよ」
セリカを中心に自分とガイスが距離を取る。
迫ってくる触手をジャンプして避け、振り向きざまに切り落として着地する。
切った触手とは別の触手が無防備な自分の身体へと向かってくる。
衝突を阻止すべく、セリカが放った矢が触手へと刺さる。
顔のすぐ横を通り過ぎていく触手をそのまま切り上げる。
後ろではガイスも触手を一本切り落としていた。
触手の数が三本に減り、こちらにも余裕が生まれてきた。
襲って来ていた触手もさすがに不利を悟ったのか、海上へと戻り始めた。
「まさか、これほどまでとは……。少し甘く見すぎていたようだな」
謎の声がそう呟いた直後、海面が何かに押され盛り上がっていく。
そして姿を現したのは、とてつもなく巨大なタコだった。
いや、タコと呼んでいいのかですら分からない。
タコのような形をした頭の中央には六個もの目が付いている。
そんな頭の表面はまるで生き血をすすっているかのように、赤黒くヌメヌメとしている。
先程までバラバラの方向を向いていた眼が、一斉に自分達の方へと向いた。
「何故にそこまで私達に牙を!!くのだ。私達がお前達のような人間に何をしたというのだ」
「てめぇは俺から嫁を奪いやがった!! それを許せる訳ねぇだろうが!!」
クラーケンの言葉への答えとして、ガイスは斧を構えた。
ガイスの目の中にクラーケンと同じような赤黒い炎が揺らぐのを感じた。
「お前はこの前の船乗りだったのか……。それならば仕方あるまい。最後まで抗わせてもらおう!!」
クラーケンは海から切り落とされた五本を含め八本の触手を引き出した。
触手の長さも不揃いで、うまくバランスもとれていないようだ。
「ヌゥン!!」
残った三本の触手が襲い掛かってきた。
先ほどと同じように身体を宙に浮かせる。
――これであと二本!!
そう思った刹那、真下を通り過ぎた触手がそのまま上へと振り上げられた。
自分の身体をとらえ、そのまま空中へと放り出される。
飛んだ先にはもう一本の触手が撃ち落とさんとばかりに待ち受けていた。
空中に放り出された自分の身体はあまりに無力だった。
そのまま触手が身体を叩きつけ、船上に墜落した。
口から零れる血が止まらない。
視界が暗黒へ誘うかのように霞む。
なんとか意識を振り起して体を起こそうとするが、身体が反応しない。
どうも両手両足、それに肋骨の骨も折れてしまっているようだ。
そんな自分を見かねてか、セリカがこちらへと駆けてくる。
しかし、その後ろから触手が忍び寄りセリカに迫る。
「やめろ…。に…げろ……」
セリカの身体に触手がめり込み、吹き飛ばされてしまった。
しかも、セリカの身体はそのまま海へと落ちてしまった。
「セ…リカ……」
自分とセリカが戦闘不能になり、残すはガイスのみになってしまった。
ガイスに三本もの触手が迫る。
ガイスは巧みに触手の攻撃を避けているが、それだけで精一杯のように見える。
あれではガイスがやられてしまうのも時間の問題だ。
ガイス一人に相手させる訳にはいかない。
何とか治療をしないと……。
「ウィンド…ヒール……」
骨折した部分は元に戻ったようだが、やはり痛みは消えない。
こんな状況では痛みを取り除くのは無理そうだ。
それでも何とか動けるようにはなった。
なんとかしてガイスを助けるべく、ゆっくりと立ち上がる。
「くっ……」
身体は何ともないはずなのに、手足が震える。
あまりの痛みに顔が歪む。
これでは少し先に進むだけで精一杯だ。
――どうしたらいい。
激しい痛みの中で何とか思考を巡らせる。
これだけの距離があっても、あの触手を切り落とす方法。
武器は右手に握る剣だけ。
しかし、剣では触手まで届かない。
……届かない?
ふと、剣を見る。
先ほどの攻撃で意識が途絶えてしまったせいで、剣に纏っていた雷は消えていた。
雷を纏っていた剣。
一瞬、山での戦闘が頭の中に浮かんだ。
――そうか、簡単なことだ。
ゆっくりと息を吸って吐く。
「サンダー」
再び剣に雷が宿る。
その剣を触手目掛けて、思いきり振り下ろす。
剣から飛び出た雷は、ぐんぐん長さを伸ばしていく。
雷が落ちた時のような轟音とともに、船上を這っていた触手二本が一気に切断された。
続いて剣を横に薙ぎ払い、もう一本も切断することが出来た。
「グゥ……」
触手がすべて切断され、クラーケンが忌まわしそうに唸る。
そんなクラーケンの背後で何やら黒い物体が浮遊していた。
黒い物体は六つに分裂したかと思うと、クラーケンの眼を攻撃し始めた。
「ウガァァァア……」
鬱陶しそうにするクラーケンを横目に、黒い物体はこちらへと向かってくる。
よく見ると、黒い物体はコウモリの群れだった。
「ふぅ、海に落とされた時はだめかと思ったよ」
そう言って、セリカは船上に舞い降りた。
セリカがヴァンパイアになっていたことは幸運だった。
もし普通の人間のままなら、今頃どうなっていたか。
「さて、今傷を治してあげるね。ウィンド・リムーブ・ダメージ」
身体から痛みという名の枷が取り除かれ、自由を取り戻した。
セリカはガイスにも同じように魔法を放った。
最後に自分がセリカの身体を治癒してやる。
その間もクラーケンはコウモリに攻撃された眼をせわしなく動かし、必死に回復させている。
こちらが回復し終える頃には視力を取り戻したようで、六つの眼を再びこちらへと向けた。
しかしその眼は異様に充血し、中心に黒を残して深紅に染まっている。
「よくも…よくもぉぉ!!」
クラーケンがとうとう捨て身で船に飛びかかってきた。
あんな巨体が船に落ちようものなら、この船は真っ二つになってしまう。
考えるよりも前に身体を動かす。
倒れ掛かる巨体を雷剣で両断する。
それでも、切り落とした方の巨体が船へと降ってくる。
背後でガイスが思いきりジャンプし、巨体に渾身のまわしげりを放った。
巨体が軌道をそらし、海へと落下した。
そして、ようやくクラーケンとの戦いが終わった。
頭上を覆っていた雷雲はいつの間にか散り散りになり、波も穏やかになってきた。
半魚人たちが残していった金貨を回収しながら、一つの問題が浮上した。
「クラーケンの金貨、どうやって回収しよう……」
クラーケンの亡骸は深い海の中。
セリカに頼んでコウモリになってもらっても、取りに行くのは不可能だろう。
まぁ、クラーケンの分を除いても百枚程の金貨が手に入った。
海底へと目を向けながら、ため息を一つ。
「クラーケンの分は諦めよう」
そして船は次の街、ネイデルへと向かい走り出した。




