第十一節 束の間の休息
食事を終えたのか、居間でセリカ達が談笑している声がエントランスまで響いていた。
「本当にあの時のハルは面白かったわよ!! スシンゥって!!」
「そうそう、スシンゥってね!!」
完全にバカにしている。
女子だけの話とはこのことだったのか。
俺をバカにするお前達もバカだろ……。
「ん? なんか外からバカって声が聞こえたような……」
――聞かれてた!?
「それよりもセリカ!! あんたのその装備どこで買ったのよ!!」
「確か…街の中でも結構高価な装備だったと思うんですが……」
話の内容が装備の話に移ったところで、そそくさと風呂場のある左奥の扉へと向かう。
扉を開けると棚が左右の壁に並んでいた。
奥には大浴場が広がっているはずだが、湯気でよく見えない。
「服はその棚においてある籠に入れておきなさい」
そう言ったジークは既に布一枚の状態になっていた。
つくづく行動が読めないな。
籠の横に剣を置き、服を脱ぐ。
昨日の夜に買った服はもうところどころ汚れていた。
――後で洗濯しないといけないな。
そんなことを考えつつ服をたたんで置き、籠の下に敷いてあった布を腰に巻く。
昨日は風呂に入らず過ごしていたので、少し胸を躍らせる。
靄の中へと踏み出すと、浴場は想像より広かった。
「君も湯に浸かりなよ」
ジークは湯に浸かるどころか、バシャバシャ泳いでいた。
「ジークさんは子供なのか大人なのか、よく分からないです……」
右足からゆっくりと湯に入れる。
程よい熱さで保たれているお湯は右足から疲れを奪っていく。
続いて左足を入れ、ゆっくりと座る。
肩まで浸かり、ふぅと一息ついた自分の前をジークが泳いでいく。
ジークの突拍子の無い行動に驚きつつ、少しずつ全身の力を抜いていった。
*****
湯の中で全身を伸ばすと身体の節々が痛んだ。
ヴァンパイアと戦った後にジークへのリベンジ戦でもう身体はボロボロだったようだ。
普段なら魔法で疲れを取るところだが、やっぱり風呂に入るのが一番だ。
身体の硬直を解くと、身体がすっと軽くなり余計に疲れが取れたように感じた。
「ふぅぁぁ……」
思わず声が漏れる。
「気持ちいいよね。こうやってお風呂に入るとさ……」
隣でジークが大きく伸びをする。
さっきまで泳いでいたはずなのに、いつの間に隣に来たんだ?
「そんなにびっくりしなくてもいいって。気配を消すのが得意なんだよ」
気配を消せる時点ですごいと感じるのは、気のせいだろうか……。
「それより、さっきはすごかったね!! あの身のこなしといい、それを支えるための詠唱といい、びっくりしたよ」
そう言うジークの目はいつぞやのセリカのように煌めいているが、何より――。
「ジークさん、近いです」
両手でジークを遠ざける。
「ジークさんだって魔法を五つも同時に展開するなんてすごいじゃないですか」
「あんなのはイメージ出来ればいいだけの話だから、簡単だよ」
ジークが湯から右手を出し、人差し指の上に土球を出現させた。
「そういえば、その無音詠唱!! やっぱり周りに聞こえないほど小さな声でしてるんですか?」
ジークは得意げに人差し指の上で土球をくるくると回す。
「口を動かす必要はないし、ましてや相手に声が聞こえる必要はないからね。まぁ、その小声が聞こえなきゃ意味がないけどね」
ジークは土球を握りつぶすように消すと、湯船から出た。
「僕はもう休むよ。それじゃ、ごゆっくり」
まだ風呂に入って少ししか経っていないような気がしたが、ジークだからと考えると気にならなくなった。
一人になったところでどうしようか悩み、ジークを真似て泳いでみることにした。
*****
しまった、完全にのぼせてしまった。
少し頭が痛い。
水を飲めば少しは楽になるだろうか……。
そう思って浴場を出ると、二階ではまだリオ達が談笑している。
「リオって本当にいっぱい食べるよね。最初びっくりしちゃった」
「リオお姉様は神界でも一二を争うほど、よく食べるお方ですから」
「誰がそんなこと言ってたの? 後で締め上げてやる……」
うん、恐ろしい。
水を飲むには…そういえば外に井戸があったような……。
とりあえず、水を求めて屋敷を出た。
すっかり外は暗くなり、星空の中に満月が浮かんでいた。
屋敷の扉が閉まる拍子に、ふと思いついた。
――魔法で解決すればいいじゃないか。
「ウォータ」
水を手中に出現させる。
魔法がない世界に住んでいた時に比べると、はるかに便利になったとしみじみ思う。
水を勢いよく飲んでいると、どこからか歌が聞こえてきた。
この声の主はどうもジークらしい。
『四人の導かれし者のために、新たなる世界作られん。
導かれし者に星が降りしとき、新たなる道開かれん。
世界に異変が起こりしとき、母なる世界が迎え入れん。
導かれし者が真実知りしとき、我らの願いは果たされる』
――歌、なのか?
そんな疑問を浮かべつつ辺りを探してみると、ジークは屋根の上に座っていた。
ジークはこちらに気づいたのか、飛び降りてきた。
あの高さから降りてきて大丈夫なのかと思ったが、よく考えたらジークはヴァンパイアだった。
「うぐぅ……」
ジークは両足を抱え込みながらその場に倒れてしまった。
どうも空を飛べるヴァンパイアでも高い所から飛び降りたら痛いようだ。
「ウィンド・ヒール」
魔法から意識を切ると、ジークは痛みが無くなったようで意気揚々と話しだした。
「いやぁ、ありがとう。飛び降りたらこんなに痛いもんなんだね。いい勉強になったよ」
飛び降りたら痛いものだとすぐに分かりそうなものだが……。
それよりもさっきの歌のようなものは何だったのだろうか。
「ジークさん、さっきのって――」
「――やっぱり聞かれてたか。あれは僕の母さんが満月の夜によく歌ってくれた歌なんだ」
そう言って、ジークは照れ臭そうに頬を掻いた。
変なことをよくすると思ったら、ただ子供っぽいだけなのかもしれない……。
そう考えを改めているうちに、少し体が冷えてしまった。
「そろそろ戻ろうか」
ジークに促されるまま、自分も屋敷へと戻った。
*****
屋敷に戻り、女性陣の待つ居間へと向かう。
「さて、そろそろジークたちが戻ってきてもいい頃かしら」
「そうですね。探しに行きましょうか?」
「いや、いいわ。後一分以内に戻ってこなかったらこのナイフを投げつけてやる」
もし遅れた時に追いかけられるのは、ジークだけだと思いたい。
まぁ、もう扉の前なので遅れることは無いが……。
扉を開けると、そこにはナイフを振りかぶるリオの姿があった。
「こんな風にね!!」
「ひぃいいい!!」
ナイフが髪の毛を数本奪っていった。
少し離れた位置にいたジークもさすがに驚いている。
「おっと、二人ともおかえり」
「おかえりじゃねぇよ!! 危ないだろうが!!」
命の危険がこんなに身近にあっては不安で仕方がない。
「当たってないんだからいいんじゃない。それより、勝負の行方はどうだったの?」
「まぁ、そんなに急かさなくてもきちんと話すさ」
ジークがそそくさとソファーの中央に座った。
多分、あそこがジークの定位置なのだろう。
自分もソファーの端の方に座る。
「それでどうだったの?」
そう言ったリオだけではなく、ヒュムとセリカも目を輝かせている。
「簡潔に言うと、僕が負けた。全力を出して負けたよ」
「ジークの全力って、五属性同時展開の事!! あんな危ないのを庭でやってたの!!」
ヒュムがものすごい剣幕でジークに近づいていく。
「ちょっと待ってよ、大丈夫だって!! ハル君が全部切り落としちゃったから!! 確かに水属性は弾かれただけだったけどさ……」
「それでも!! 屋敷が吹き飛ぶほどの魔法は使っちゃだめって言ってるでしょ!!」
ヒュムはジークのお母さんか何かなのだろうか……。
そんな錯覚に襲われてしまった。
それにしても、あの魔法は屋敷を吹き飛ばすほどの威力があったのか。
自分にそれに対抗する力が手に入ったと思うと、少し怖くなった。
*****
「それにしても全力のジークに勝つとは、本当に強くなったのね」
「そうですね。五属性同時展開を破るなんて、私たち神界の者でもなかなかできないんですよ?」
五属性同時展開、言葉だけ聞くと確かにすごいものだと思う。
でも実際には、二属性同時展開さえできれば四つまでは対処出来てしまう。
それなのに、神でもなかなか対抗できないのは何故だろう。
「あんた、どうやってあれを破ったのよ。どれだけ球を切っても、すぐに再詠唱してくるのに……」
再詠唱してくる?
ジークは決してそんなことはしてこなかった。
五属性同時展開したときも、再詠唱なんてしてこなかった。
「再詠唱なんてさせてくれなかったんだよ。ものすごいスピードで近づいてくるんだもん」
そんなに猛スピードだったのか?
確かに思いっきり地面を蹴って跳んだけど……。
「そんなにすごいことしたかな……」
「したよ!! 風の魔法で地面を滑るように跳んでくるしさ。そんな芸当をしながら、両手に違う属性の武器を持ってたんだからね。しかも魔法の威力も完全に負けてたし……」
自分のしたことは、それほどすごいことだったのか。
セリカの方がもっとすごいような気がするけど……。
「とにかく!! そんなことされたら太刀打ちできないって!!」
「なるほどね。さすがの私でも、そんな高度な事を突撃しながらできないわよ」
「お姉様は二属性同時展開が限界ですもんね」
「余計なことは言わなくていいの!!」
ヒュムの頬がリオによって引っ張られ、食べ物を詰め込んだ後のリスのようになっている。
今気づいたが、リオの横に座っているセリカがゆっくり舟をこいでいる。
道理で物静かだった訳だ。
「ちょっとセリカ!! 何寝てるのよ。ハル達が戻ってきたら、お風呂に入るって話だったでしょ?」
「うん? あぁ、ごめん。そうだったね……」
「それでは、私は先に行って準備してきますね」
そう言って、ヒュムは部屋を出ていった。
風呂だって?
「それじゃあ私達はお風呂に入ってくるわね」
寝ぼけ眼のセリカを引き連れながら、リオも部屋を出ていった。
さて、これから何をして暇をつぶそうか。
悩んでいると、なぜかジークが立ち上がった。
いや、立ち上がるだけなら普通なのだろうが、完全に目が輝いている。
「さぁ、ハル君いくぞ!!」
「どこにですか?」
――嫌な予感がする。
「覗きだ!!」
生きて帰れたらいいな……。




